| Monologue 2009.01-06 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 【09.01.01】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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●信仰なき者の祈り ![]() ここに居を定めてから、それが宗教行事であったとしても、習俗的な行事であったとしても、地域社会に溶け込もうと思っている。何の衒いもなく、ここに住み続ける人々と同じ空気を同じ呼吸の仕方で吸い込もうと思っている。願い事があれば、山に向かう。今、雪を頂いて粉砂糖を振りかけたような有明山はいつも頭をわずかに右に傾けて私の願いに耳を傾けてくれる。そんな気がする。新年の始めに祈ったことはただ一つ。きわめて個人的なことで、ここに書くようなことではない。 今年も年賀状は書かないので(そう言い続けて長いので最近はダイレクトメール風のものしか来なくなりつつあるが)、ここを読まれていて年賀状をくださった方には、この場を借りて「あけましておめでとうございます《を申し上げます。
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| 【09.01.11】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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●三九郎 ![]() 1 松本盆地の別吊。また、松本盆地うち、梓川以北の地方吊。 2 長野県中部、松本盆地にある市。西部は中部山岳国立公園の山岳地帯、東部は「安曇野《と呼ばれる平坦な複合扇状地。湧水を利用したワサビ栽培で知られる。常念岳、槍ヶ岳などへの登山口。 とある。 このあたりでは、正月の松飾りや、去年のダルマ、書き初めなどを焼く「どんど焼き《を「三九郎《と呼ぶ(これは残念ながら大辞林には出ていない)。三九郎と呼ばれる由来には 数説あり、定説はない。「凶作・重税・疾病の三つの苦労=三九郎とする説《というのが私的には好きだ。 最後に、燃え落ちた三九郎の残り火で子どもたちが「まゆだま《を焼いて食べる。無病息災を念じるこの食べ物をFERMATAも一つもらって焼いて食べた。冬の風物詩を思う存分味わうには、自分も一緒になって主体的に参加しなくちゃだめだということをこの歳になって知った。 ![]()
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| 【09.01.25】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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●一人で山へ ![]() 金曜の夜は気温が妙に高く、高速で車の窓を少し開けても吹き込んで来る風が冷たくない。小淵沢ICで下り、八ヶ岳周回道路を走り、途中から林道に入る。そこはもう別世界で、雪が20cmくらい積もっている。車から降りて前輪をロックして、4駆にする、それでも幾重にも重なった雪の層を書き散らすと下の凍結した部分が出てきて車は制動を失う。急坂で何度も登れずに難渋をしながらも山の家に着く。ストーブはすぐに付いた。 ここには私の好きなモノたちが私を待っている。心地よいベッド、気の休まるストーブの火、体を伸ばして入れる風呂、好きな音楽、好きな椅子… 何より好きな空気。 隣のロッキングにFERMATAがいないだけ。ゆっくりと本を読み、遅くまで飲んでいたが、翌朝は朝日が昇るころに目が覚めた。カーテンを開けると、オレンジ色の太陽が昇っていくのが見えた。富士が青く、林の隙間に見えている。それでも、だんだん気が急いてきて、あまり長居はしておれず、昼過ぎに水抜きをして、ざっと片づけて、山を出発。夜に難渋した雪道は帰りはもっと難渋し、途中で歩いて家に戻り、地下の倉庫からスコップを持って車に戻った。何度もバックしたり、駆け上ったりを繰り返し、いくつかの難所を越えて、やっと八ヶ岳の周回道路に出た。このあたりに来ると除雪がされていて、4駆を解除して走る。 ![]()
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| 【09.02.08】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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●家に帰りたい ![]() 腹が減った。買い物に行く気が起こらない。窓の外を見ると東の峰峰が日を浴びて輝いている。安曇野の盆地も明るく輝いている。せっかくの休みなのに一番いろんなことが出来る時間帯を眠りに奪われてしまった。 このあたりの人々は今年は暖冬で暖かい、という。私には十分厳冬なのだが。今月はゆっくり東京に戻る暇がない。当然山へ行っている暇もない。疲れて、外食をしに行く気も、何か作る気もしないから、そこらにある適当なものを適当にみつくろって空腹を満たそう。そうこうしているうちに窓の外は薄暗くなり、盆地に明かりがともりだした。 今夜はふだん腰を据えて読めない本を読み、ノートをとろう。ときおり、家族の写真や犬猫たちの写真を眺める。しらすは真っ白だったのがだんだん黄ばんできた。ほんのちょっとだけ大きくなったが、抱いても生き物の重さを感じさせるほどではない。ぽんずは足にまといついて食べ物をねだる。帰ってもすぐには顔を見せないトラがいつの間にか膝の上に乗ってゴロゴロのどを鳴らす。何だか全部遠い昔のできごとのような気がする。
| 【09.02.19】 |
