ハウルの動く城

 

2004

日本

40

 

二十日鼠と人間

OF MICE AND MEN

1992

アメリカ

85

 

パッチギ!

 

2004

日本

55

 

遙かなる山の呼び声

 

1980

日本

70

 

ビッグ ウェンズデー

BIG WEDNESDAY

1978

アメリカ

80

 

ビューティフル・ピープル
    〜ゆかいな仲間

Animals are Beautiful People

1974

南アフリカ

90

 

フィールド・オブ・ドリームス

FIELD OF DREAMS

1989

アメリカ

85

 

ブラック・レイン

BLACK RAIN

1989

アメリカ

40

 

北京ヴァイオリン

Together

2002

中国

50

 

暴力脱獄

COOL HAND LUKE

1967

アメリカ

90

 

ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ

HILARY AND JACKIE

1998

イギリス

85

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのまみむめもやゆよらりるれろわを
 



ハウルの動く城
2004 日本


 監督 / 宮崎駿
 原作 / ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
 脚本 / 宮崎駿
 音楽 / 久石譲
 声出演 / 倍賞千恵子  木村拓哉  美輪明宏  我修院達也ほか


 宮崎作品のほとんどすべてを観ているが(※『ポニョ』は未鑑賞)、これが一番つまらなく、事実、劣っていると感じた。
 前作『千と千尋――』とキャラがかぶりまくっているし、声優陣も的中しているとは言いがたい。なにか1シーンでも……と期待したが、それもなかった。久石の音楽もただ画面に合わせているだけのようで、彼にしては不発。

 創作意欲に突き動かされて生まれた作品とは到底思えない。外人向けの商売として創ったという印象である。
 失望しか残らなかった。

 当然のようにオリジナルの日本語音声で鑑賞したが、英語の吹き替え(※でいいのか)には、信じがたいことに、ジーン・シモンズやローレン・バコールが参加している(らしい)。声だけとはいえ、史上最高レヴェルの役不足……と言えそうか。
 英語音声+字幕で再度観たい気がしないでもないが、内容に惹かれないので、すぐにはきつい。それは、また忘れたころにしたいと思う。 (2009/04/27)




二十日鼠と人間 (OF MICE AND MEN)
1992 アメリカ


 監督 / ゲイリー・シニーズ
 原作 / ジョン・スタインベック
 脚本 / ホートン・フート
 出演 / ジョン・マルコヴィッチ  ゲイリー・シニーズ


 仮に、スタインベックの名作、という「大義名分」がなければ、どうなっていたろうか。ゲイリー・シニーズの意欲作、ではなく「問題作」と評されたかもしれない。
 老犬はなぜ殺されたのか、レニー(マルコヴィッチ)は、なぜ殺されたのか。臭いからか、人を殺ったからか。ほんとうの理由はもっと深遠なところにあるような気がする。
 この映画のテーマは生(せい)そのものである。そう考えてみると、シニーズがスタインベックを撮らずにおれなかった心情、がうっすらとみえてくる。これほどそれがないがしろにされている時代はない。そう感じたのではないか。これが撮られたのは1992年。あれからいっそうひどくなっている。




パッチギ!
2004 日本


 監督 / 井筒和幸
 原案 / 松山猛
 脚本 / 羽原大介  井筒和幸
 出演 / 塩谷瞬  高岡蒼佑  沢尻エリカほか


 悪いとは思わなかった。ただ、約120分は長い。余計なものがすくなからず盛りこまれているように感じる。もっと刈りこめたのではないか。光石研扮する教師の件、番長格の学生の妊娠問題など、必要だったのか……わかりにくい。
 役者陣では、沢尻エリカが印象に残った。
 気になったのは暴力シーンで、品がなくエクスタシーもない。けっこう真面目、冷静につくっているのに、そのシーンになるとやたらテンションがアップする。制作スタッフも一緒になってコーフンしているようである。すなわち、観ているほうは引いてしまう。

