最後の海底巨獣

DINOSAURUS!

1960

アメリカ

80

 

サウンド・オブ・ミュージック

THE SOUND OF MUSIC

1965

アメリカ 

85

 

猿の惑星

PLANET OF THE APES

1968

アメリカ 

85

 

続・猿の惑星

BENEATH THE PLANET OF THE APES

1970

アメリカ 

50

 

新・猿の惑星

ESCAPE FROM THE PLANET OF THE APES

1971

アメリカ 

75

 

猿の惑星・征服

CONQUEST OF THE PLANET OF THE APES

1972

アメリカ 

55

 

最後の猿の惑星

BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES

1973

アメリカ 

55

 

幸福の黄色いハンカチ

 

1977

日本 

65

 

シェーン

SHANE

1953

アメリカ 

90

 

シザーハンズ

edward SCISSORHANDS

1990

アメリカ

75

 

七人の侍

 

1952

日本 

95

 

ジャイアンツ

GIANT

1956

アメリカ 

75

 

Shall we ダンス?

 

1996

日本 

65

 

終身犯

BIRDMAN OF ALCATRAZ

1961

アメリカ 

90

 

シュリ

SHURI

1999

韓国 

60

 

ショーシャンクの空に

Shawshank Redemption

1996

アメリカ 

95

 

上流社会

HIGH SOCIETY

1956

アメリカ 

75

 

人類SOS!

THE DAY OF THE TRIFFIDS

1962

イギリス

90


いうえおかきくけこすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわを
 



最後の海底巨獣 (DINOSAURUS!)
1965 アメリカ

 監督 / アーヴィン・ S ・イヤワース
 原案 / ジャック・ H ・ハリス
 脚本 / ジーン・イヤワース  ダン・ E ・ワイズバード
 出演 / ウォード・ラムゼイ  クリスティナ・ハンソン  ポール・ルカザー  アラン・ロバーツ  グレッグ・マーテルほか


 幼少のころにテレビ放映されていたB級SFのなかでも代表的なもの。
 私としても、『人類SOS!』『宇宙戦争』とならぶ、忘れがたき作品だ。
 廉価DVDが発売されると知り、コーフンを抑えつつ予約買いしたほどだった。

 カリブ海の島で大事件が発生した。
 海中での爆破作業が、海底深く凍り付けになったままだった恐竜2体を掘り起こすことになってしまい、それが浜辺に引き揚げられたのである。
 そこで島の悪党が「これはゼニになるがな〜」と色めき、悪知恵をはたらかせはじめる。夜中に、恐竜の周りを思案しつつウロウロしていると、さらなる獲物≠発見した。なんと原始人だ。こちらも凍りついており、動かない。悪党はシメシメとばかりに、原始人の亡骸を藪のなかに隠した……。
 そしてその夜、空模様があやしくなったかと思うと、稲妻が発生し、恐竜に落雷した。
 ――あとは記すまでもないでしょう。

 子どもと原始人の交流というのが本作のミソ。
 特撮のレヴェルは、この時代を考えても今イチか。
 しかし、そんなことは私にはどうでもいいことである。幼いころ、夢中にさせてくれたこの作品を今、DVDで鑑賞することができ、今後も手軽に観られる……それでじゅうぶんだ。
 基礎点55pt、B級特別配点15pt、愛着ボーナス10pt、合計80ポイントとなる。

 ところで、この手の、TV劇場でなじんだ作品には、吹き替えを付けてくれればよろこび倍増なのですがネ。




サウンド・オブ・ミュージック (THE SOUND OF MUSIC)
1965 アメリカ

 監督 / ロバート・ワイズ
 脚本 / アーネスト・レーマン
 出演 / ジュリー・アンドリュース   クリストファー・プラマーほか


 日本人にもっとも愛されている映画の一つだろう。まったく、この作品を「ナンバーワン」とする何人の人間に遇ったろうか。10人はくだらないはずだ。
 そして――、

 堅物ヤモメのところへ、奔放な若い女家庭教師が飛びこんで来た。彼女のおかげで、彼は、忘れていた人間らしい心を取りもどす……。

 このパターンを真似たマンガやドラマが、その後いくつつくられただろうか。
 3時間の作品。私にはちょっと甘口であるが、その長さもやむなしと思わせるところに力を感じる。いかにもミュージカル、という感じがしないのもいい。

