どこか遠い場所で、夜鳴き鳥が鳴いている。
窓の向こうの暗い庭よりも、ずっと遠く。人々の眠りを飛び越えた森の深み。梢に爪を立て、夜にクチバシを突き上げて、夜鳴き鳥が、鳴いている。
どうして、夜を貫いてこんな場所まで届くのだろう。
いや、現実に鳴き声は届いていないはず。だから、きっとこれは幻聴。
私の脳が現実を受け入れる事を拒んでいるのだ。
だって――――目の前では七面鳥が丸焼かれてクラッカーが弾け飛んでワインがたくさんのグラスに注がれて私は立派なウェディング風ケーキの前に立たされて、
「ハッピーバースデー、ニクス! ほほ、お主も今日から二十歳じゃのぉ」
とか育ての親に笑顔で言われているのだ。
……一体どこで何がこうなってしまったのだろう。
私の頭は、酷く冷静に真っ白け。
思えば、年の始まりから四日間、激しく忙しかった――――
一月一日。
月の無い夜が、太陰暦を使うこの地方の新年の迎え方だ。
新月の路地は酷いと言えるくらいの暗さで、しかも酒場で千鳥足になった人達が歩き回るのだから、その日が無事に済むという事は例年ありえなかった。
そして今年も、やっぱり無事に済むわけがないのだ。
「あぁ、おじさん。こんな所で寝ないで下さい。風邪を引いてしまいますよ?」
この街は海底火山の影響で海風が暖かく、赤道付近に位置する事もあり、真冬でもそう寒くない。
が、あくまで寒冷地と比べればである。吹き抜ける風に襟元を立ててしまうくらいは寒い。
「んな事言ったってや、姉ちゃん……もうわたしゃ歩けねぇですよぉ……」
「だからと言って、ここで寝たら大変です。ほら、肩を貸してあげますから」
溜息を一つ。完全に赤ら顔の男性を担ごうとしたら、向こうから自警団の制服を来た青年が慌てて駆けてくる。
「ニクス副団長! い、良いですよ、そんな仕事は僕等下っ端がやりますから」
「あ、クライク君……。いえ、こういう仕事には上も下もありませんし」
が、彼は、奪うように男性を担ぎ上げて荒い鼻息を一つ。
「そういう問題ではありません。ニクス副団長に酔っ払いを担がせたりしたら、先輩から何言われるか……」
「……?」
――――どういう事かしら。私が労働する事に文句を言う団員がいるのでしょうか。
だとすれば由々しき事態だ。確かに私は少々若すぎるが、だからといってそんな指揮能力に関わる所まで問題が発展しているとは気づかなかった。
「どの先輩ですか?」
「そりゃもう、自警団で双頭をなす熱狂党である副団長親衛隊の先輩方ですよ」
「? あの、クライク君、そのような名前の部署はないはずですけど……?」
クライク君は力強く頷き、
「非公式ですんで」
それっきり、口を真横に結んで男性を担いでいく。
「副団長、親衛隊……?」
小首を傾げる。何だろうかそれは。
この後にでも、姫――――いや、団長に聞いてみよう。
とりあえず、今は見回りを続けなくてはいけない。
――――そういえば、この行事を抜ければ、私は一つ年を越える事になるのですね。
一月二日。
早朝、街の養鶏場から聞こえる鶏の声が恨めしい。
結局、新年初日から貫徹である。流石に五年前に比べれば慣れたが、目がしぱしぱするのが辛い。
「おやおや、ニクスちゃん、大丈夫かい?」
ぽん、と肩を叩く陽気な声。
振り返れば、この自警団で屈指の情報収集家であるディールさんが、にこやかに白い犬歯を覗かせている。
団内の男子から胡散臭い、女子からは魅力的だという噂を耳にした事があるけれど、普通の笑顔だと思う。
「えぇと、大丈夫でなくはないですよ」
微苦笑すると、ディールさんは熱い珈琲を差し出してくれた。
「熱いのは苦手だろうけど、眠気覚ましにはこいつが良いよ」
この人も徹夜しているというのに、尖っているネコ科の耳を見れば、まだまだ元気なのだろう。こういう行事に強い人は良いなぁ、と素直に思う。
「ディールさんはお元気そうで羨ましいです。何か、徹夜のコツでもあるんですか?」
「うん? 徹夜のコツねぇ……」
そうだね、と彼は頷き、
「よし、今度コツを教えてあげよう。ニクスちゃんだけに特別だよ」
「あ、本当ですか?」
「うん、この忙しいのが終わったら、二人でディナーでも取りながら……」
そっと手を握ってくるディールさん――――に、横合いから蹴りが強襲。しかも、こめかみに靴の爪先が入っている。
「がばふっ!?」
「あ……」
横に吹っ飛んで女性団員に突っ込んだディールさん。を、無表情に見送る蹴撃の主。
澄んだ碧眼と、艶のある黒い三つ編み、整った十代半ばの顔立ち全体は、どこか風の凪いだ水面を思わせる。
精霊も顔負けの美少年――――ゲンマ君は、無表情に私を見て、
「ニクス。ディール菌がうつる」
「は、はぁ……。ディール菌?」
「うむ。変態異常を起こす、致死性」
重々しく頷くゲンマ君。私は、そんな名前の病原菌を聞いた事はないのだけれど。
「って、待てやゲンマぁ!」
