天の瞳
020125 さらい
| 天候が荒れている。 …どうやらちょっとやそっとの話ではないようで。 今にこの風は止むだろうけど、大雨やら大雪やらが降るよ、とあっさりテンプルトンが予言した。 彼の専門は地理だけあって、天候のことにも通じている。 と同時にフッチの後押しもあったことも手伝って、(こちらも空の専門、といったところだろう) 真剣にハルを始めとする軍部の中心にいる連中が緊急召集され、 対策として窓をどうこうとか何とか言って、なにやら会議まで開いててんてこ舞いしている。 兵舎まで手など回らんとかぼやきながらシュウがかつかつと神経質そうな靴音をあからさまに立てて 目の前を通り過ぎるのを、スエンは些か敵わないと思いながら見送った。 ここはそう雪の多い土地ではないし、台風の季節は最早1年の裏側だ。 大体この時期に大風なんか吹くものか。 多少ルックがいらいらしたからと言って(させていないという保証がない<笑)、 こんな異常気象宜しき事態にまでなろう筈もない。 当のルックも今回ばかりは面食らっているようで、 「…言っておくけど僕のせいじゃないからね」と会議でうんざりしながら発言していたが。 それを受けてかどうかは知らないけれど、 ハルはわざわざルックを指名して「ルックは僕の部屋の補強手伝いね」と言い放ち、 しばらく窓の外を眺めて会議を聞き流していたスエンは、 ハルと目が合った瞬間にっこりされたかと思うと「じゃあ、スエンさん、ルック、行きましょうか」などと 言われてしまっている。 …これでは今さらルックがいくらセット扱いするなとこぼしたところで、 会議内から反論の余地があるはずもない。 尤も今回はこんな状況だけに、ルックが不平を言う間もなかったらしい。 慌ただしく会議は御開きになり、二人は半ばどさくさで、ハルの部屋の古い雨戸と金具の補修に取り掛かる羽目になった… と、まあ結果的にはそういうことのようである。 「え、だってルック、スエンさんか誰か付けとかないと動かないから。で、とりあえずここに」 ハルは針金をねじる右手を止めずに、平然と言い放つ。 「仕事してよ。ルックが器用なこと、僕ちゃんと知ってるんだからね」 言いながら蝶番の原型(としか言い表せない。名前を知らないし、第一名があるかどうかも)の入った革袋を軽く放り投げて、 嫌々ながらルックが受け取るのを確認するとすぐに視線を手元に戻した。 「…多分君に比べたら程度の話だと思うけど?」 「なら十分だよ」 ぱちんぱちんと小気味良い音とともに針金の端を切り落とし、金具の補修があっさりと完了する。 「ナナミが不器用だから、僕がふたりぶん器用なんだ」 自身ありげに、曇天に真鍮の金具をかざして見せる。 ルックは、反応に困った発言を見かけ上さらりと流して、仕方なく袋に白い指先を突っ込んだ。 「まあ、リサイクル本拠地だからしょうがないって言ったらしょうがないけど」 …確かに、しばらくの間無人だったおかげで、ヨールカフェスタはそこかしこにガタも来ているのだが。 スエンは、トランのマイストングよりは随分マシだろう、とこっそり思いつつ、 頭をかきながら立ち上がるハルを見上げた。 (何せあの城は土地柄まともな窓すらなかったのだ) 窓を開けるとごうっという音と共に風が吹き込んでくる。 「あ、1分我慢して」 言うが否や、雨戸のうち上の金具をくるくると取り外し、先ほど自分が作り上げたばかりの金具を止めていく。 きゅっ、と最後にひとつネジを締め終えると、ハルは勢いよくばたん!と音を立てて窓を閉めた。 「あとそっち側の窓の分だ。頼んだよ?」 ハルの台詞には無表情で承諾して(これが通用するくらいハルはルックの扱いに慣れている)、 今の突風で髪が乱れたのを気にしているのか、肩までの髪を軽く梳きながら、ルックは手についた金物の匂いに顔をしかめた。 と、戸口からぴょこぴょこっと顔を出す姿がある。 「あ、皆居たんだ。暖房機ついてるのここと会議室だけだもんなあ、ずるいよね」 「リーダーの部屋なんだからいちばん設備良くて当り前だろ…」 「わかってるよそんなもん」 フッチの言及をぴしゃりと返し、テンプルトンはベッドの端に腰掛ける。 