 ジュリー・アンドリュースといえば、『マイ・フェア・レディ』(1964)のイライザ役をオードリー・ヘップバーンに奪われたことで知られる。その『マイ・フェア・レディ』でオードリーは歌のダメ出しをされ、マーニ・ニクソンが吹き替えを担当した。そのニクソンが、この映画のなかで修道女の一人として出演している。




猿の惑星  (PLANET OF THE APES)
1968 アメリカ

 監督 / フランクリン・J・シャフナー
 原作 / ピエール・ブール 
 脚本 / ロッド・サーリング  マイケル・ウィルソン
 出演 / チャールトン・ヘストン  キム・ハンター  ロディ・マクドウォール


 ようこんな筋を思いついたなと、当時から感心しきりであった。私と同年代で、これを観たことがないという人はめったに出くわさない。テレビでもひんぱんに放映された。
 小学校時などクラス内で、外見、動作などにすこしでもサル的要素をもった人間は、「猿の惑星」と呼ばれることになってしまっていた。それだけではない。ジャングルジムをのぼるスピードが速いとそう呼ばれ、バナナを食っているとそう呼ばれた。「おまえ、紙ヒコーキ折ってみろ」と言われるヤツまでいた。あれは時代的にみて、イジメという社会現象の萌芽だったかもしれない。
 人気が沸騰したゆえ、チャッカリ2ヒキめを狙ったが、問屋が卸さなかったようである。
 ラストの痛烈な寸鉄ともども、名作といっていいでしょう、これは。
 今世紀のリメイク版は未鑑賞(観なくていいような予感があるが……)。




続・猿の惑星 (BENEATH THE PLANET OF THE APES)
1970 アメリカ

 監督 / テッド・ポスト
 脚本 / ポール・デーン
 音楽 / レナード・ローゼンマン
 出演 / ジェームズ・フランシスカス  キム・ハンター  チャールトン・ヘストン リンダ・ハリソン 


 タイトルどおり、前作の続編。 
 猿らが恐れて近づかなかった禁断の地≠ナは、人間のミュータントが独自の国家らしきものを建設していた。彼らは、一発で地球が吹っ飛ぶコバルト爆弾を信仰の対象としている。あれこれのすえ、そこをサル軍団が襲撃。こいつら(猿&ミュータント)に地球を渡すくらいなら、とミュータントに拘束されていたテイラー(ヘストン)は銃弾を浴びつつ、爆弾のスイッチを入れる……。

 わかるようなわからぬような筋立てであるが、ともかく、前作が好評だったせいか、「魚のいるうちに」とあわてて網を投げた……そんな作品。まさに二番煎じというべきもので、全5作のこのシリーズ中、もっともつまらない。しかし、このシリーズを丸ごと愉しむためには、あったほうがいい。言わば、捨て石のようなポジションにある。また、このカルト的なムードをむしろ歓迎する向きもいらっしゃるに違いない。

 ラスト・シーンは次を考えてのものだったのかどうかわからないが、第3作『新・猿の惑星』へのうまい布石となった。
 第1作の主役、テイラー役のチャールトン・ヘストンがちょこっとしか出てこないのも、なんとなしに不満。





新・猿の惑星 (ESCAPE FROM THE PLANET OF THE APES)
1971 アメリカ

 監督 / ドン・テイラー
 脚本 / ポール・デーン
 音楽 / ジェリー・ゴールドスミス
 出演 / キム・ハンター  ロディ・マクドウォール


 第2作で急降下したこのシリーズ。墜落か、と思いきや、この第3作でかなり盛り返した。シリーズ中、私的には第1作に次ぐデキであるとみている。
 第1作の裏焼きといえる作品。今度は逆に猿が人間社会(=過去)に飛びこんでくるという設定で、このシンプルでエキサイティングなアイデアが成功のもととなった。
 また、このシリーズのすばらしさを端的に表している作品でもある。お笑い要素てんこ盛りの素材をくそまじめに撮った。そこが魅力であるわけだが、この『新・猿の惑星』はまさにそう感じさせるもので、あと一歩でコメディになってしまうところを必死のパッチで踏んばっている。ラストシーンの悲劇も、その踏ん張りであるだろう。