 『リムジンガン』は小学校の音楽の時間に習ったのでなつかしい。
 また、個人的な好みをいえば、「!」は、できるだけタイトルには使ってほしくない。テレビの番組欄を見ると、ビックリマークのオンパレードだ。いつからああなってしまったのだろう。




遙かなる山の呼び声
1980 日本


 監督 / 山田洋次
 脚本 / 山田洋次  朝間義隆
 出演 / 高倉健  倍賞千恵子  ハナ肇  吉岡秀隆


 DVDのパッケージには「原作・山田洋次」とある。タイトルからしても、『シェーン』をヒントにしたのは明らか。
 3年前の『黄色いハンカチ』と同じ二人を起用、舞台も同じ北海道。こちらのほうが、北海道のかおりがしている。私の観た高倉健主演の映画では、これがもっとも健さんの魅力がとらえられていると思える。
 ただ、ことさらに高倉健のかっこよさ≠強調するために、ケンカや乗馬のシーンを挿入、しかも、そこでスローモーションとは、やりすぎではないか。無意味でしょう。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。やらでものことをやって作品を下げている。
 田島(高倉)が武志(吉岡)に、みずからの過去を語ってきかせるシーンがある。あれは何度観ても受け入れがたい。キャラクターに合わない。あんな説教がましい人間ではないはずだ。子供にせがまれてやむなく、というパターンならわかるが。
 ついでに言えば、あれだけの男が、犯罪をおかして逃げているというのもヘンである。しかし、それは映画開始以前の話なので、「なにか事情があったんやろ」と目をつぶることもできるだろう。
 ラスト・シーン、虻田(ハナ)の熱弁が大げさで、やや異様な印象を受ける。もうちょっと、あっさりやってもよかったのでは。
 高倉健は、食事の際、常に正座になる。そういうしぐさ一つが画面の空気を引き締しめている。さすがです。

 ※なお、DVDのパッケージによれば、「遙か」のしんにょう≠フ点は一つのみ。ただし、 「遥」ではない。




ビッグ ウェンズデー (BIG WEDNESDAY)
1978 アメリカ


 監督 / ジョン・ミリアス
 脚本 / ジョン・ミリアス
 音楽 / ベイジル・ポールドゥリス
 出演 / ジャン=マイケル・ヴィンセント  ウィリアム・カット  ゲイリー・ビジー  サム・メルヴィル


 最初はサーファーの知人に観せ「られ」た。当時、私も何度か波乗りにつきあったり、あわされたりしたが、どうにも連中が好きになれない。のべつファッションの話をしており、見てくれのカッコばかり気にしているようなやつばかりだったからである。カーステでレゲエを流し、ガラームの強い匂い(※私にすれば臭いだった)を周囲にまきちらす。ちょっとついていけんムードがあった。80年代のことだ。
 しかし、この映画には惹かれた。なかでは、ベア役のサム・メルヴィルがいい。すてきなセリフを吐く。「やめないことだ」とか「友だちほど大切なものはない」とか。
 サーフィン映画などと言われることもあるし、そのとおりなのだが、さらに広く、秀逸な青春映画としてお気に入りの一作。ポールドゥリスの音楽も心地よい。

【好きなセリフ】 "That's when you need a friend, when you're wrong...... When you're right, you don't need nothing." (そういうときにこそ、友だちが必要なんだ。順調なときには必要ない。)

 ……やや説明が必要か。堕落した生活を送るマット(ヴィンセント)が親友ジャック(カット)に愛想をつかされたと聞き、ベア(メルヴィル)はむしろ突きはなしたジャックのほうを責める。そのときの言葉です。