フッチは頭をかきながら2秒ほど送れてテンプルトンの隣に座り、そのまま投げやりにベッドに倒れこんだ。「お〜い、寝るヒマはないよ」 ハルは笑いながらフッチの腹の上に向けてルックの持っていた金具の袋を放り投げたが、 それはその前にテンプルトンが伸ばした手の中に収まった。 「僕らはさっきまで力仕事をしてたんだ。寝かせてくれたっていいよね」 言うなりテンプルトンもフッチに倣ってベッドに背を預ける。 ルックは、阿呆らしい、とかなんとか呟きながら、金物くさい手を洗いに行くと言って立ち上がったが、すかさずスエンが言うことには、 「ねえ、二人とも? これ以上嵐が酷くなるのは僕としても吝かではないんだけど」 そうしてルックの消えた戸口を指し示す。 『……』 …詳しいことは忘れたが、シーナの御蔭で台風被害が増加したのは3年前の話。 「…やります」 「流石フッチ」 「…馬鹿だなあ」 「有難う、テンプルトン」 面白いほど沈痛な面持ちで大人しく手を出すフッチに、面倒くさそうな視線と言葉を投げかけながらもテンプルトンは金具をばらばらと袋から出して、組となる形を探してフッチに手渡す。 スエンは、可愛いなーと思いながらさすがにそれは口には出さず、 金具をくくる針金をそちらに放り投げ、自分の作業に意識を戻した。 「テン!」 「何?部屋帰ってからにしようよ!さっむ」 フッチは立ち止まり、渡り廊下は冷えると言ってばたばたと走り抜けるテンプルトンの名を呼んで、窓の外を指差した。 「……雪」 「え?」 テンプルトンは、思わず駆け戻ってきて慌てて窓を開ける。 「………ほんとだ」 思わずぽかんとした顔で、灰色の雪雲から降る大きな雪を見上げた。 上を見ると、ただ質量のある雲がその身をすこしずつ降らせているかのようで、吸い込まれそうな錯覚に陥る。 テンプルトンは、この感覚が好きなんだ、と言ったけれど、その小さな声は、あらゆる音を押し静めてしまうかのような空間に、例外でなくかき消された。 「日が沈む頃になって風が止んで冷え込んだから、もしかしたらと思ったけどね」 窓枠から身を乗り出して、やけにわくわくとした表情でフッチが言う。 テンプルトンはいかにも積もりそうな大粒の雪を眺めながら、思い切り息を吸い込み、 「綺麗だね」 今度は雪にかき消されないようにはっきりと、窓の外に向かってそう言った。 またそこからが戦いで、窓枠の補修は雪かきにとってかわられた。 雪は窓にうちつけることはなかったが、やはり寒さをしのぐ上で先ほど補修した雨戸が役に立ったのは幸いだった。 雪かきに駆り出された面子にはその恩恵にあずかる暇はなかったが。 「何で俺らなんだ…一般兵はどこ行った!」 「何こういう時だけ隊長面してるんだお前は…」 叫ぶビクトールに、フリックが呆れ返っている。 「大体まだ止まないのに雪かきなんかな、」 「まあ、この寒さじゃ叫びたい気持ちも解るけどね」 「おお、解ってくれるか?」 「でもそれより雪運んでくれる?」 かいた雪の山を指差すスエンがあまりににっこりと笑うので、ビクトールは諦めて大人しく山にした雪を台車に載せ始めた。 「兵舎は今ごろもっと大変なことになってるよ、ビクトール」 ハルは建物のつくりを書いた地図を手に、方々を回りながら指示を飛ばしている。 「何度か手加えてたおかげでここはまだマシなんだから。 本館は本館に住んでる人間でやらないことには申し訳立たないよ! あ、屋上が終わったら食堂のテラスね」 先ほどの緊急会議で検討した『潰れそう』な場所には一応赤いインクで丸がつけられているが、 いかにせんこんな大雪に降られるのは初めてだし、 この城がどれほど老朽化しているかもよくはわかっていないことを今さらのように後悔した。 雪かきにしても、雪が止むまで待てればよいのだが、 すでに降雪量はおおよそブーツの埋まるほどまで振っていて、 どこまでならテラスが無事か、どこまで積もるのか、も全く見当のつかない以上、 今できることは今やってしまうしかない。 