 未来猿は3ビキ飛んできたが1ピキはアクシデントで死亡。残りの2ヒキは夫婦で、ヨメは妊娠中だった。
 人間は、猿夫婦との会話から、地球の最後とその理由を知る。彼ら(猿夫婦)はその目で地球の滅亡を目撃したという。
 人間社会は将来猿に取って代わられるらしい。ということはつまり、こいつらの子孫が地球を滅ぼすことになるわけだ。人間は、それを回避するためには猿夫婦に子孫を残させないことだと考え、彼らから生殖能力を奪い、腹のなかの子供を始末することを決定する。
 殺すのはカワイソーであるが、そうしなければ地球は2000年後には宇宙空間の塵芥と化す。このあたり、なかなか重量感のあるテーマで魅せる。
 しかし、おかげで、続く、第4、第5作が次なるテーマを見つけられず、作品が右往左往しているように見えてしまう結果をまねいた。
 
 冒頭で死んでしまう猿が、サル・ミネオと知ったときは驚いた。猿・ミネオだったのか。まったくわからなかった。あたりまえか……。
 そう言や、第1作には、ジェームズ・ウィットモアがクレジットされていた。
 みんなおもしろがって出たのかもしれない。





猿の惑星・征服 (CONQUEST OF THE PLANET OF THE APES)
1972 アメリカ

 監督 / J・リー・トンプソン
 脚本 / ポール・デーン
 音楽 / トム・スコット
 出演 / ロディ・マクドウォール  ドン・マレー


 ひとことで言えば、アメリカ猿一揆=B
 その時代、人間の下僕だった猿が、人語を話すインテリ猿(前作で殺された未来猿夫婦の忘れ形見)をリーダーに迎えて蜂起、反逆を起こして人間社会を征服するという壮大なストーリー。
 にしては、いかにも迫力不足である。猿の反乱が局地的なものに見えてしまうのが致命的でしょう。しかし、「笑ってはならない」という仏頂面スピリッツは健在で、そこはうれしい。
 なかなか奥の深いセリフがあったりするし、ちょいとばかり惜しい気もしますがネ。





最後の猿の惑星 (BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES)
1973 アメリカ

 監督 / J・リー・トンプソン
 原案 / ポール・デーン
 脚本 / ジョイス・フーパー・コリントン  ジョン・ウィリアム・コリントン
 音楽 / レナード・ローゼンマン
 出演 / ロディ・マクドウォールほか


 「これで最後やさかい。もうちょっとつきおうてんか」と、画面のソデからそんな声が聞こえてきそう。ついに5作目となった。
 味の落ちた料理店が客に見はなされて没落、すごすごと店をたたむさまを見るようなたそがれムード満点作である。まァ、最後だからそれも味わいがあっていいかもしれない。

 軍隊をつかさどるゴリラ族が暴走し、とうとう人間と猿が激突。
 凄絶なバトルが繰り広げられる! ――となってくれればいいのだが、そうはならない。
 これも、本来なら大戦争になるべきところが、戦争ごっこレヴェルに終始。また、サル社会がだんだん人間社会のそれと似かようものへと変遷してゆくさまを描こうともしているが、そこも中途半端だった。

 内容的には残りカスっぽくて、とりあえずは「5本」という区切りを迎えることができたのでよかった……『さよなら、猿の惑星』というところですかな。
 ジョン・ヒューストンが出演している。役柄は「立法者」となっているが、最初と最後に出てくるオランウータンのことですかね。(55) 

 ※『猿の惑星』シリーズは以上5作であり、デキにバラツキがあるものの、順番どおり鑑賞すれば、それはそれでまた別のおもしろさがありますヨ、ということを附記しておきたい。





