陽の光失せた刻限。

 昼に祝福された人間が支配する街は、耳に痛いほどの静寂に抱かれ、まどろみの中。動く気配は一つとてない。

 静寂が運ぶのは、大気と梢の囁く声。遠く街の外からでも耳に届く。

 ――――静かな、良い夜だなぁ……。

 頭上、雲を洗われた夜闇の中、三日月がその笑みを一瞬だけ零し、また雲に飲まれていった。

 思わず、夜の后に投げキスを返してしまう。

 ともあれ、月が隠れて闇多く、人々は安穏に寝入って全てが無防備。

「完璧だ」

 夜の闇を音もなく蹴って、オレはとある屋敷の壁を越える。

 五メートルを越える跳躍の後、広い庭には着地の音すら皆無。例え足元に羽虫が寝ていようと悟らせるつもりはない。

 目指すのは、三階にある馬鹿に広い一室。階段を使って上品に訪ねても良いが、生憎と忙しい身だ。

 手近にある木を駆け上り、その枝から一気に跳躍。

 窓ガラスを突き破る音が、静かな夜を叩き起こした。

 だが、部屋の主が飛び起きた瞬間には、その分厚い唇を押さえて太った喉元を露にさせ、

「あんたの愛妻からの熱烈な伝言だ。受け取りな」

 命乞いの暇さえない。一気に喉を切り裂き、血を撒き散らさないようにベッドに押し付ける。ついでにベッドの下の宝石箱を引っ掴み、それに接吻。

 今回の依頼の報酬は、この宝石箱の中身という事になっている。ついでに、物取りの犯行に見えなくもあるまい。いずれにせよ、宝石店の経営に真っ当な手段を使わなかった人間だ。敵は多い。

 ずっしりとした箱の重さが、この肥満の男の命の値段なのだろうか。こいつなら一カラットのダイアでも勿体無い気がするが。

「ま、いっか。毎度あり」

 割れた窓ガラスから夜に身を躍らせ、屋敷の使用人達の狼狽の声を背後に、一気に屋敷の塀を飛び越える。

「ちょろいね」

 侵入から三十秒弱。

 この暗殺商売、どれだけ実行時間をかけないかで、素人と玄人が解るというものだ。

 明日のこの街のニュースは、宝石店のオーナーの遺産相続で持ちきりだろう。

「オレがそのニュースの出所だなんて、笑っちゃうね」

 日の目を見ないはずの暗殺者が、誰もが注目するニュースを作るのだ。

 全く、……笑わずには、いられない。

 