ビューティフル・ピープル〜ゆかいな仲間 (Animals are Beautiful People)
1974 南アフリカ


 監督 / ジャミー・ユイス
 撮影 / ジャミー・ユイス


 公開されたとき、映画館で鑑賞した。たしか、土居まさるが司会を務めていたテレビ番組『TVジョッキー日曜大行進』で紹介されたのがきっかけだったはずだ。動物たちが発酵した果物を食って酔っぱらってしまうシーンを親父が気に入り、これは観なアカン、となって、家族で出かけた。梅田グランド劇場という、曽根崎センター街の入り口にあった映画館(※現うめだ花月)に行き、観た。
 動物の生態を記録したドキュメンタリーの体裁をとっているが、いろいろと工夫や演出をくわえ、エンタメに仕上げた異色作といえる。
 それにしても愉しい映画である。ヒヒと原住民との知的攻防戦、それに上記の酔っぱらいシーンなど……。こんな作品がいまだに埋もれているのが不思議でならない。
 また、動物たちのアクションにクラシック音楽をのせているのだが、この選曲が実にうまい。

 私はタイ製のDVDで鑑賞している。オール・リージョン、かつ、NTSC方式のディスクは――すなわちウチのDVDプレーヤーで再生できるのは、あちこち探してみたがこれしか見つからなかった。ときたま音飛び、画飛びもするがご愛敬というもの。日本語音声はないが、画だけでもじゅうぶん愉しめる映画なので気にならない(※英語音声・字幕はアリ)。日本で公開されたとき、ナレーションは吹き替えで、渥美清が担当していたと聞く。記憶にないなァ……。
 今はその、渥美清版DVDの発売を鶴首しているしだいでございます。




フィールド・オブ・ドリームス (FIELD OF DREAMS)
1989 アメリカ


 監督 / フィル・アルデン・ロビンソン
 原作 / W. P. キンセラ
 脚本 / フィル・アルデン・ロビンソン
 音楽 / ジェームズ・ホーナー
 出演 / ケビン・コスナー  エイミー・マディガン  ジェームズ・アール・ジョーンズ  レイ・リオッタ  バート・ランカスター


 農夫が一人。広大な農場では、トウモロコシが背丈ほどに成長している。順調だ。
 ある日のこと、畑のなかで謎の声を聞く。「それをつくれば彼はきっとやって来る」。「それ」ってなんや? たずねたところで応えはない。男はイライラしはじめる。「それ」がなにか気になってしかたがない。ついに、「それ」は野球場を造ることではないか、と思いつく。ただし、そんな気がするだけである。根拠のない確信を胸に抱き、男は家族を説得、成長したトウモロコシを惜しげもなく刈り取りはじめる……。

 ケビン・コスナーの主演映画は数本観たが、役者としてそれほど魅力は感じなかった。でもこれはいい。
 観る者の、実生活での父子関係が、この映画の鑑賞後感に影響するのではないか。「二度と観たくない」という人間がいても、私はおどろかない。
 バート・ランカスターが、通りすがりの人間国宝といった感じで出演している。

 日本の野球とメジャーのベースボールは異種のものという論があるが、こういうのを観ると、そうかもなァ、と思わされてしまう。
 今年(2007)、ひさしぶりに甲子園へ行ったけれど、檻のなかでゲームをやっているようで違和感を覚えた。観客の乱入を防ぐ目的のものだから、檻に入っているのはわれわれということになるわけだが。ドンチャン騒ぎ、ラッパ吹きまくりーの、太鼓ぶったたきーの、メガホン打ち鳴らしーの、風船飛ばしーの、もうすんごいのなんの。観客の多くがのべつコーフン状態である。ピンチであろうがチャンスであろうが、なんもなしであろうが関係なし。二死満塁、一打同点あるいは逆転なんて場面でも騒乱は続いている。息を詰めて見守る、なんてことにはならない。これではこの檻もやむなしかな、と妙に納得したりした。

 日本語の吹き替えもよい。コスナーを担当した津嘉山正種はとてもいい。




ブラック・レイン (BLACK RAIN)
1989 アメリカ


 監督 / リドリー・スコット
 脚本 / クレイグ・ボロティン  ウォーレン・ルイス
 音楽 / ハンス・ジマー
 出演 / マイケル・ダグラス  高倉健  松田優作  アンディ・ガルシア  ケイト・キャプショー  神山繁  若山富三郎ほか