幸い今は小雪のちらつく程度である。 「いつもあれくらいスピーディーな会議がいいよなあ、15分」 「…そんでいつも雪かきやるのか?」 「ぶつぶつ言わないでよ、二人ともおじさんだなあ」 『何ィ!?』 「…確かに」 ハルの台詞に加えて追い討ちをかけるスエンを一瞬恨みがましそうに見つめると、 二人はそのまま押し黙って雪を運びつづけた。 「…ところでさ、今フリックのほうが反応が早かったよね」 「…やっぱり?でしたよね」 「放っとけ!」 「あ、聞こえてた?」 「聞こえるわ!」 「あはははははは」 「ありゃ自覚ありだね」 向こうからわめきたてるフリックを見遣りながら、寒空の下であることを忘れるくらい二人は笑った。 (ハルの部屋には火桶と風呂から熱を引く暖房機があります) 「お、やっぱりあったかいでやんの」 「…お帰り」 「ルックに火番頼んで正解だったねー」 完全に頬を赤くして帰ってきたハルとスエンは、部屋に帰るなり外套を暖房のあたる壁際に掛けると、漸く一息つけたかのように床に座り込んだ。 大雑把に雪を掃っただけの外套からはすぐさま水滴がたれはじめて、床に小さな水溜りを作った。 「…僕が寒がりだって言いたいわけ」 「わざわざルックの部屋の火桶、大部屋のと替えてあげたのに何を言いますか」 笑いながらハルは手袋を外し、スエンに手を出すと、手袋はもう一組重なって、まもなく部屋の隅に吊り下げられた。 スエンの右手には包帯が巻かれたままだが、怪我をしているわけではないからと言ってなかなか替えないものだから随分薄汚れている。 「これは皮手袋の色がうつったからで、ずっと巻きっぱなしにはしてないよ!」 スエンは、ルックの視線に弁解するように、苦笑いと共に付け加えた。 「でも冷えてるでしょ、どのみち一度取らないときっと霜焼けひどいですよ」 それは間違いなく、この部屋に居る人間がこの3人だからあっさりと言える台詞で、 「替え、ありますから」 ハルはそう言うと、申し訳程度においてある机のがらがらの引出しから包帯の白い一巻を取り出して、スエンに手渡した。 ぐるぐると包帯を外していくと、手首から先だけ目に見えて白い手に紋章が鎮座している。 「どうせなら日に焼けない肌だったら良かったかなあ」 手首の色の分かれ目に添えるように左手を重ねて、スエンは部屋の照明に手をかざした。 逆光で、色の見分けはつかなくなる。 「…言っとくけど、夏場どこにも出られないよ」 「なんか痛いくらい現実味有るなあそれ…」 「実際痛いんだよ」 夏場の遠征を悉く断ったルックを、ハルは記憶に留めていた。 「で、もう秋だからって言って無理やり引っ張っていったらまさにその日にスエンさんに遭遇したんですよ」 「へえ」 「それ以上一言でも言ったら本来の用途で包帯が必要になると思ってよね!」 「ハーイ」 ハルは馬鹿みたいに笑いながら片手を上げて敬礼の真似をしてみせ、 「…あんたもだよ!」 ルックは辞書ほどもある厚みの本を音を立てて閉じると、包帯を巻きなおす手を止めて笑っているスエンを怒鳴りつけた。 「あ、雪、止んだのかな」 ハルは不意に小窓の方を眺めると、机の椅子から立ち上がり、じゃあちょっとシュウさんとこに行かなくちゃ、と言って、 「留守番、引き続き頼んだから」 そんなことをいいながら出て行ってしまった。 外はもうとっくに日が落ちている。 スエンが小窓に引かれたカーテンを少しあけると、窓枠の外にはどこまでも静かな青色の空間が降りてきていた。 降っていた時間はわずか半日だが、積もった量は相当のようで。 「…全く慌ただしい…」 ハルの出て行った戸口を眺めて、ルックがひとりごつ。 「慌ただ……ねえ」 スエンは頭をかくと、ルックにすいっと手を伸ばしたかと思うと上腕を引っつかんで窓のところまで引っ張っていく。 「何すんのさ!」 ルックは読んでいた本を落としかけて、あわててソファに放ると、 「窓の傍は寒…」 「慌ただしいなんて言ってごらんよ」 ルックの台詞を遮り、スエンは軽くそう言って、ぽんぽん、と背中から両肩を叩く。 