 オレが所属する暗殺組織の名は、“赤眼(レッドアイ)”。

 裏組織としてはかなり有名な部類に入る古参で、老舗のようなものだ。注文を受ければ、その値段に見合った働きを確実にすると評判が高い。

 だから客の入りは多いし、古くからの馴染みが、いつの間にかお偉いさんになっている事だって稀じゃない。

 実際の話、まだ二十二歳と若輩のオレだが、初期に完遂した暗殺の依頼主の一人は、現在とある王国で王様の右腕をしているらしい。

 人を数人殺しただけでそんな金持ちになれる政治の世界。そのくせ、オレは何十人殺しても一生を食っていける金額には届かない。

 まあ、多少の贅沢な暮らしはさせて貰っているが。

「ほらよ」

 酒場の奥、一般客は立ち入り禁止の地下にある立派なデスクに、重い宝石箱を放り投げる。

「重い重い。ちっこい石ころだけとは思えないね。金か銀の塊でも入ってんじゃねぇのか?」

 ぽりぽりと頭を掻くと、赤いドレスを着た女――オレの一押しの美女で名前はロサ――が肩を竦めて宝石箱を手に取る。彼女の黒髪から覗くイヌ科の耳が可愛い。

 鍵はかかっちゃいるが、オレ達にとってはちょっと開けるのが面倒だってくらいだ。

 ロサが組んだ脚の上で宝石箱を動かす。スリットから覗く白い脚がたまらなくセクシー。

「なあ、ロサ。今夜どう、暇?」

「馬鹿言わないの。もうじき朝よ、あ・さ」

「ちぇ、そうですねー」

 ぽりぽり。頭を掻いて周囲を見渡すと、姿見の中に色男を見つけてしまった。

 人懐っこそうな笑みを浮かべた、二十代の金髪の男。黒い三白眼は少々目つき悪く見えるかもしれないが、それもまた魅力というもの。

 そして、長い犬歯と人間の耳があるべき場所のネコ科の耳が、男を亜人と呼ばれる種族に形成している。

 鏡の中のナイスガイの名は、ディール・ジャンギル。

 偽名だけど。

 ていうかオレだけど。

 いや、今日も格好よく決まっている。なんでロサはこんなスマートなオレになびいてくれないのか。

「開いたわよ」

「ロサの心が?」

「宝石に対してね」

 ああ、そうですか。

 ロサはオレの視線には目もくれず、箱の中のイヤリングや指輪、ネックレスを一掴み。切れ長の赤眼を細めて内容を鑑定する。

 組織の名前は、彼女のそのルビーよりもなお赤い瞳が由来だ。

 詳しい話は知らないが、彼女は火の精霊と縁が深いらしく、その瞳の赤さは火精からの祝福の証なのだとか。

 それだけ。

 彼女に対して、この組織の数十人のアサッシン、裏も表も知るオレ等の全知識をかき集めてその程度。

 ミステリアスな女、ロサ。全くもって最高に好みである。

「上出来ね。これなら報酬として充分だわ。ご苦労様ディール。何か欲しいものある?」

「もちろん、ロサが欲しい」

「あたし? あたしは高いわよ……?」

 呆れたように、ロサは頬杖を突いてこちらを見上げる。その仕草もまたセクシー。

「いくら?」

「そうね、国一つで我慢してあげるわ」

 そう来たか。国一つ、国一つか。

「ああ。ただし、革命直後とか王の入れ替わり直後で政財不安定ならお断りよ? あたしが欲しいのは名実ともに安定した一流国家。もちろん政治はあたしが指示を出しただけで良いようにしつつ、あたしに迷惑をかけない。――――そんな所ね」

 本当は他にも三つか四つ、すんごい困難な条件を挙げたそうな不満顔で彼女は腕を組む。

 心の底から思う。この女はスゲェ。間違いない。こいつがこんな暗殺組織一つまとめているだけで腰をすえているなんて信じられない。

「あんた最高の女だね。男使って世界征服しそうな所が」

「あら、アリガト。ディールも素敵だと思うわ。その耳とか」

 耳かよ、と微苦笑を漏らして、溜息を一つ。

 すると、ロサが頬杖を突いたまま、ルージュの引かれた唇を綻ばせ、

「良い女の条件はね、綺麗なのは当たり前として、手に入らないってのが重要なのよ、ディール?」

 なるほど。

「あんたが言うと、世界が納得するだろうよ」

 それぐらい、ロサは美人なわけだ。

 

 その次の朝。

 欠伸を噛み殺して地上の酒場に出ると、ディールの姿がなかった。

 おかしい。ディールは仕事がなければ朝は必ずここで一杯やっている。そして、仕事なら全てあたしを通してされるはずだ。あいつがいないという事はありえない。

「ちょっと、ディールはどこ?」

 酒場のバーテンダーをしている蛇の亜人に言うと、彼は小首を傾げる動作を一つ。

「ロサさんが仕事出したんじゃないんですか? 姿見えないから、てっきりそうだと思ったんですけど?」

「馬鹿言わないの。ディールはあたしのお気に入りよ? 仕事の後はご褒美として玩具にするに決まってるじゃない」

 酒飲ませたり酒注がせたり、嫌いな野菜を無理矢理食わせたり蹴っ飛ばしたり殴ったりするのだ。

 ストレス解消である。あたしの。

「そいじゃおかしいですね……。あいつが仕事以外で朝一に出かけるなんてありえないですし」

「夜型だものね」

 ディールはネコ科の亜人、種族的にも夜の活動の方が得意なのだ。

 カリッと音を立てて爪を噛むと、嫌な予感が思考の上に零れる。

 この組織をまとめてきた経験が言っている。厄介事だぞ、と。

「ちょっと、数日前、あたしが断った依頼があったわね?」

「え、あぁっと……あの依頼主が散々食い下がってた奴ですね? そうだ、そいつ昨日もいましたよ」

「ちっ、馬鹿ね。気づいたんなら追い払いなさいよ」

 そうですね、と頭を下げ、バーテンはすぐに顔を上げる。

 解っているのだ。後悔するくらいなら次を考えて動けと体に恐怖で叩き込んである。

「話してたのは事務やらせてる新米でしたよ」

「小僧っ子が欲を出したのね。連れて来なさい。あと、馬の用意も」

「はい」

 爪を噛みながら、もう一つ舌打ち。

 ――――暗殺組織を舐めたらどうなるか、ガキに教育してやる……。

 この稼業は、意外なほどに信頼の上に成り立っているのだ。

 万一、その信頼を損なった時、裏切り者に待つのは想像し得る限りの非情。

「あの依頼主、プテリュクスって街のオルキス・ハーティストと確かに言ってたわね」

 それは不味い。ヤバいのだ。

 その人物だけには手を出してはいけない。

 例え国王殺しを依頼されたって、こんなには慌てない。

 この時ばかりはディールの優秀さを呪ってしまう。

「“姫”に手ぇ出してたら、ディールと一緒に首差し出すしかないわね」

 どこのどいつに差し出すか?