幸福の黄色いハンカチ
1977 日本

 監督 / 山田洋次
 原作 / ピート・ハミル
 脚本 / 山田洋次  朝間義隆
 音楽 / 佐藤勝
 出演 / 高倉健  倍賞千恵子  武田鉄矢  桃井かおり


 シンプルかつ魅力的で、映画化されないほうがおかしいと言いたいほどのストーリー。
 ふとしたことで殺人を犯してしまった男。ようやく刑期を終え、妻へ出所を知らせるハガキを出す。実は服役中、判をついた離婚届を一方的に押しつけていた。もし今でも自分を待ってくれているのなら……。ハガキに記したのは、そんな都合のいい、未練がましい内容だ。恐れと不安でなかなか足が家に向かない。道中で知り合った若い男女に背中を押され、意を決した男は数年ぶりに自宅へ帰ってくる……。

 高倉健はひじょうに魅力的だが、武田鉄矢のオーバーな演技は、何度観ても引いてしまう。やたらズッコけたり、はしゃいだりするのは、笑わせるつもりでやっているのだろうか。黄色いハンカチを一番に見つけたときの表情はよかったけれど。彼と桃井かおりの距離感も奇妙でなじめない。
 最後の最後で、美しくもなんともない、まったく不可解なラヴシーンを見せつけられ、このときの山田監督のセンスには疑問を感じざるをえない。音楽は佐藤勝で、これがあのクロサワ作品ですばらしい仕事をした同じ作曲家だろうか。古くさく、いかにも軽量の、と言ってレトロと割り切ることもできない陳腐な音楽を書いている。
 健さんと、(あまり顔を出さないが)倍賞千恵子、そしてストーリー自体の魅力で残る映画となった、と私はみている。

 話の舞台は、先ごろ財政破綻で話題となった夕張。ロケ地には何度か行ったことがある。「幸福の黄色いハンカチ広場」と称されていた。
 今もあるのだろうか。あるのなら、撮影で使われた炭住のセットが残され、花田欽也(武田)の運転していた真っ赤なファミリアが展示されているはずである。
 最初のころ、あのファミリアは路上(※セット脇の駐車場。バラス敷き)に放置されていた。風雨にさらされて色あせ、また、だれか悪いやつがいて、エンブレムなどは剥ぎ取られ、無惨なポンコツと化していた。ヒドイもんだと思ったが、今から思えば、あの自治体にしっかりした保存を期待するほうがまちがっていたのかもしれない。のちに再訪してみると、さすがにマズイと思ったか、修復されたらしくマトモな姿にもどり、なおかつセットのなかへ移されていた。
 バス停をすこし大きくしたような無人小屋が併設されており、そこに黄色い紙と鉛筆が備えてあった。訪問客は、それに願いごとを記し、小屋のなかの好きなところへ貼り付ける。すると叶う、というわけである。絵馬のようなものだ。私はなんとなく「いつか本を書く」というようなことを書き、どっか窓枠のあたりに貼り付けたのを記憶している。その数年後に小説の新人賞をいただき、本も出してもらった。黄色いハンカチ広場の御利益だったのか。

 原作となったショート・ストーリーは当初、ピート・ハミルによって、アメリカの雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に紹介された。この雑誌は日本語版も出ていて、そこに掲載されたこの話を山田監督がつかまえ、映画化を思い立ったといわれる。
 現在は、ハミルの『ニューヨーク・スケッチブック』(高見浩訳。河出文庫)に付録として収められている(※短編集。ハミルはその一篇一篇にタイトルをつけていない。ただ、このストーリーにだけは、映画化で有名になったせいか、また付録ということもあってか、『黄色いハンカチ』というタイトルが付されている)。
 唄にもなった。ドーンというグループが『幸せの黄色いリボン』のタイトルでうたっている。これがまた、うまくできた唄である。『幸福の黄色いハンカチ』はテレビドラマにもなり、そこでは菅原文太が主演。テーマソングが、まさしくドーンの『幸せの黄色いリボン』だった。

 ハリウッドが、ウィリアム・ハート主演でリメイクするという。かなり期待している。私としては、主役は黒人にしてもらいたかったが。





シェーン (SHANE)
1953 アメリカ


 監督 / ジョージ・スティーヴンス
 原作 / ジャック・シェーファー
 脚本 / A・B・ガスリー・ジュニア
 音楽 / ビクター・ヤング 
 出演 / アラン・ラッド  ジーン・アーサー  ヴァン・ヘフリン  フランドン・デ・ワイルド  ジャック・パランス


