Le Tombeau de Saint-Saëns
サン=サーンスの芸術と生涯
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 師弟を超えた友情の始まり

1862年頃のフォーレ 《1860年頃、サン=サーンスがニデルメイエール校のピアノ教師の職務を承諾したとき、 私は彼の生徒の一人に数えられるという計り知れない運命を背負うことになった。》


 1861年の春、サン=サーンスは古典宗教音楽学校よりピアノ教師に招聘される。 学校の創設者ルイ・ド・ニデルメイエールの死去の伴い、しばらくその代理を務めてほしい、とのことだった。 そして赴いたその先で、ガブリエル・フォーレと出会うことになる。


《授業の時間を延長して、彼はピアノを弾きながら私たちに巨匠たちの作品を紹介してくれた(……)。 シューマンやリスト、ワーグナーを紹介するにとどまらず、彼は私たちに新しき地平を覗かせた。 私たちがどんな曲を作ってみたのかを知りたがったのである。 彼はまるで傑作を目の当たりにしているかのように、 好奇心をもって、私たちの習作を丹念に読んでくれたのである。》


 サン=サーンスがその生涯のうちで、ピアノに向かって教鞭をとったのは、 ニデルメイエール校におけるこの時期(1861-1865)だけであったが、26歳の若き教師は、 ピアノ以外にも同時代の音楽を紹介し、作曲の手ほどきをしたり、たちまち生徒たちを魅了したのである。 フォーレが初めて作曲を試みたのは、まさにこの頃であった。サン=サーンスは生徒の誰に対しても、 師として親しく接したが、特にフォーレとは互いに親睦を深めていく。1862年の夏には、 サン=サーンスはタルブ(現オート・ピレネー県、スペイン国境付近)のフォーレの両親宅に招かれて、 数日滞在している。  ニデルメイエール校でサン=サーンスとフォーレが出会ってから、二人は師弟として、 お互いに違う個性の芸術家として、それ以上に親友同士として、 サン=サーンスが死ぬまでの約60年間、絆を結び続けてゆくのである。



引用は1922年2月1日付「ルビュ・ミュジカル」誌に掲載されたフォーレの追悼文


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