ぐるり房総 > 房総のまち > 匝瑳市(そうさし)

壇林に響く揚琴のしらべ,匝瑳市

飯高壇林
飯高壇林@E950   天正8年(1580),この地に開かれた日蓮宗の学問所で,「壇林(だんりん)」とは今の大学にあたる。

  もとは領主平山常時が日生上人を招き,居館に学室を設けたのが始まり。 全国に14あった日蓮宗の壇林の中でも最高位とされた。 厳しい課程を修了して卒業するまで,実に36年を要したというから驚く。 学制発布で明治7年に廃止され,日蓮宗大学林(今の立正大学)に役割を譲るまで294年間も続いた。

  古い総門をくぐると,杉並木の静けさに包まれた凛とした空気が心地いい。 大講堂は江戸初期に焼失し,現在の講堂は慶安4年(1651)に再建されたもの。 平成の大修復で屋根が入母屋造りに復元され,端正で美しい姿に戻った。 宿坊などは失われたが,時を告げた鐘楼(1672ころ)や修行の合図に使われた鼓楼(1720)が残り,学僧で賑わった往時を偲ばせる。 廃壇当時の様子をよく残しており,昭和55年,国の重要文化財に指定された。

  毎年10月,地元の主催で壇林コンサートが企画されている。
■見学自由
■料金無料/Pあり(無料)
■所在地匝瑳市飯高(JR総武本線八日市場駅からバス)
■問合せ0479-73-0097(匝瑳市教育委員会)

内裏塚
内裏塚@E950   旧野栄町にある内裏塚は,壬申の乱で破れた大友皇子妃の耳面刀自媛(かんなみひめ)の塚と伝えられる。

  媛は,藤原鎌足の娘で,大友皇子に嫁いだ。 天智天皇が没すると,子の大友皇子と叔父の大海人皇子が,皇位継承を巡って衝突した。 かくして,古代日本最大の戦い「壬申の乱」(672)が起こった。 大友皇子は敗走して大津で自害し,勝った大海人皇子は即位して天武天皇となった。

  伝承によれば,媛は,従者と海路東国に逃れたが,舟上で病に倒れ,野手浜に漂着した。 従者や里人が懸命に看護したが,媛は20歳の若さで病没し,この塚に手厚く埋葬されたという。

  従者の子孫は,長くこの塚を守ったが,平安末期ころ,大塚原(今の旭市)に改葬し,野手の塚は荒れていた。 明治15年,地元の広田藤原彬氏が,野手の塚に石碑を建てて祀った。 このころの様子が,洋画家高橋由一の「下総国野手村内裏塚真景図」(島根県立美術館蔵)に描かれている。

  「かんなみ伝説」には諸説ある。 都から遠く離れた房総に,悲劇の伝承が語り継がれているのは興味深い。
  旭市の内裏神社では,33年に一度,内裏塚と野手浜に神輿が渡御する神幸祭が行われている(2003年10月に挙行)。
■見学自由
■料金無料/Pなし
■所在地匝瑳市内裏塚
■問合せ0479-67-1265(野栄町教育委員会)

もっと知りたい方のために
匝瑳市松山庭園美術館小高のはだか参り
■このページのTOPへ


2008年12月29日改訂