 世界相手に、だ。

 

 奇妙な依頼だった。

 仕事柄、人を見る目には自信がある。

 こいつは口が軽いとか、こいつは信用できるとか、こいつは金さえあれば安心だとか。

 その点、この仕事を持ってきた新米は信用できない部類の人間だ。書類にロサの判子がなかったらここには着ていなかっただろう。

 そして、それ以上に奇妙なのは被殺対象の方。

 パーティー会場の主賓。オルキス・ハーティスト。

 白いドレスの二十歳前後の女で、悪戯っぽい琥珀色の瞳が綺麗だっていう以外に感想が出ない。エメラルドの長髪は艶やかで、さっきすれ違った時、どっかで見た王族なんぞよりよっぽど良い香りがした。

 耳が尖っている所を見ると、ひょっとするとエルフかなにか……。

 二、三度エルフを見た事があるが、全てあんな美人だった。

 そして、その女の取り巻き。

 薄青のドレスの女と、サファイアのローブを羽織った少年。

 どっちも美形。なんだこのパーフェクトなトリオ。

 女の方はどう見ても手練。その掌に見える剣か槍が作ったであろうタコと、ドレスの凹凸から推測されるしなやかな体躯。

 冗談じゃない。なんでこんな小さな街に、こんな腕利きがいるわけよ。目測だけで宮仕えの騎士程度の実力は確実だ。

 少年の方は一切が不明。初めて見るタイプで判断がつかない。青ドレスの女と同じで、何かの武芸の心得はあるようだが……それ以外の何かを第六感が感じ取る。

 やれやれ。

 溜息を一つ吐いて、手近な来賓客にワイングラスを手渡す。

 今のオレの格好は給仕係。依頼主の手引きで上手い事潜り込めて良かった。あんな奴等が相手じゃ毒殺が一番安全だ。

 にこやかな笑みでパーフェクトトリオに近づき、三つのグラスを勧める。巻き添えを食う二人には悪いが、全部毒入り。

「では、有難く頂くとしようかの」

 ターゲットのオルキスが笑ってグラスを取り上げる。

 やっぱり不思議だ。どうも、ロサに似た空気を持っている。こう、人を小馬鹿にするような笑みが。

 しかし、美女・美女・美少年、この三人が一度にこの世から消えて亡くなるとは、オレも罪な事をする。

 にっこりと笑って頭を下げると、三人はグラスを打ち合わせて口元に運び、

「ふむ?」「あれ?」「……?」

 三者三様、小首を傾げた。

 馬鹿な。毒がバレたか。いやそんなはずはない。無味無臭と亜人のオレ達が豪語するロサ秘伝の毒薬、味、ましてや匂いだけで解るはずがない。

「おい、ウェイター」

「はぁ、なんでしょう?」

 オルキスに呼ばれるが、ポーカーフェイス。顔には何も出さないさ。

「これは毒入りじゃな」

 ――――バレてるぅぅぅ!?