女性団員を押しのけてディールさん復活。凄い回復力。こめかみに綺麗に入っていたのに。きっと、どこかの誰かさんに殴られ慣れているのが原因な気がする。
「人をいきなり蹴り倒しておいて保菌獣扱いかこのガキャ!」
「む……」
「なんだテメェ、その態度はぁ……」
「ニクスに寄るな。この――――」
少し考え、
「下水ネズミ」
「なっ」
一秒、二秒。
「ネコの亜人だぞオレぁ! だ、誰がネズミだガキャ!?」
「ディールがネズミ。齧歯目テンジクネズミ科ディール。有害菌保有につき隔離指定種」
「あん!? テンジクネズミっていやお前! て、テンジク、ネズミ……?」
ディールさんは一呼吸、背後の女性団員を振り返り、
「リズちゃん。テンジクネズミ科って、なぁに?」
「あ、え、ええっと……テンジクネズミ科は良く知りませんけど、テンジクネズミって、あの、その……ごめんなさい、モルモットだったと……」
それを聞いて、ディール君は微笑み。
「あぁ、モルモ、モッ、モッ……モォオオオ――――!?」
モルモット。地上で最もマッドサイエンティストと似合う哀れな動物。
って、
「ゲンマ君、流石にそれは言いすぎですよ」
「……いや、ニクス。だけど……」
眉を潜めるゲンマ君――――の首に、回し蹴りが、直撃。
「ああっ! でぃ、ディールさんも落ち着いてください!」
「モッ、モッ!」
ディールさんは私を指差し、失神して倒れたゲンマ君を指差し、
「モォォォ帰るぅぅぅ!!」
「ディールさぁん!? あ、あぁぁ……行っちゃいましたよ……」
まあ、仕方がない事だろう。
この大陸では、かつて亜人に対する酷い実験が行われていた時代があったと、団長に聞いた事がある。
憎しみは、抱いた側が忘れる事はまずない。
などと考えていると、リズさんが私の袖を小さく引く。
「あの、ニクス副団長」
「あ、はい、なんでしょう?」
「副団長はモテモテですね。ちょっと羨ましいです」
「はぁ……そうですか?」
――――どこの誰にだろう?
綺麗に意識が飛んでいるゲンマ君を抱き上げつつ、今年の誕生日はゆっくり休めるのかなと、そんな事を考える。
一月三日。
「ほう、副団長親衛隊?」
「ええ、そうなんです」
自警団の最上階、守護するべき街を一望できる一室で、団長は悪戯な微笑みを浮かべた。
「ほほ、お主は相変わらず人心に疎いというか、己を知らぬというか」
団長は二十歳前後の外観に完成された気配を滲ませつつ、エメラルドの髪をかき上げる。
「団長は、何かご存知なのですか?」
「知っておるとも。わしにも親衛隊がおるしな。わしからすれば、お主が今まで気づかなかった方が驚きじゃよ」
彼女は笑う。とても、魅力的な笑みだ。上に立つ者独特の高慢さと、踊り子独特の気安さ、そして子供のような無邪気さ、私が世界で一番好きな笑みのあり方。
「んまあ、それは良い。別に害があるものでもないしのぅ。それよりもほれ、書類を出さぬか」
「そう、ですか……少し納得行きませんが、すみません」
ずしりと重い紙の束を、黒檀の机に置く。約百枚の、報告書である。
「あの、団長。何も今すぐにやるべき書類でもないのですから、時間をかけてゆっくりしてはいかがでしょう?」
「そうも言っておられまい」
団長は首を横に振り、
「明日に大事な用事があるのだからな」
「大事な用、ですか?」
何かあっただろうか。
小首を傾げる私に、団長は笑みを一つ。
「ほう、忘れておるのかや?」
「えっと……そのようですが、何が……?」
「ふむ。なら良い良い。ふふ、忘れておるか。ふっふっふっふっふ」
「ひぅ……だ、団長?」
思わず一歩後退――――この人は私の育ての親ではあるのだが、時折、凄く怖い。
――――しかし、明日の大事な用……何かあったでしょうか。
そして、一月四日。
朝っぱらから、団長――――仕事中ではないので“姫”、の屋敷の一階に、やけに人が集まっていると思った。
しかし、誰が予想しうるだろうか。
パーティーホールで、自分の誕生日の用意が着々と進んでいようなどと……。
――――しかし、
「あ、ありがとうございます、姫……」
ゲンマ君も、ディールさんもいる。リズさん、クライク君も今日は非番だったのだろう、ちょっとしたお洒落着でワイングラスを片手に満面の笑み。
――――困りました。
「すまぬな、ニクス。こちらに着て五年、いつも年始は忙しかったゆえ、ろくに祝ってやれずに……寂しかったであろ?」
「え、えぇ……そうでも、なかったですけれど……」
――――私の誕生日は、
「と、とにかく、ありがとうございます、皆さん……」
――――私の誕生日は、一月の、十四日なのですがぁ……。
引き攣るのを自覚しつつ、とりあえず笑みをこしらえ、持たされたワイングラスを掲げる。
――――これはもう、白を切り通すしかありません。
『かんぱ〜い!』
どこか遠くで、夜鳴き鳥が、泣いている。
ニクス・グラキエース。二十歳(十九歳)。性別:女。
特記『公式誕生日一月四日』
追記『非公式誕生日一月十四日』