 松田優作の、劇場版映画としては遺作となった。そうした背景を意識してしまうせいもあるかもしれぬが、まったく、彼の一人舞台といった印象である。
 当時は、優作の迫力に圧倒され、なかなか愉しめた作品だった。が今、あらためて冷静に観てみると、オフロード・バイクを駆る暴走族や、英語訛りの選挙演説など、ケッタイなところがたくさんあって興ざめ。暴走族のオートバイがピカピカで、現実の連中が乗りまわしているような奇抜な装飾バイクではないのも、気にせずにおこうと思っても、やっぱりヘンだ。
 松田のエネルギーが突出していて、見方を変えれば、やや浮いていると言えなくもない。
 ラストで、松本(高倉)が謹慎処分を無視して、リック(ダグラス)とともに、佐藤(松田)を逮捕し、署に連行する。迎えた大橋(神山)が、ただひとこと「ごくろう」とねぎらいの声をかけ、謹慎破りについては触れない。ちょっと印象に残るシーンだが、今どきの日本映画なら、なにか余計な(クサイ)セリフが加わり、ムードをぶちこわしそうだ。
 好きな役者が大勢出ているのに、この程度とは、と残念。松田のほかでは、神山繁がいい。




北京ヴァイオリン (Together)
2002 中国


 監督 / チェン・カイコー
 脚本 / チェン・カイコー  シュエ・シャオルー
 出演 / リウ・ペイチー  タン・ユン  チェン・ホン  ワン・チーウェン  チェン・カイコー


 感動作と聞き、その前に観た同じ中国映画『山の郵便配達』がよかったので、期待して観た。が、裏切られた。
 致命的なのが、肝心のヴァイオリン少年の天才性がまるで伝わってこないことである。
 二人の先生に師事するものの、リアルなレッスン・シーンはゼロと言ってよく、いくらなんでもこれはマズイだろう。結局、少年はなんのために都会へ出てきたのかわからなくなってしまった。
 娼婦役?のチェン・チアンはなかなか魅力があるものの、役として映画のなかでなにをやっているのかよくわからない。父親役のリウ・ペイチー一人が作品に「貢献している」感じがした。
 なじみの名曲が随所で使用されているが、それもBGMにすぎず、ストーリーと密接には関わっていない印象。
 父と子の関係を、父がチェン・カイコー扮する教授に、教授が少年に話してしまうのも、なんでや、と首をかしげてしまう。その部分はカットしてしまい、ラストの映像による種明かしだけにしぼったほうがよかったような気もしますけどネ……。
 ヴァイオリン少年を演じたタン・ユンは、なんか危なそうな少年なのがどうしても気になった。突然キレそうな……。もっと明るさがほしいね。ヴァイオリンを演奏しているときは、さすがに凛々しかったけれども。
 パッケージには「世界中が泣いた!」とある。ホ、ホンマでっか? 私はどちらかといえば、涙もろいほうなのだが……。

 これを観たとき、渡辺茂夫のことを想わずにはいられなかった。かつて、神童と呼ばれていた天才少年ヴァイオリニストである。ハイフェッツなどに認められ、幼くして渡米。しかし、精神を病んで自殺を図り、結果的にヴァイオリンを手放さなければならなくなる。そして茂夫は、ふたたびヴァイオリンを奏でることなくこの世を去ってしまう。
 この作品のラストでチャイコフスキーの協奏曲が流れる。茂夫もその録音を残している。それが思い出されてならなかった。





暴力脱獄 (COOL HAND LUKE)
1967 アメリカ


 監督 / スチュアート・ローゼンバーグ
 原作 / ドン・ピアース
 脚本 / ドン・ピアース  フランク・ピアソン
 出演 / ポール・ニューマン  ジョージ・ケネディ  ルー・アントニオ


