| ぐるり房総 > 房総のまち > 旭市(あさひし) |
| 鎌数(かまかず)大神宮 |
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東総平野の大水田地帯は「干潟八万石」と呼ばれ,米の産地として知られる。ここは,江戸中期,「椿の海」という遠浅の巨大な湖があった。 湖を干拓して農地にする計画は,江戸の商人白井治郎右衛門らが発案した。 九十九里浜まで導水路を掘って湖水を抜く大計画で,構想に25年,辻内刑部左衛門らが鉄牛和尚の仲介で幕府の許可を受け,寛文9年(1669)に着工した。 工事は,集落間の治水権争いと資金難で困難を極めた。 あまりの難工事に,伊勢神宮のご神木を湖に浮かべ,漂着した場所を掘ったところ,工事が順調に進んだという。 完工した寛文12年(1672),ご神木が漂着した場所に伊勢神宮を勧請し,干潟八万石の総鎮守とした。 鎌数の名は,実り豊かな椿新田に由来するという。 毎年3月27日・28日に奉納される「鎌数の神楽」は,県無形民俗文化財に指定されている。 境内には,明治初期に落花生栽培を広めた金谷惣蔵(鎌数出身)の記念碑がある(市指定有形文化財)。 |
| ■房総の祭り「鎌数の神楽」へ |
| ■拝観 | 自由 |
| ■料金 | 無料/Pあり(無料) |
| ■所在地 | 旭市鎌数4314(JR総武本線干潟駅から徒歩25分) |
| ■問合せ | 0479-62-1982(鎌数伊勢大神宮) |
| 旧香取海軍航空基地跡 |
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戦前,旭には旧海軍の香取航空基地があった。日中戦争が始まった翌年の昭和13年,総武鉄道(今のJR総武本線)干潟駅近くに飛行場の建設が始まった。 静かな農村は,軍用道路(今の国道126号線)が開通し,人と物資が集まって大いに賑わった。 地理的には香取神宮からかなり離れており,なぜ香取と名乗ったのか興味深い。 古来,武人の崇敬が厚かった香取神宮にあやかり,武運長久を願ったらしい。 戦時中は米軍の空襲を受け,町民にも少なからず犠牲者を出している。 戦雲急を告げると,香取基地で神風特別攻撃隊が編成され,レイテ島沖で米艦隊に突入するなど,つらい歴史が残っている。 戦後,飛行場は工業団地となり,滑走路は自動車部品会社のテストコースに姿を変えた。 旧滑走路北端にある旭緑地公園に,特攻隊員と空襲の犠牲者を悼む慰霊碑がひっそりと建っている。 周辺には,戦争遺跡の掩体(れんたい)壕(飛行機の格納庫)が残っており,悲惨だった戦争を語り伝えている。 |
| ■見学 | 自由/無料/Pなし |
| ■料金 | 無料/Pあり(無料) |
| ■所在地 | 旭市鎌数字川西一番5146-1(JR総武本線干潟駅から徒歩20分) |
| ■問合せ | 0479-62-5354(旭市都市整備課) |
| 龍福寺(岩井の滝不動) |
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正式には仙滝山龍福寺(真言宗)といい,不動明王を本尊として祀っている。開創は,延暦7年(788)と伝えられる古刹。 領主嶋田氏の崇敬を受けて栄えたが,戦国時代に伽藍を焼失し,現在の本堂は近世に再建されたもの。 境内には,湧水が大小の滝となって流れ落ち,別名「岩井の滝不動」と呼ばれる。 もっとも大きな「大滝」をはじめ,古くは47滝あったという。 周囲の森は,スダジイの極相林で,寒地性と暖地性の植物が混在する珍しい植生が見られる。 学術的に貴重な森で,昭和54年,県天然記念物に指定されている。 |
| ■拝観 | 自由 |
| ■料金 | 無料/Pあり(無料) |
| ■所在地 | 旭市(旧海上町)岩井120(JR総武本線飯岡駅から徒歩50分) |
| ■問合せ | 0479-55-3021(仙滝山龍福寺) |
| 刑部岬と飯岡灯台 |
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切り立つ海蝕崖が続く「屏風ヶ浦」は,刑部岬を境に一転して穏やかな九十九里浜に表情を変える。岬には,小さな灯台だけがポツンと建っていた。 平成13年,旧飯岡町の展望館「光と風」がオープンして開放感あふれる公園になった。 漫画家ちばてつやさんゆかりの地で,漫画のキャラクターをデフォルメした石像が楽しい。 眼下には,太平洋の大海原と飯岡漁港,全長66kmに及ぶ九十九里浜が緩やかな弧を描き,一日中眺めても飽きない風景が広がっている。 ここから見る夜景は美しく,夜景百選に選ばれている。 |