しんとした夜が、すぐ向こうにあった。 ルックが窓の外のあまりの静けさに数瞬呆けている間に、 「スキありー」 スエンはすぐさま、ルックが今しがたまで身を預けていたソファを占領した。 「は!?…ちょっと!どきなよ!」 「おやすみー」 「おやすみじゃない!何考えてんのさ!」 つかつかと歩み寄ってくるルックに、あー楽、とか悪びれもせず笑って、 「随分解りやすいことのはずだよ?」 すばやくルックの首の後ろに手を回したかと思うと勢いよく引っ張った。 「ちょっ…」 抗議の声を上げる間もなく、ルックがスエンの上に倒れ伏す。 「放しなよ」 台詞に反して、スエンの腕が背に回されるのを睨みつけて抵抗するが、 「一応言ってるって感じ」 …全く効いていない。 眠たそうに、しかもこの口調でそう言われてしまっては、もう打つ手などないんだ、ということを、ルックは感覚で悟っていた。 「…あっそう。ほっといてよ」 憮然としたような呆れたような、そういう表情でそっぽを向き、諦めたように胸に耳を押し付けるルックを、スエンは慈しむような表情で見遣ってから、 ここがハルの部屋であることを忘れないように勤めなければならないことを確認し、しばらく逡巡したあと、ゆるりと瞼を閉じた。 「では、明日は全軍上げて雪の処理、ということですね」 シュウが事務机から立ち上がって、確認を告げる。 「雪合戦って言っても差し支えないつもりでいるからね?」 「…それでは困りますよ」 「とりあえずこの城の潰れる危機は過ぎ去ったとは思うけど?」 さっきの僕らの働きのおかげでね。 シュウの困ったような呆れ顔に、ハルはにっこりと笑顔で切り返した。 一方はいかに仕事をさせるか、一方はいかに仕事の中で遊ぶか、のこの見事な駆け引きは、何事かあるたびに繰り広げられている。 大抵はハルの一人勝ちに終わるのだが。(アップル達はこの件に関してはもう自分が戦力にならないことがわかっているので口をはさまないのである) 「あ、ところで」 ハルの言葉に、シュウが振り向く。 「今日、僕もここに泊まっていって構わない?」 「またどうして?」 「部屋、明渡してきたんだ」 ハルがへらっと笑うと、シュウも呆れたように笑うけれど、 「…では、彼の使う客室ででも寝たらどうです?」 苦笑いしながらのこの台詞では、きっと解っているのに違いない。 「それもそうだけど」 すこしだけ首を傾げてから、 「ここの雰囲気が好きなんだ」 ハルはそう言って微笑んだ。 「では、書類処理でもしますか?」 「いや、今日は休日だよ」 にっこりと笑う。 「…」 大してこちらは全くの苦笑い。もう反論などできないのは明白だけれど。 「皆は?」 無言のままシュウがボードを指し示すのを目線で追うと、 そこには大量のメモが重なり合って留められている。 近寄って見てみると、出張先だの何がどうこうだの、走り書きのものばかり。 一番上に留められたものは、『担当分残務整理 次回遠征地 下調べ 以降明日!迷惑かけます』で、 これを書いた誰かが余程疲れていて、やむなく今夜は早々に床についたのだろう、ということは伺える。 見たことのある話もあったが、殆どがそれを受けての事務処理であることに、ハルは改めて彼らの仕事の大変さを思い知る思いだった。 気晴らしは終わりなのか、シュウはまた席について書類を広げ始める。 「泊まるのなら、仮眠室はそちらですよ」 シュウはそうハルに告げるが、ハルはシュウの後ろ側に回り込み、 「いや、まだ眠くもないし…」 と言って、シュウの持つ羽ペンの先の動くときを待ち構えている。 シュウの言うのも解らないでもなかったので、ハルは正直に、 「少し見ていちゃあだめですか」 と訊いたが、シュウがはっきりと、 「残念ながら、気が散るのでね」 と言ったので、ハーイ、と気のない返事をして、隣の仮眠室に引きこもることにした。 「寝ている人間は起こさないでやってください」 念を押すように言うシュウの台詞に、ハルはさっき感じた思いを反芻し、 今度ははっきりと、はいと返事をして、 「お先におやすみ」 と言って笑顔を向ける。 