 青ドレスの女がナイフを、少年がフォークを握る。

 どっちもパーティー用にしか過ぎないが、この二人が使えばオレぐらいは相手出来るかもしれない。なにせ、暗殺者っていうのはそんなに強くないんだから。

「しかし見事じゃの。これでも人を見る目には自信があったが、さっぱり気づかなんだ」

「何の事だか……良く解んないですが……?」

「ほほ、とぼけるのも上手いの、小童。じゃが甘い。世の中には、そこらにいる水精と会話出来る種族もある。正直者の水精が云うておる、毒入りじゃ、と」

「――――」

 白を切りきれない。というかなんだ。

 そこらにいる水精と会話……そんな事が出来るなんざ知り合いの精霊術士にも一人もいねぇ。

「あんた、何モンだよ」

 問いかけ。しかし、答えなんざ聞きたくもない。

 すぐに走り出し、窓ガラスへと――――

「おぉ、速いのぉ……流石は亜人」

 のんびりとしたオルキスの声。痺れるね。この状況で慌てもしない。

 取り巻きの二人も追う様子もなく傍観するばかり。有難い。捕まえる気もないらしい。

 ガラスを突き破り、夜の中へと飛び出す。

「アバヨ、美人さん! もう二度と会わなくて済むよぐへぁ!?」

 カッチョよく空中で叫んでたら、何かが物凄い勢いで顔面に押し付けられる。

「このっ、能無しディールッ!!」

 聞きなれた罵声。そしてこの慣れ親しんだ顔面の感触。

 間違いない。今オレは、ロサから飛び蹴り喰らってる。

 飛び降りようとしていたオレは、蹴りの衝撃で再びパーティー会場へと押し込まれつつ思う――――パーティーは、これから、だ?

 

 一瞬、飛び蹴りの衝撃で意識が飛んでいたらしい。

 飛び起きると、割れた窓ガラスからすんごい形相をしたロサが飛び込んできた。

 鬼。否、鬼神。

「ろ、ロサ? 一体なにがどうなってんのけ?」

 ロサはぜーはーとか荒く息を吐き、つかつかとオレに歩み寄って――――いきなりオレの腹に尻を落とし、

「このっ、ボケェ! 死ね死ね死ね死ね! 死んで世界に詫びろ!!」

 馬乗りのまま殴る、殴る殴る殴る殴る殴る。

「ぶっ、ぶはっ!? ごっ、ぎゃっあがああががががっ!?」

 すげぇ。良いパンチしてるぜロサ。我等がロサ。ジーク・ロサ。

 それから数十秒――――いい加減、殴られてる感触も失せ始めた頃、控え目な声がオレの耳を打つ。

「あのぉ……ろ、ロサ姉さん?」

 ぴたり。殺人パンチは停止した。

「あぁ、本当に久しぶりね、ニクス」

 痛みで涙ぐんだ視界、薄青のドレスの美女が、引き攣りながら笑っている。

「姉さん、その……」

「良いの、何も言わないでニクス。今回の事は全部あたしとそれ以上にこのディールが悪かったのよ」

 なんかさっぱり解らんが、どうやら、今回のターゲットはロサの身内だったようだ。道理でこんなに怒るわけだ。

 控え目に現状を表して、全身が痛い。

 ロサはオレから尻をあげて起立、礼儀正しく、オルキスに頭を下げた。

「申し訳もありません。姫、どうかご容赦を……ディールは煮ても焼いても構いませんので」

「生贄かよオレぁ」

「黙ってなさい」

「ごっ……!」

 ぐりぐり。鳩尾をヒールが抉る。

「まあまあ、ロサ、良いではないか。結果的にわしは無事であろ? そう厳しく咎めはすまい」

「結果だけを見ればそうですが……しかし、姫……」

「良い良い。そも、わしのかわゆいロサを罰せるはずもなかろうに」

 かわゆい!?――――よもや自分が所属する暗殺組織の長がそんな扱いをされるとは。

「どれ、久方ぶりにロサの顔を見せておくれ」

「もちろんですとも」

 頷くロサの顔には、組織にいる時は絶対に見せない、無邪気な笑み。

 すんげー可愛いけど何かもう解らん。

 オレは思考を止めて、ばったりと気を失った。

 

 で、眼を覚ましたらまず、顔面に包帯を巻いている女と目が合った。

「あぁ、起きましたか?」

 格好は何かの制服になっているが、間違いなく薄青のドレスを着ていた美女さんだ。

「あ、と……? なんか世話になってるみたいだけど……? ロサの妹さんだっけ?」

「ええ、扱いの上では、ですが。初めまして、ニクス・グラキエースと申します」

 凛々しいお顔に小さく微笑みを浮かべる彼女。クールな人だ。こういうのも良い。

「あんたも美人だなぁ……ニクスさんね」

「はい、今後ともよろしくお願いします」

「あい、よろしく。……今後とも?」

 何故に。

「はい、あれからロサ姉さんと姫……白いドレスの人です。姫が話し合って、決めたんです。この街、プテリュクスの自警団に優秀な情報収集役がいないと聞いた姉さんが、迷惑料としてディールさんを、と」

「…………へえ」

「ですから、これからよろしくお願いします」

 あはは。

 オレ、こんな堂々とした人身売買見た事ねぇよ。

 がっくり。

「……よろしくお願いしまぁす……」

 ――――迷惑料ねぇ……。

 

 ディル・ジャンギル。二十二歳。性別:男。

 特記『暗殺者』

 追記『奴隷階級』

 


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