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Le Tombeau de Saint-Saëns
サン=サーンスの芸術と生涯
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神童と呼ばれた幼年期
シャルル・カミーユ・サン=サーンス。彼はモーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
に勝るとも劣らないほどの神童であった。
音楽的素養のあった大叔母の手ほどきで、二歳半からピアノを弾き始め、
四歳の頃にはすでに作曲も行っている。
この頃、レッスンのために左手の伴奏がさほど難しくない小品を差し出されたカミーユ少年は、
楽譜を見るなりムッとして、「この曲は低音部が歌ってないよ。」と告げており、
すでに音楽における和声の重要性をはっきりと認識している。
七歳の頃から、当時演奏家として、
あるいは教育者として有名であった人々にピアノやオルガン、
作曲を師事するようになると、その神童ぶりはますます世間に広く知られるようになる。
そして10歳になった小さなピアニストは、サル・プレイエル(1)において、
ついに公式デビューを果たす。
1846年3月に行われたこの演奏会で、サン=サーンスはオーケストラを伴奏に二つも協奏曲を弾きこなし、
聴衆を魅了した。それだけではない。喝采を浴びた少年はさらに、
アンコールにはベートーヴェン Ludwig van Beethoven (1770-1827)のピアノ・ソナタ全曲のうち、
どれでも一つを暗譜で弾いてみせますと申し出る。天才の演奏を目の当たりにしたある人が、
「二十歳になったとき、息子さんはどんな作品を演奏しているのでしょう」と聞くと、
母親のフランソワーズ・サン=サーンスは「あの子はきっと自分の作品を奏でています!」と答えたとか。
また、当時の音楽誌「ガゼット・ミュジカル」は、
サン=サーンスのデビューを「モーツァルトの好敵手出現」と報じ、
後にフランスを代表する音楽家に成長するだろうこの少年を称賛した。

デビューコンサートの演奏曲目
モーツァルト / ピアノ協奏曲第4番変ロ長調
ヘンデル / アリアと変奏
ヘンデル / フーガ
カルクブレンナー / トッカータ
フンメル / ソナタ
J.S.バッハ / 前奏曲とフーガ
ベートーヴェン / ピアノ協奏曲第3番ハ短調
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(1)サル・プレイエル Salle Pleyel:現在もパリのフォーブール・サン・トノレ街に所在する由緒ある音楽堂。
ピアノ製造で有名なプレイエル社の創業者イニャス(イグナーツ)・プレイエル
Ignace (Ignaz) Pleyel(1757-1831)の名を冠し、1827年に建てられた。
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©eugenio sibaccio,1999,2003-2008
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