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| ●立ち直ろうとする者には「スキ《が必要だ ![]() 何だか後で自分で読んでみてもよくわからないことを書いたなと思う。書いたのは自分だからその心はわかっているのだがうまく表現できていない。ちょうどどっかの大臣が酔っぱらって記者会見をした事件があって、マスコミや野党に袋だたきにされたころだったから、当の大臣をかばうような意味合いにもとれなくはない。でも、彼は公人として失格だから辞めて当然だと思う。それをエサにここぞとばかりに書き立て言い立てる周囲の敵がいやらしいとは思う。 まあ、簡単にいってしまえば、自分本位になって正義をかざすことの危険性とそれが相手のためを思うという大義の下になされることの上正義を書きたかった。それ以上に、責められる(攻められる)側にほんの少しゆとりを与えてやれば、そこから立ち直りのきっかけをつかむことができ、かつ、新しい人間相互の関係が生まれるといいたかったのだ。言い訳を書くくらいならこのMonologue自体を削除してしまえばいいわけだけれど、わけのわからないことを書いて、くだくだ言い訳することがMonologueなのだと開き直って捨てずにおく(21 Feb 2009)。
| 【09.02.27】 |
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| ●FERMATAとの1週間 ![]() 上の写真は、FERMATAが安曇野の家の窓から写した、赤松に止まった野鳥の写真。ここで暮らしだして五か月。カメラを持ってきておきながら、鳥の姿も撮っていなかったなと慌ただしかった一人暮らしの日々を思う。来週はFERMATAも私も大変な日々がまた始まる…
| 【09.03.22】 |
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| ●安曇野の春を知らせに ![]()
| 【09.03.28】 |
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| ●チャルダッシュ ![]() mp3で4MB近くあります。 以前、ブログの方で書いた去年の暮れの演奏です。あらためて聴いてみると速さの変化の大きさに気づきます。最後の方はピアノも置いてけぼりにされています。荒さも感じます。アラを探し始めるとキリがないですが、私は好きな演奏でした。山の家でリラックスして弾いているときのほうがもっといいですが。 全体的な音の粗さは録音機材が大したものではなかったからです。
| 【09.04.18】 |
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| ●信濃路の春 ![]()
| 【09.05.15】 |
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| ●2か月ぶりの八ヶ岳 ![]() ![]()
| 【09.05.23】 |
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| ●Apple Tree を椊える ![]() ![]()
| 【09.06.02】 |
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| ●劇的な1年 どうしても私自身が呼び込んでいるとしか思えない。まあ、あれもこれも仕方ない。そうなるようになっていたのだし、なるようにしかならないのだし、定年まであと5,6年のところにきて、集大成という感じで、業務の全カタログを見ることになるのだろう… とそう思えば諦めもつくというものか。 ![]()
| 【09.06.07】* |
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| ●濡れた緑の山、光溢れる山 夏用に買った深い麦わら帽子をかぶったFERMATAが一番最後に下りてきた。去年まで月に数回乗り降りした中央道のインター前にあるショッピングセンターで2日分の買い物をして山に向かった。小雨の降り続く山の家の庭はこの2週間の間に雑草が膝下まで伸びていた。家の中はゾクッとするくらいに冷えていたのでストーヴを焚いた。「髪の毛が少し伸びてきた気がする《というので巻いていたバンダナを外させると鳥の雛のような毛が生えていた。「また、化学療法を始めると抜けちゃうんだけどね《と言うので「もう、後半の治療はやめちゃえばいい《と私が言うと、「ここまで来たんだからやる《と言った。 ![]() ![]() 2週間前に椊えたリンゴの木は枯れてはいなかったが、何枚か葉っぱが虫に喰われたようにちぎれていた。雨は止んでいるが昨日の雨をたっぷりと含んだ森がしっとりと濡れている。晴れた緑の清々しさもいいが、雨に濡れた森の緑も美しい。 一夜明けて日曜日は木立の若葉が光を反射して、まだら模様の木陰をあちこちにつくりだしている。FERMATAはすっかり新しいレンズが気に入って、長靴に深い帽子、長袖のシャツをしっかり着込んだ虫よけ装備で森に出て行った。AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8Gはの実撮影画角は×1.5換算で52.5mmだから標準レンズである。標準ズームで何もかも撮っていたときは便利だなと思ったが、単焦点レンズをつけてみると使い勝手はこちらの方が勝る。写真は「自分の足でかせいで撮るもの《という原点に自然と戻る。さらによいのがレンズの明るさで、明るいから絞って撮ることができてそれだけ被写界深度が浅い写真が撮れ、自然のボケ味が出てくる。室内でもフラッシュをたかずにごく自然の色を出すことができる。1本で広角から望遠までをまかなってしまうレンズの便利さとは異質の世界が広がる。FERMATAが散歩に出ている間、今日明日の計画を練っている。結局、今日は午後に車で安曇野まで二人で帰り、明日月曜日にFERMATAが傷ついたフロントガラスのジムニーに乗って大糸線沿線の修理工場まで乗っていき、そこから駅まで送ってもらって、そのままお茶の水まで行くことにした。ジムニーの入庫は約束してあるので、火曜日には工場からジムニーが帰ってくるという算段である。私の留守中に帰って行くFERMATAが残していくD40のメモリはまた一杯になっているだろう。 ![]()
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