O'Carolan's Legend

アイルランドを代表する音楽家オキャロラン(Turlough O'Carolan 1670〜1738)
の生涯と伝説について

オキャロラン伝説

 彼は貧農の息子として生まれた。さらに運の悪いことに天然痘を患い、18歳の時全盲となった。これが第一の試練である。しかし当時の社会福祉の流儀に従い、彼はハープ弾きとして教育を施され、放浪をしながら地域の有力者のために演奏することを生業とするようになった。
 しかし次の試練はすぐに訪れた。訪問先でハープ弾きとして技能が十分ではないと宣言されてしまうのである。これが第二の試練である。しかし宣言した貴族は彼に重要な課題を同時に与えている。近くの丘にちなむ妖精伝説を主題に作曲をしろというのだ。
 かくして今なお伝えられている彼のデビュー曲、シィベルグ、シィモア(Si Beag,Si Mor)が誕生した。
伝説によれば彼が丘の妖精から授けられたものといわれる。挫折が開示した彼の作曲の才能はその後大いに開花し、今なおアイルランドのそこかしこで彼の曲は演奏されている。

 彼の生涯から学ぶことは、欠損や挫折が潜在的なギフト(才能)を開示するきっかけとなりうるということだ。しかし注意すべきは、彼が日本人が好みの禁欲的な求道者ではなかったということだろう。彼は生涯陽気な大酒飲みであったし、結婚して子沢山でもあった。
 死に際し彼は実に律儀であった。彼は死期を悟ったとき、かつて音楽を学んだ婦人の館を訪ね、ウイスキーを死水として最期の演奏を彼女に捧げている。


ファーネイ(Farney)城のハープ
現城主の娘たちはみなハープ弾き
である。

オキャロランの試練

緑の丘、,アイルランドの田舎の典型的な風景。

漂泊者と音楽

 視力などの障害が芸能に結びつけられる伝統はアイルランドに限ったことではない。津軽三味線の初代高橋竹山は、日本最後の偉大な漂泊の音楽家のといえるであろう。三味線を習うきっかけも全く同じである。
 実際、明治のころまではごく日常的に彼らの存在があり、彼らに魅了された小泉八雲は多くの作品を残している。伝承の取材から琵琶法師芳一の話は生まれたが、瞽女(ごぜ)などについては実際の見聞である。オキャロランの転機に妖精が関わるように、高橋竹山も修行時代に野宿をした際、一種の神秘体験をしたそうだ。彼の妻がイタコでもあるように、光を失うということは日常の感覚を超えた世界にシンクロするきっかけにもなるのだろう。



戻る