「お疲れ様でした、よく休んでください」 シュウの言葉は、堅苦しい言葉面と、ほかの何かを併せ持ってああであることを、ハルは知っていた。 ハルはそれをしっかりと聞いてから、ゆっくり背を向けて、隣室への扉を開けた。 翌朝早くに、ハルはいきなり皆を叩き起こして回った。 スエンとルックが目を覚ましたときにも、 「今日は雪かき!でもって雪合戦!仕事は皆休みー!!」 と触れ回りながらばたばた走る軍主の声が廊下に響いていた。 「休日というわけではないですよ!あくまで雪の処理です!」 それを追うようにして飛んでくる軍主の声に、スエンはおきぬけなのも忘れてけらけらと笑った。 意外にというかそれっぽいというかあまり寝起きの良くないルックは、その横で憮然とした表情を浮かべながら後ろ頭の髪をなでつけていたが、 「……朝っぱらからやかましい…」 そう言ったっきりソファの背に頭を任せ、半寝のまま天井を仰いでいる。 スエンは、額にかかったルックの前髪を一房避けてやってから、昨夜なんだったかで自分が外したルックのサークレットを握ったままなのを思い出して、とりあえずと思って無造作に懐に突っ込んだ。 「…ちょっと」 それをしっかり見逃さずいたのか、顔だけをこちらに向けたルックの抗議の声が飛ぶ。 「…ああ、まだ寝てるからと思って。つけてあげようか」 しまいこんだばかりのサークレットを取り出してスエンはそう言ってみたが、 「………馬鹿?」 この低血圧な少年が寝起きのけだるさも手伝ってかなり冷ややかなツッコミを下したので、 スエンは差し出された手に大人しくサークレットを乗せた。 金属の鎖の擦れ合う音が、冷え込んだ冬の朝の空気を溜め込む部屋にかすかに響いた。 一晩スエンが握り締めていたせいで金属はまだ中途半端な温かみを持っていたが、それをどうこう言うほどルックの頭が働き出せないうちに、その熱は冷えた空気にすっかり奪われてしまった。 皆が起き出して来た混みあう食堂で、ハルが大声を張り上げている。 「一般兵の方々は基本的に部隊毎に配置になりますので、隊長職のひとは気が向いたらそちらにも顔出してやってください。 では、配置がわかった方は食事が終わったら、できたら解けてぐちゃぐちゃになる前に雪かきしちゃってくださいね! 今来たひと、これから来るひと、ここに部隊配置表貼っときますんで参照してください。以上です」 似合わない書類を抱えて、慌しく去ろうとするハルに目をやると、先に声をかけられた。 「あ、スエンさん、お早うございます」 言いながら駆けてきて、近くに来てから、 「ルックも、お早う」 と笑顔を向けた。 スエンに対して敬語をつかいながらルックに対してはタメ口を聞いてるものだから、いっしょくたに呼べなくて仕方なくのことなのだろう、おそらく。 「配置、見えます? 二人とも一応本館の中庭配置にしてありますんで」 スエンは壁に貼られた配置表を見遣り、…そしてハルを見遣る。 「…あれ、意識的に集めたでしょう…」 「勿論。僕らは雪合戦やるんですよ」 胸を張るな、とツッコミを入れる間もなく、 「……いつ決まったのそんなこと?僕はやらないよ」 スエンの後ろから額に手など添えてルックが言うが、 「……………軍主命令」 しばらくの沈黙ののち、 「…あーーーこういうときばっかり何でそんな強引なんだよ!」 ルックが折れた。 やった!とハルがガッツポーズをしてみせる。 仕事という言葉を出しておけば、いやいやながらというふうに折れてはくれると知っていた。 「遊びに全身全霊をかけるのは最早天魁星の宿命だもんねえ」 「あんたそこでそっちにつくわけ!?」 「なーるほど、スエンさん流石!じゃそういうことでルック頑張ろうね!」 決まりになるなり、ハルは手を振って駆け出して行ってしまった。素早い。 連れ出されるのが本当に苦痛な人間はこの妥協がないから、余程の拒絶が見えない限りハルもスエンも結局のところではそう遠慮がない。 こうなってしまえば、必死の抵抗にももう全く意味はないことは、ルックも身にしみてわかっていたし、別にいいよなんて言葉を言わずに済むのなら楽だった。 