Le Tombeau de Saint-Saëns
サン=サーンスの芸術と生涯
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 異邦人"シャルル・サノワ氏"

 当時、オルガンやピアノの演奏家であり、 同時に現代作曲家として知られたサン=サーンスには、 もう一つ有名な側面があった。 それはフランス随一の旅行家という肩書きである。 相次いで肉親が死去してからの後半生、 サン=サーンスは「シャルル・サノワ Charle Sannois」の偽名で世界各地を放浪し続け、 ついには異国の地アルジェで客死する。 一時はパリの住居まで引き払い、フランスに帰国してもなお、 ホテルを転々として、旅を止めなかった時期さえあった。
 のちに旅行癖となる伏線は、すでに幼少の頃から敷かれている。 サン=サーンスの父は、息子が生まれてまもなく結核で死去しているが、 この官吏の子供もまた、虚弱体質で父親と同じ病気を患っており、 この先無事に成長できるかは医者も保証できなかったらしい。 そのためサン=サーンスは汚れた空気の蔓延するパリを離れ、 しばらく乳母と共に田舎で暮らす。成長してからもなお、 頑丈とはとても言えることのできなかった顔の青白い青年は、 しばしば休暇を利用しては、おそらくノルマンディや南仏などで、 それこそ生命を保ち続けなければならなかったようだ。
フロマンタン『ナイルの眺め』(1875)  38歳(1873年)のとき、北アフリカのアルジェリアをはじめて旅行して以来、 彼は生涯に何度もこの地に逗留している。 灼熱の太陽、熱気に満ちた風。 フランスの作家カミュが『異邦人』で描いてみせたこの別世界は、 サン=サーンスには天国のように感じられたのかもしれない。 それはアフリカ大陸西岸に位置するカナリア諸島(スペイン領)においても同じことだった。 母親の死去後、サン=サーンスは突如「雲隠れ」し、 パリでは死亡説の噂まで飛び交ったが、 その間彼はカナリア諸島のラス・パルマスに滞在していた。 アルジェリアとカナリア諸島。 この二つの土地はサン=サーンスに健康と音楽的な霊感をもたらした。 『アルジェリア組曲』、幻想曲『アフリカ』、『ラス・パルマスの鐘』、『カナリア風ワルツ』……。
 しかしサン=サーンスの放浪は果てしなく続く。 ヨーロッパ全土はもちろん、東に向かってはセイロン(現スリランカ)、 シンガポールまで足を伸ばし、西の新大陸に向かってはウルグアイ、 アメリカ西岸のサンフランシスコまでに至る。 もはや「世界は狭い」と言われる今日、地球を縦横無尽に駆け回る音楽家は少なくない。 しかし、まだ飛行機旅行など未来の出来事であり、 世界旅行とはすなわち、数ヶ月をも要する船旅であった百年以上も昔、 サン=サーンスほど世界中を旅した音楽家はほかに見当たらない。


  サン=サーンスの主な旅先
《ヨーロッパ》
フランス国内全般、モナコ(モンテカルロ)、ドイツ(ヴァイマール、バイロイト、ベルリンなど)、イギリス(ロンドン)、ベルギー(ブリュッセル)、オーストリア(ウィーン)、デンマーク、イタリア(ローマ、ミラノ、ナポリ)、スペイン(マドリード)、ポルトガル、スイス、ギリシャ、チェコ(プラハ)、ロシア(モスクワ、サンクトペテルブルク)、マルタ島……
《アフリカ》
アルジェリア、エジプト、カナリア諸島……
《アジア》
セイロン、シンガポール……
(もしかしたら日本旅行も計画していたかもしれない)
《アメリカ》
北アメリカ大陸横断(サンフランシスコ)、ブラジル(リオ・デ・ジャネイロ)、ウルグアイ……


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