innervision
020401 さらい
| 理解に時間がかかってかかってここまで来てしまったのは、 彼が難しいのでなく、彼の世界に全く追いつけていなかったからなのだろう。 会えてよかった。 横たわり腕の中で、吐き出すように呟いて、彼は質量を消した。 声はかすれていたし、唇も動いてなくて、最後の息と同義だったのかもしれないが、 それでも彼の台詞はしっかりと言葉になって、空気中に押し出された。 もしかしたらあれは、お前でよかった、と言ったのかもしれない。 何度か反芻して急に、そうも聞こえると思い立った。 一度そう聞こえてしまうと、もうどちらだとも確証なんか持てないけれど、 また彼のことだから、本当はもっと別のことなのかもしれない。 最後まで、そんな一生答えのわからない(なのに確実に答えの存在するような)問いを僕に残していくなんて、 正直たまったもんじゃないと、こっそりとそう思って、また彼を思い起こした。 何にせよ彼は僕の性分くらい知ってるはずなんだから、 わざわざそんな別れをしなくたっていいはずなんだ。笑ってくれれば、今ならなんだって解るんだから。 何か言葉にしたいと思わせるものがあったのかもしれないけど、 そんなものなくても思い出すのに。 僕の脳裏で相も変わらず、齢300歳の少年はけらけらと笑ってばかりだ。 背中の視線を、真っ直ぐに伸ばした背筋で跳ね返して、また窓の外を見て、 この病人扱いをどうにかして欲しいと思う。 周りの彼らにしてみたら、 僕が背筋を伸ばしていることが、そのまま無理をしているということになってしまうようだ。 (むしろ向こうに無理をさせているような気さえしてならないのだが…) 彼らの気持ちは解るとしても、だからと言って弱みを見せてどうなるものでもない。 大体、もとよりこれは指導者の義務なのだ、ある程度は。幼少からの生活の中でそう学んできた。 17年間も将軍御子息をやってきて、軍事の切り詰めた非情さにも、ある程度のショックにも慣れてはいる。 父の部下は僕をよく構ってくれたけれども、その半数は死んだ。十くらいまではその度に大泣きしていた。 グレミオは小さい僕を膝に抱いて、 彼のことは残念ですが、テオ様はお強いから大丈夫ですよ、 と決まった言い回しのようにいつも言ってくれたのだけれど、 死なないとか大丈夫とかそういう問題じゃあなくって、父はきっといつでも悲しかったのだと思う。 今こうして軍主という立場に自分で立ってみて、父の気持ちが漸く解る。 心を濁らせるわけにはいかない。 澄んでいたい。目の中で世界が濁るのは避けたい。 軍に入ってから一度も絵具箱を開けていないが、どうしただろう。 持ってきたことには持ってきたはずだ。 あの逼迫した中でよくもまあ引っつかんできたものだと、自分に感心する。 どこにやったか解らない。あとで探すことにする。 (…グレミオがしまいこんだままだったらどうしよう。 彼の私物は適当に『整頓』されてどこかに突っ込んであるらしいのだが、 クレオの思うよう突っ込んだのだったら、 そう簡単には掘り出せないのに違いない……彼女には家事能力はない。) 絵具箱に、濁りを見つけてしまったらと思うと少しだけ怖い。 蓋を開けるのは、例えそれがなんだって怖いものなのだろう、本来は。 (ジャムのビンを開けるときにまでそれが怖いとは思わないが、 中からジャム以外の何が出てこようが不思議はないはずなのだから) 色の記憶はどうにか留めておいて、余裕の出来た頃にちゃんと描いてやろう。 (ペンでだけなら散々つきあわせて描いたから、多分顔を忘れることはない。幸いなことだ) 背中の視線は未だにこの部屋に居座っている。 部屋の中だから遠慮がないんだろう。あの抑えをしない視線は壁に見事に反射するので、 部屋の大部分を背にする位置でも真っ向から受け止めることを要求される。 窓の向こうに逃がそうとしても、できない。 ここで溜息をついてしまったらさすがに何か動きがあるだろうから、 ゆっくりと大きく息を吸って、吐いた。 (これはさっきから何度か繰り返しているので反応しないだろう) 空気に程よい張りを持たせて彼はベッドに腰掛けている。(はずだ。) (音もなく移動することくらい彼にはたやすいだろうが、意識の濃さが位置を動いていない) あれははっきりとした意識の顕現で、好きなところの一つでもあるけれど、 この場合一体僕にどうしろっていうんだろうか。 じっとして、意識の深みにはまってればいいんだろうか。 そろそろ組んだ足も痺れてきたので、 別のことを考えている振りだけしてさりげなく足を組替えた。 そしてまたぼうっと考える。 この季節の少ない日光をぼんやりと溜め込むこの場所に酔うように、頬杖を付いて瞬きを。 消えた宿星、墜ちた星は、今のところひとつだけで、(そのひとつがどれほど大きくとも) 空は何も変わりない。 今は昼間で、星の灯が明るさにかき消されている間だけでも、 運命性の何物とも係わり合いを持たない、 ただ人として日常と少しの非日常を戦い抜くと思っていたあの頃に、…その近いところに、立てはしないだろうか。 漠然とした不安はおそらく、あの悲しみたちとともに少しずつ消えていって、 かわりに別のものが生まれて、総体をどんどん違うものに変えていく。 だからいつかはようやっと、遠方のそのスピードで、僕を見るだろう。果てのない距離感を間に置いた意識。 でもそれが例えどんなものでさえ、直接的に末梢を震わせ火を揺らす、恐怖はひとつだ。 僕はこのさきまだ誰かを失うだろうか。 (そりゃあ当然、長い一生のうちには失わぬわけもないのだけれど) 前のほうには、やっぱり今でも遠く広い浅瀬があって、そこは子供みたいにざわざわしている。 きっと痛みもある。感性の鋭い犇めき合いが軋むように音を立てている。 頭でこうして考えていることがまったく役目の利かなくなる、若しくは荒野のような、 ざわめきの広さだ。 遠さは近さで出来てることを知ってさえいればいい。 近寄って見れば、人と、その纏うものの、混ざりあいや重なりあいの熱があると知っていれば。 何を食して何に触れようと、人の一番奥まで潜り込むのは人だと。 ほかの、何物でもない。本当に。 だから、僕は、ひとりでは。 「…動……」 びくっ、と反射的に全身の神経を震わせて。 それからすぐに、あれはルックなんだという、どこやれか無償の安心感が脳に届く。 不思議な心持のまま呼吸をして、どうかしたのと声をかける前に、 「………かないで」 途切れかけた言葉を最後まで言い終えて、背後の気配がふわりと揺れた。 止まった思考は宙に浮いたままで、でもそれはすぐに、動いた部屋の空気にゆらいで、 糸のように縺れを解かれて、やがてそこにかき消された。 「振り向かないで」 今度ははっきりと、言葉が耳に届く。 今まさにそうしようとしていたことは、仕方がないからとりやめて、 僕は彼の言うとおり、動かず、振り向かないことにした。 本当は、あの思考も彼も全部愛しいものだけれど、 この想いに勝れるものはないのだからと信じたい。 気配は細い腕をゆるりと、僕の首に回した。 肌の白いおかげで、その手の躊躇いや戸惑いがやけにはっきりと窓ガラスに写しだされていて、 ここはあたたかいのに、 ぎゅっと力のこもったあとも、頬に押し付けられた小さい頭、柔らかく細い髪は震えっぱなしで、 「………ルック」 慈しむように名を呼んで、そうして、それがまさに自分の思いを見るようだと、少しだけ思った。 それから、すぐ傍にある体温だけは、どんな思考をしていようとも本当で、そこには何も嘘がない、 そういうことを感触で理解らされる思いだった。 |
innervision、まあなんていうかそのままかな。
英語の時間にでも暇してたら、
visionとかvisionaryあたりを辞書で引いてみてください(笑)
スエン坊ってそのままそんな感じなので。
(視力良かったり先見の明があったり、思弁的だったりとかです。)
こんなSS書いてもわけわかんないことにかわりはないのかしら。(笑)