 ルーク(ニューマン)は私の知る映画のなかで、三指に入る魅力の主人公だ。ポール・ニューマンが不撓不屈の男を熱演している。
 大好きな作品で、小学校のときにテレビで鑑賞し、一発でポール・ニューマンのファンになった。当時は、ブルース・リーの人気が沸騰しているころで、雑誌『ロードショー』のファン投票、男優部門ではリーが断トツ、「オレの」ニューマンは8位あたりだったように記憶する。私は今でも、この『暴力脱獄』が彼のベストと確信している。
 タフでやさしいだけが男ではない。ゆでタマゴ50個を食うなど、こんなばかばかしいことをするのも、また男であり、いやむしろ、それが男という生き物の本性なのではあるまいか。完食後、ルークはテーブルの上で眠りに落ちるが、このとき十字架上のキリストのようなポーズをとっている。
 最初に観たときの、川合伸旺の吹き替え版で観たいのだが、今のところ出ていないようだ。
 ルークが首にぶら下げていた栓抜きが印象的。
 ジョージ・ケネディもニューマンに劣らずすばらしい。しかし、この邦題はサイテー。

【印象的フレーズ】 "Nothing." ……そういうフレーズが「ない」という意味ではなく、この言葉が幾度か出てくるんです。




ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ (HILARY AND JACKIE)
1998 イギリス


 監督 / アナンド・タッカー
 原作 / A Genius in the Family by Piers and Hilary du Pré
 脚本 / フランク・コットレル・ボイス
 出演 / エミリー・ワトソン  レイチェル・グリフィス   ジェームズ・フレイン


 映画として、おもしろかった。しかし、原作は身内の一方的な視点からなので、ここで描かれているジャッキーが「ほんとうの」であるかどうかには疑問の余地がある。ただし、このつまらぬ題名は日本でつけられたものである。原題は"Hilary and Jackie "という。天才である妹と凡人である姉のそれぞれの物語であり、また二人の物語でもある。
 原作のタイトルはなかなか意味ありげだ。A Genius in the Family。実姉&実弟によるものという。読んでいないが、映画の内容が事実とするなら、「わざわざそんなことを暴露することもなかろうに」と思うところもある。どことなく(いくら身内であっても)「天才というのはあつかいにくい」という、うとましげなムードが感じられなくもない。
 それがなぜ、邦題のようになるのか。なにが「ほんとう」なのか。今までになにかウソがあったのか。ツッコミ気分を抑えきれない。まるで女性週刊誌の見出しのようだ。こんな、デバカメ的な邦題に接すると悪臭をかがされた思いがする。

 天才と凡才の対比は、『アマデウス』での、モーツァルトとサリエリを思い起こさせる。
『アマデウス』と比較すると、時代と世界が違うため、それぞれ凡人とされたサリエリとヒラリー(※ジャクリーヌの姉)では、人生でつかんだものが異なる。サリエリは凡才ゆえの悲劇であるが、ヒラリーの場合は逆で、それゆえにまずまず幸福な一生を手にしている。逆に言えば、ジャクリーヌ・デュプレは天才ゆえの悲劇だった。彼女が難病にかかったことを除いてもそう言えるだろう。

 映画のなかの演奏シーンは役者の演技に、編集でホンモノの音をかぶせることが多く、本作もその手法をとっている。指と音とが合っていないなどと無粋なことを言うつもりはない。エミリ・ワトソンはかなりがんばったほうであり、じゅうぶん愉しめる域に達していた。
 役者の選択もよい。バレンボイムが出てくる。ジェームズ・フレインが扮している。似てないけど似ている。そのバレンボイムがかなり悪く描かれている。事実なのだろうか。
 ただ、原作者が登場人物でもある場合、自分にあまくなるのはいたしかたない。しかも存命中なら、制作側に、どうしても遠慮が入ってしまうだろう。このあたりは、割引が必要である。
 こういう鑑賞はある意味しんどい。映画のストーリーを、まるでスキャンダルをのぞくような目で追ってしまうからだ。
 ぶっちゃけ、全役名を変えてしまい、ストーリーにも手を入れて架空仕立てとし、「これはジャクリーヌ・デュプレがモデルらしい」というあたりにとどめておけばよかったのでは……と思ったりもした。

 ところで、『おもちゃの交響曲』の太鼓のエピソードは実話だろうか。実によくできていた。 (2008/08)



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