Le Tombeau de Saint-Saëns
サン=サーンスの芸術と生涯
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 書簡に見るサン=サーンスとフォーレ

1860年頃のサン=サーンス  サン=サーンスとフォーレが60年もの間交友を続けていた証しとして、 現在二人の往復書簡集が刊行されているが、現存する最古の手紙が、1862年の夏にタルブに滞在した後、 程なくパリへ帰ったサン=サーンスに宛てて、フォーレから送られている。


《ようやく、完全に健康を回復したように思います。絶え間なかった頭痛もやみ、 もはや身体の不調について深刻に心配することは全くありません。このようなことが、 取るに足らないことなのは分かっておりますが、あえてお知らせする次第です。あなたのお便りを頂いて、 私がどれほど喜んだか、そして私の両親をはじめとして、キャロン氏や、さらにご婦人方の、 心からの感謝の念をお知りになってあなたは、より一層満足されることと思います。》


書簡校訂者によれば、サン=サーンスは実に筆まめな人で、一日に14通もの手紙を書いたこともあるという。 また几帳面な性格から、フォーレの手紙を大切に保管していたので、 上記のようなごく初期の手紙も残されているわけである。ちなみにフォーレ青年は手紙の保存に無頓着であり、 従ってこの頃サン=サーンスから受け取った手紙はほとんど紛失してしまっている。 だが仮に二人の性格が、実際とは違って非常に似通っていたものだったならば、 このように書簡集が刊行されるほど、手紙をやり取りしていなかったかもしれない。


次に引用するのは、書簡集の最後に載せられた手紙から、末尾の部分を抜粋したもの。 文中でサン=サーンスは、すでに作曲意欲が減退した書いているが、 この後、いくつかの歌曲、また現在も演奏の機会をもつ 『オーボエ・ソナタ』、『クラリネット・ソナタ』そして 『ファゴット・ソナタ』などを作曲し、 枯淡の境地に至った芸術家の絶妙な味わいを醸し出している。 とにかく、この手紙はサン=サーンスの死ぬ一年前に投函されたもので、 晩年まで二人の交友が続いていたことを如実に物語っている。


《君がヴェネチアから我々に、舟歌のような何かすばらしい作品を持ち帰ってくれるよう期待しています。 私はもう全然書いていません。(....)この夏、モンドンヴィル、ルクレール、タルティーニ、コレッリ等の ヴァイオリンのためのソナタの数字付き低音を書き直してみましたが、これは、役に立つでしょう。 でも、頭の中に、作曲の計画は全くありません。
 葡萄の収穫期は終わったのです! 85歳なのですから、黙っていてもいいはずです ─ いや、おそらく、そうしなければならないでしょう。》



引用はJean-Michel Nectoux "Camille saint-saëns & Gabriel fauré Correspondance", 1973
(日本語版:ネクトゥー編著『サン=サーンスとフォーレ 往復書簡集1862-1920』新評論)


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