| ■房総の風景「九十九里の港」へ |
| ■開館 | 9:00〜16:30(展望階は自由)/月曜,年末年始は休館 |
| ■料金 | 無料/Pあり(無料) |
| ■所在地 | 旭市(旧飯岡町)上永井1309-1(JR総武本線飯岡駅から車) |
| ■問合せ | 0479-57-3111(旭市飯岡支所) |
| 飯岡風力発電所 |
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高さ60mほどの台地にキャベツ畑が広がる旧飯岡町横根地区。
太平洋を遠望する好ロケーションで,海からの風も強い。畑の中に立つ5基の風車は,電力事業に新規参入した「M&Dグリーンエネルギー」(ミツウロコとダイネンの合弁)の風力発電所。 公募で「かぜ太郎」の愛称がついている。 デンマークのベスタス社製の風車は,タワーの高さ65m,ローターの直径は52m。 風力発電所としては関東最大の施設で,年間約930万kwを発電して東京電力へ売電している。 計算では,飯岡の全世帯(3500世帯)が使う電力の約6割をまかなえる。 木に換算すると約1570haの森林を救うことができるという。 自然条件に左右される風力発電は,経済効率的には難しい事情があるらしい。 とはいえ,やさしく回る風車を見ていると,気持ちまでやさしくなってくる。 白い風車と田園の対比が,どこか近未来の風景のようだ。 |
| ■見学 | 自由(内部立入不可) |
| ■料金 | 無料/Pなし |
| ■所在地 | 旭市(旧飯岡町)横根地先(JR総武本線飯岡駅から車) |
| ■問合せ | 03-3517-6575(M&Dグリーンエネルギー) |
| 大原幽学遺跡史跡公園 |
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江戸後期,農村の復興に尽力した思想家・大原幽学の旧宅が保存されている。大原幽学(1797-1858)は,尾張で生まれ,若くして諸国を漂泊し学問や農業技術を修得した。 33歳で「学問は人のためになってこそ生きる」と悟り,孝と分相応を重んじ,欲に負けず人の本性に従って生きる「性学」(せいがく)を説いた。 当時,地方の農村は,度重なる飢饉や急激な貨幣経済に巻き込まれ,土地を捨てて逃げる者が続出して荒れ果てていた。 幽学は,長部村(現在の干潟町)で性学の理念を実践しようとした。 農作業を集約化し,相互扶助制度「先祖株組合」(今の農協の原型)を創設し,村の復興に手腕をふるった。 幽学のもとに農民が集まり,教導所を建てて講義した。 これが幕府の疑うところとなり,一揆煽動の嫌疑をかけられた幽学は,江戸で謹慎となり,性学は厳しく弾圧された。 赦免後,長部村に戻ると,村はもとの荒廃した姿に戻っていた。 絶望した幽学は,村人に責任を感じて自刃したという。 幽学の旧宅は自らの設計で,簡素な造りに質素な暮らしぶりがうかがわれる。 「難舎者義也」(すてがたきはぎなり)と詠んだ幽学の人柄が偲ばれる。 平成8年,旧宅に隣接して大原幽学記念館が開館し,多くの資料が展示されている。 |
| ■開館 | 9:00〜16:30/月曜・祝日の翌日・年末年始は休館 |
| ■料金 | 高校以上300,小中学200/Pあり(無料) |
| ■所在地 | 旭市(旧干潟町)長部345-2(JR総武本線旭駅からバス) |
| ■問合せ | 0479-68-4933(旭市大原幽学記念館) |
| もっと知りたい方のために | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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有形の文化財
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史跡・名勝など
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| 2009年10月27日改訂 |