横浜開港150周年記念 戻る

本牧150年の歴史

1853(嘉永6) 6月3日、アメリカ東艦隊司令長官ペリーが4隻の黒船で浦賀に来航。
本牧の警備は熊本藩が命じられ「海中7里位は泳ぎ自在の水練の達者なる者300人」が選ばれる。ペリーは湾内の測量をするため本牧沖まで乗り入れた。
1854(安政1) 3月、米ペリーが再び7隻の艦隊を率いて来航。横浜村の応接所で幕府と日米和親条約を結ぶ。下田・箱館を開港する。
本牧を鳥取藩が警備。総数2,500人が詰め、主に海岸線に数ヶ所の砲台が築かれた。 ペリーはまたもや測量を行い、本牧八王子鼻のガケに白い塗料で横文字を書いた。この場所を「条約地点」と呼び重要な目印にしていたという。
1858(安政5) 1856年米総領事としてハリスが下田に着任。将軍家定に会い、アメリカ大統領の親書を手渡し日米修交通商条約を結ぶ。関税自主権のない不平等条約であったが、神戸、長崎、新潟、横浜を開港。

開港横浜の海岸
1859(安政6) 横浜は陰暦6月2日に開港。この日が開港記念日となる。2009(平成21)に横浜開港150周年を迎える。開港に当たり、神奈川運上所先の海岸に二つの石組み突堤が造られ、東側突堤が「象の鼻」と呼ばれ保存されている。
1864(元治1) 「居留地覚書」によって、「外国人遊歩道」を幅6m、全長8km馬車も通れる道路を山手から小港、本牧、根岸まで作られた。
1868(明治1) 明治維新
1869(明治2) 本牧沖に航路標式の本牧灯台船戒礁丸が設置される。灯台船の始まり。
船体は木造で長さ21m、積載量130トン。灯篭は高さ12mのメインマストの上に取り付けられる。 「アカフネ」と称して地元の漁民から親しまれた。
1889(明治22) 横浜市誕生 議会議長 原善三郎
1901(明治34 市域拡張により、本牧が横浜市に編入。
1906(明治39) 生糸商の原三渓が三渓園開園。市民に無料公開。
1911(明治44) 路面電車が本牧乗り入れ。麦田トンネル開通。
1913(大正2) 和田山に下村観山が移住。
1923(大正12) 関東大震災
1924(大正13) 市電間門まで開通。
1933(昭和8) 安達謙三が八聖殿を建てる。昭和12年横浜市に寄贈。
1939(昭和14) 8月16日原三渓 死去 享年71歳
1941(昭和16) 太平洋戦争勃発。
1945(昭和20) 5月29日朝大空襲、B29、500機で本牧全滅。終戦。
1946(昭和21) 現新本牧地区70万uを接収
米軍Yokohama Beach DH-Area地区に910戸建てる。
米軍住宅街
1952(昭和27) 対日講和条約が発効
1958(昭和33) 開港100年祭開催
1959(昭和34) 根岸湾埋立開始
1964(昭和39) JR根岸線開通
1970(昭和45) 本牧市電撤去 根岸線開通に伴い市電は廃止された。
1977(昭和52) 根岸森林公園開園
1978(昭和53) 横浜開港資料館開館
1982(昭和57) 3月31日接収解除 新本牧地区建築協定認可
1985(昭和60) 新本牧地区まちづくり指針議決。仮換地指定始まる。新本牧まちづくり始まる。
1989(平成1)
マイカル本牧開業。ベイブリッジ開通
1994(平成5) 本牧神社  本牧二丁目から本牧和田へ遷宮。
8月第428回「お馬流し」

本牧和田の
本牧神社

2006(平成18) 三渓園開園100周年
原三渓(1868-1939)は下村観山(1873-1930)と特に親しく、三渓園松風閣には「観山の間」を設け、観山の襖絵を飾ったり、和田山には「観山邸」をつくって支援した。
下村 観山展 6月1日より7月2日〜「弱法師」(よろぼし 重文、東京国立博物館所蔵)はじめ「春雨」,「魚藍観音像」等観山の主な絵50点が展示される。
2007(平成19) 横浜市中区制80周年 (ハマの風、中区から
記念式典(10月1日)、ハローよこはま2007(9月30日根岸森林公園)、文明開化歴史ウォークラリー(5月)、なんでも鑑定団、シンボルマーク(チューリップ)制定、記念誌発行区民提案事業等が行われる。
2009(平成21)  横浜開港150周年
 参考資料:島田昌子さん作成「本牧近代歴史年表」

戻る