「じゃあ早いところ食べなくちゃあね、雪が解けるまえに!」 どんなことがあってもこの興味のスタンスを崩さない彼の姿勢を見るのも、好きだったからだ。 「あ」 スエンは小さく声をあげて右腕を伸ばすと、勢いよく飛んでくる雪玉をはじき返す。 「だから別にそのくらい庇ってもらわなくても…!」 後ろから飛んでくる反論も聞き流して、 「あのねルック、僕はやりたくてやってるの」 また飛んでくるのを掴んだと思うと、そのまま気持ちよく投げ返した。 「言っとくけどルックを庇える機会って意外に少ないんだよーこんなおいしいこと滅多に」 「…今最後何てった?」 「秘密」 聞こえてなかったと思うなよ!とかなんとか口の中で呟いて、ルックは雪の玉を積み上げる。 そこにまたすぐ腕が伸び、今積まれたばかりの雪玉を二、三引っつかんだかと思うと、頭の上でびゅんと風を切る音がして、敵陣から「ンにゃろ!」とか叫ぶシーナの声が聞こえた。 「あいつルックに当てたくないから反撃できないんだぞ、馬鹿だなあ」 そのままけらけらと笑いだして、うわっとかいう声と同時に一撃くらわされていた。 馬鹿はどっちだ、とルックは言ったが、雪を思い切り踏みしめる音にかき消されてスエンには聞こえなかったようだった。 「どう!?僕らの勝ちでしょー!?」 傍らの、高く積んだ処理済みの雪の山の上から、ハルが怒鳴る。 「馬鹿言ってんじゃねェよアホー!!大体…」 向こう側でシーナが怒鳴り返すのを、言い終わらないうちにメグが背中に圧し掛かり、シーナを雪山から落としてしまった。 「シーナはねー、ルックが居ないから不満なのー!」 叫んで、ミリーときゃあきゃあ笑っている。 「ああ、つまり、大体…、の続きは、なんでスエンさんとルックがこっちで…とかってことね」 ニナは、ここぞとばかりにフリックが兵舎に逃げ込んでしまったので(あそこはどうにも女性は立入りにくい)仕方なく参戦している。 「気持ち解るけどねー」 腕を組んで、ぷうっと頬を膨らませるニナは可愛らしいものだったが、普段の彼女のテンションについていける人間というのはそうそう居ないだろう、こういう不意の可愛さを見て幸せになれるのも。 「ちゃんとジャンケンで決めたんだからシーナの運が悪いんだよー!」 ハルは大声で言って返した。 「あ、ニナ、ナナミ、当たるよ!」 「きゃっ」 ハルの声が届くか届かないかのうちに、ふたりに雪玉が命中する。 やっりィ、と上がる声はテンプルトンとフッチとサスケ。 公平なジャンケンだが、何故かこの3人、一緒になってしまった。 3人足して3で割って漸くバランスが取れる連中だから、それでいいのかもしれないが。 「ひっどーい!ハル!やっちゃっていいわよ!」 ナナミの台詞を聞くまでもなく、ハルは足許につくりおきしておいた雪玉をすばやく掴んで、投げようとした瞬間、避けようとしたままサスケが滑ってすッ転んだ。 「わッ」 フッチがサスケを引っ張っている間に、チャコが雪玉を彼らの頭上の木の枝めがけて投げつける。 ぼすっという音がしたかと思うと、かなり景気よくどさどさと、二人の上に大量の雪が降り注いだ。 「チャコえらいッ!」 ナナミが大はしゃぎで飛び上がって、ピースサインなんかしている。 「今のは翼なんか使ってないからなー!ヤーイヤーイザーマアーミロー」 先ほど翼を使うのは反則だとクレームがついたのを気にしているようだ。 反則、とかいうコトバに弱いあたりが男の子である。 「馬鹿じゃないの!?」 テンプルトンが二人を一蹴するのが聞こえて、ハルは笑いをあげた。 「…あれ?スエンさんとルックは?」 「…あ、逃げられた?!」 ニナがまったくもう、と叫ぶと、 「シーナー!今からシーナこっちー!」 ハルは雪山から怒鳴ったが、シーナはハルたちに向かって、 「どうせあいつら逃げたんだろ!これから反撃するから待ってろよ!」 叫ぶなり雪をかき集め始める。 「あ、ロクヨンはひどいんじゃないの!」 交互に双方を指差してハルは怒鳴るが、 「知るか!元々そっちばっかり年齢層高いんだよ!」 