020218 さらい

 

 

 羽音。
 彼が何をしたのかにようやく気づいて、真っ空を振り仰ぐ。
 そのときにはもう空は、一面の破裂音に覆われていた。
 叩きつけるかのような、耳を割るような空気の、羽ばたきの擦れ合う音。
 暗い灰色の翼が幾重に重なり合って、小さく僅かなその透き間、明るすぎる空との逆光のコントラストが映えた。
 僕は半ば呆然としたまま飛び去る群を眺めやる。
 音の振動が、まだ肌に震えを残していた。
「ここら辺、白い鳩がいないよね」
 今見せたことなんかなんでもないみたいに、スエンは言う。
 彼は空を見上げたまま。
「鳩も寒いほうになると黒くなるのかなあ、どう思う?ルックは知ってる?」
 彼の故郷の地には白い鳩が多くいた。
 確かにあの都はからりとした空が印象的で、温暖だ。引き換えここはいつも寒い。
 答えを待つような目線に促され、しかし確証はないから、声まで震えるのだけは避けようと懸命になって漸く、さあ…、とだけ一言で答えた。
「似合い不似合いもあるよな、黄土と濃灰の鳩は似合わないよね」
 子供の小指ほどの大きさの金属製の笛を無造作に胸元に突っ込む。
「それにさ、冬の寒さや雪よりも、鳩は白くちゃあいけないよね」
 白い息を吐きながら問いかける、
「ね、そう思わない?」
 彼のその笑顔に、雪の消え残るこの地を、僕は改めて眺め渡した。
 きっとあの黄金の都にはもう春が来ている。ここはまだ、長い冬の終わり。
 綿埃のような産毛がいつの間にか石の敷かれた足元に落ちていて、ふわりと踊るように弧を描いて壁際の残り雪に寄り添った。
「あ、寒い? 中入る?」
 彼は何の気をかける風もなく訊いてくるけど、
「別にそういう訳じゃ…」
 僕は言葉を返しながら、彼の不思議な雰囲気を今更のように不思議だと思い始めてしまっていて、言おうとした何かを忘れてしまったので、その後ろに言葉をつなぐのをやめて彼を見た。
「春は遠いね」
 傍らの樹の、黒く湿った幹に触れながら、空を見上げる。
 それに倣うと、広がりとともに細くなる枝の間から真っ青な空が見えた。
 樹はまだ、眠ったまま。
「………うん」
 さっきの鳩と同じ種のものか、またあの灰色が、枝々の格子の向こう側を真っすぐに飛び去って行った。
「それともどうかな、もしかしたらもう、直ぐ」
 そう言って笑って、不意に雪のうえに座り込んだかと思うと、傍らの樹の、太い幹の根元辺りの雪を掘り返しはじめる。
 全く何がしたいんだか、…わからないのはいつものことだけど、これでも少しはわかるようにはなったのだけど、
 とにかくわからないし仕方がないから、と心の中で勝手に思って、子供みたいな顔で雪を触るそのそばにしゃがみこんで、その指先を眺めた。
 出て来たのは虫でも蛙でも(嫌だけど)木の芽でもなく、ただの黒い土。
 彼は器用に左手に噛み付いて手袋を取り払い、右手のうえの土をざらりとなでた。
「…色とか、湿り気とか、いろいろあるらしいんだけど、ややこしいことわかんなくても、触ればわかると僕は思うんだ」
 促されるままに手を差し出すと、手のひらの真ん中に真っ黒な土を載せられる。
「やっぱりまだ眠ってる」
 この樹も、と付け足して、手袋をしたままの右手で軽く幹を叩いた。
 手のひらの土に目をやると、固まっていたものが崩れて空気を含んで、細い呼吸をしているかのように思えた。
 そしてふと、さっきまで外套の中に入れっぱなしだった自分の手のひらこそが、大きく呼吸をしているのだと気付く。
 冷えた外気と、ほんの微かにわかる土の匂いが心地よかった。
 彼や、その仲間と共に生きる機会がなければ、この土の匂いもきっと知らないままだったろう、とぼんやりと思う。
「南下しようか」
「え?」
 側で、彼が小さく言った。
「南ではそろそろ春が来てるし、暖かいよ」
 僕が寒がることを言っているのか、それとも、春の話が出たからどうとかそんな理由だろうか?
 僕は首を振り、
「……このままでいいよ」
 少し驚いた顔の彼を見やった。
「……春よりも、…春の来るのが」
 言いながら、右手の土を払い落とす。
 白い雪のうえに散った土の色が、それだけで、急に春の様相を見せた気がした。
 僕は言うなりふいと顔を背けるけど、彼はやっぱり笑って、
「確かに、北上してけば、春の来る瞬間は長く見られるよね」
 ただ思いつきの言葉を立春の空に楽しげに聞こえさせた。
 春の立つ、けれども春はまだ遠い。
「じゃあ、またトランに戻るのは夏になるね」
 彼はやけに清々しい口調で、抜けるような空を仰いだ。
「…………そうだね」
 あの都は、夏が似合う。
 そこらじゅうが金色の気配で、
「夏までには戻ろう」
 空がどこまでも大きい。
「春さえ来てないのにね」
 彼はからりと笑う。あの都の空も。
 彼の故郷というのに、あれほど似合うところもない、と僕は思った。
 見上げる空の色は青く、あの都の夏ともそう変わらないのに、
 ここは未だ雪が消え残り、空気が冷たい、樹も土も眠ったままだし鳩は濃灰色の羽で、
 冬は、きんとしてそこにある。
「本当に寒いな、中に入ろう、ルック」
 外套の前を合わせて、彼はすっと立ち上がる。
「………ルック?」
 目線を外し難かったその空の、残映をのこしたままで、僕は呼ぶ声と共に歩きだした。


 春は遠い、快晴の下。

 

 

季節もの好きなんですけどね!いつも書けないので。
(立春からは十分遅れてますけども)
土の話は前にも書いたんだけど、なんだか好きらしいです。土。
(スエンが土好きなのかもしんない)
旅の空なのか、いつの話なのかなんなのかとか、
妄想のみをたよりに深く考えずに書いたので、
できたら深く考えずに読んでください。(待て)