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Le Tombeau de Saint-Saëns
サン=サーンスの芸術と生涯
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築かれなかった家庭の幸せ
音楽が人間の手で書かれるものである限り、作曲している最中の作曲者の情態や気分が反映されるのは、
ごく当然のことであろう。恋愛の懊悩、最愛の人の喪失、生命の危機……。
特に人間の悲劇的あるいは衝撃的な体験は、作曲家の創作意欲をますます掻き立てるに違いない。
こうして生まれた作品によって、時代を超えてもなお、聞く者は作曲者の心情に触れ、
悲しみを共にすることもできる。ベートーヴェン、シューマン、チャイコフスキー……。
ではサン=サーンスはどうだろう。彼の音楽によって、彼自身の人生の軌跡をたどることはできるのだろうか。
1875年2月、サン=サーンスはアマチュア音楽家の弟子の妹と結婚、
年末には長男アンドレが、二年後には次男ジャン=フランソワが誕生する。
母親の強い影響下で育ち、依然精神的な束縛を受け続けるサン=サーンスにとって、
そこから一時でも解き放たれた空間として所帯を構え、
そして子供と共に暮らすことはこの上ない幸せであったに違いない。だが彼の夢見た家庭の幸福は、
そう長くは続かなかった。1878年、二歳半の長男が五階の窓から転落、六週間後には次男が肺炎で、
立て続けにこの世を去る。それ以来、夫婦の間もうまく行かず、1881年に事実上離婚している。
二人の子供を一度に亡くすという不幸に見舞われたにも関わらず、
彼がどんな反応をしたのかほとんど分かっていない。彼は哀悼を表わすような作品を一つも作曲していない。
また数少ない資料の中では、友人に宛てて、子供をなくした悲劇をまるで意にも介さないとばかりに
書かれた手紙が残されているに過ぎない。
1888年には彼の人生にとって最も大きな存在であった母親が死去するが、
そのときも自分の悲しみを表わすような音楽を書いた形跡は全く見られない。
(ただこの時悲しみに打ちひしがれていた様子は、同時期にやはり母をなくしたフォーレへの書簡からうかがえる。)
サン=サーンスの作品リストは、彼の人生に何が起きたかを物語る資格をもっていないように思われる。
果たしてサン=サーンスは、音楽自体もそう判断されるように、人間的に冷淡であったのだろうか。
二人の息子や母親をそれぞれ無くした直後の一年、彼は主要な作品を書いておらず、
また世間との交際も大幅に断っている。沈黙。どうやらサン=サーンスが外に向かって悲しみを主張できる手段は、
沈黙だけだったのではないだろうか。自分の感情をうまく表現することができなかった
と言われるサン=サーンスには、何も言わずにいるままにしかいられなかったのかもしれない。
最後に、サン=サーンスが冷淡な人間では決してなかったという反証として、
フォーレの息子たちを、彼らの本当の伯父のように接してかわいがっていたという事実もあげておきたい。
19世紀ロマン主義の時代。自己の心情や体験を音楽に直接投影することこそが、
作曲の基本的な原動力でもあったこの時期、サン=サーンスは、
そういった姿勢をほとんど見せることのなかった類稀な作曲家である。
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©eugenio sibaccio,1999,2003-2008
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