答えの代りに雪玉が二、三個飛んでくる。 ハルはそのうちの一個を受け止めて投げ返すと、 「わかったよ!!見てろ放蕩息子!!」 「うるせェ一般ピープル!!」 「地方豪族も一般ピープルだろ!!」 「おりャ今や大統領閣下御子息ってことになってんだよ!」 「えらいのはレパントさんでシーナじゃないだろスネカジラー!!(職業名詞形らしい)」 最早何の話だかわからなくなっているが、子供の喧嘩とは得てしてこういうものである。 …それがたとえワルプルギス軍軍主(16)とトラン共和国大統領閣下御子息(19)であったとしてもだ。 もう双方対戦はどうでもよくなったらしく、チャコが飛び出したのをきっかけに、皆雪山を離れて中庭の道の真中まで出て行って、そのあとは半ば解け始めた雪のかけあいになった。 背中に雪を入れてみたり足をかけて転ばせてみたり、ぎゃあぎゃあとひたすら騒ぐこの連中を、渡り廊下からシュウは呆れたようなどこか羨ましそうな顔で眺めて、軽く溜息をついてから、『仕事しろ!』と怒鳴りつけるために階段を下りていった。 「後で文句言われたらあんた何とかしてよね」 「あれだけ付き合えば十分だろ」 ルックの視線を笑い飛ばして、スエンは窓を開けると、上着の雪を思い切りはらった。 ん、と手を差し出すと、自分でやる、と返ってきたが、いいから、と結局抵抗のなくなったルックの上着を引っつかんで雪を払い落とした。 「他意はないんだと思ってなよ。やらせといてくれればいいの」 言ってルックの上着を軽く窓際に吊り下げた。 丈の短い、外套とも少し違う上着の名前はルックはよく知らなかったが(何せ外套が必要なところになんか殆ど出ないのだ)、 身長も殆ど変わらないはずのスエンの上着がゆるいと感じたのは少し癪だったのだ。 「こりゃあ今日中にあらかた解けちゃうね」 雪の降った次の日の空はやけに青く、日差しが強かった。 窓際に居たら熱いと感じるくらいに。 「勿体無い、とでも言うつもり?」 言いながら、ルックはブーツを脱いで寝台に上がりこむ。 「トランの雪って降っても積もらないでしょ」 窓際を離れてルックの傍に腰掛け、 「それにバナーが雪で埋まってれば、帰らない言い訳にもなる」 グレミオには悪いけどね、とあとから付け足した。 「…たいした山道じゃないけど、バナーだって峠だろ…そう簡単に解けないよ」 壁の方を向いたまま素っ気無さそうに呟かれたルックの言葉を聞くなりスエンは思わず笑いだしたが、 ルックも慌てた言い訳がないところを見ると、思わず言ってしまったことではなかったようで、 スエンは、照れてるんだろうなあと思いながら、寝台に寝転がっているルックに思い切り背中を預けた。 「重い!」 とりあえずルックはそう叫んだが、直接に伝わる、スエンの笑っている感触がどこかいとおしく感じられて、 それ以上何かを言ったらそれがバレるのも目に見えていたから、それ以上の抵抗を止めた。 スエンは一頻り笑った後で、背中の感触に小さく「オヤスミ」と告げたので、 ルックは「昨日からこんなのばっかりだ」と返したが、そのあとで、 こいつのことだから、ついさっきせっかく隠そうとした思いも全部伝わってしまったろうな、と思い立って、 諦めて一言、お休みと返してやった。 スエンは、眩しそうに目を瞬いて、しばらく目を細めたまま背中の呼吸を聞いていたが、それが寝息に変わった頃、漸くゆっくり眠り始めた。 |
オールキャラ的なようで結局坊ルック…(何)
あ、甘いよね…!?自分甘いの書けないと思ってたのに…!
新境地…?(そんなん寒中見舞いにせんで下さい)
長ったらしくってスミマセン。
タイトルは灰谷健次郎の『天の瞳』から。
ちゃんと読んでないんですが、子供の話。立ち読みで少し。買って読みたい!
pupilというのは生徒とか子供って意味と瞳って意味とあるので、pupilだったり…
なんていうか皆笑ってばっかりですね(笑)
こちらは寒中見舞いらしい冬っぽい冬のお話なので、
絵の夏っぽさはこれで勘弁をしてやってくださいませ!
(ありゃあ夏っぽすぎですね<笑)