 主人公の名がそのままタイトルになっているように、シェーン(ラッド)というキャラクターが光っている。
 情に厚く、無駄口をたたかない。余計な争いごとはしない。
 これでカネも名誉もあり、女にモテてモテて……となれば白けてしまうが、もちろんそうではない。これまで何人もの人間を殺ってきた。十字架を一生背負って生きる決意を固めている。というより、自分はそんな一生しか送れないとの諦念を胸の内にいだいている。
 そんな陰のある男をアラン・ラッドが好演した。

 キャプラ作品で魅力的な女性を演じていた、ジーン・アーサーが出演。その魅力は色あせていない。これが彼女の最後の出演映画となった。 残念ではあるが、これが残ったことを思えば僥倖であろう。ここでの、シェーンとのほのかな心の交流はこの作品に欠かせない要素の一つであり、それがシェーンという流れ者がにじませる哀愁をいっそう鮮明にした。
 ウィルソン役のジャック・パランス、達者な子役、ブランドン・デ・ワイルド……役者のすばらしさも特筆もの。
 また、すさまじい拳銃音も印象的である。おかげで、銃撃戦のない西部劇であるにもかかわらず、銃の存在感をきわだたせることに成功した。

 クロサワの『用心棒』は、ハメットの『血の収穫』をヒントとしたとされるが、それよりもこの『シェーン』のほうではなかったかと、私はにらんでいる。
 パブリックドメイン(著作権保護期間満了)作品で、この件に関しては訴訟沙汰にもなった。おどろくべき安さの廉価DVDが出まわっていて、目下、DVDとしてはそれでしか鑑賞できない。しかし、これが妙なのである。ラストで、ジョーイが「帰ってきて!」と叫ぶ。それはいい。問題はそのあとである。ジョーイはシェーンへの想いを吹っ切り、「さよなら!」を追加する。その「さよなら」が私の所有DVDには入っていない。 ここを少年の成長と私はとらえたいので、どうにもすわりの悪い結末となっている。だから、私はいまだにこれを鑑賞するときは、レーザーディスク・プレーヤーにコードをつながなければならない。著作権裁判で敗れた東北新社は、しっかりとしたリマスター版DVDを出してホンモノの実力を見せてもらいたいものだ。

 初めて涙させられた作品を記憶している。この『シェーン』か、学校で交通教材として観せられた『小さな愛の終わり』(日本製)という短編映画かのどちらかだった。その意味でも思い出深い。





シザーハンズ (edward SCISSORHANDS)
1990 アメリカ


 監督 / ティム・バートン
 原案 / キャロライン・トンプソン  ティム・バートン
 脚本 / キャロライン・トンプソン
 音楽 / ダニー・エルフマン 
 出演 / ジョニー・ディップ  ウィノナ・ライダー  ダイアン・ウィースト ほか


 人間なみか、それ以上の無垢な心をもったモンスターが、人間社会に迷いこむか、連れこまれるかした結果、いろいろな騒動が巻き起こる……というパターンはすでに使われているもので新鮮味はない。
 こういうのには悲劇的なエンディングが用意され、涙を要求するのがお定まりだった。それをあえて採用しなかったことで、ややポイントを稼いだか。
 思いつきをならべただけのようなストーリーであるが、それが逆にファンタジーらしくてよかったのかもしれない。
 役者は、エドワード役のジョニー・ディップとペグ役のダイアン・ウィーストがいい。近所のオバハン連中もいい味出している。ウィノナ・ライダーには魅力を感じなかった。

 キム(ライダー)とその彼氏がそうとうなアホで、もうちょっとなんとかならんのか、と妙な感情移入をさせられながら観ていた。
 で結局、「バカは死ななきゃなおらない」ということでジ・エンド。彼氏の不自然なまでのバカっぷりは、あいつは殺されてもしかたがない、と観客に納得させるためだったことが判明。
 けっこうおもしろかった。(2008/06/13)




七人の侍
1952 日本


 監督 / 黒澤明
 脚本 / 橋本忍  小国英雄  黒澤明
 音楽 / 早坂文雄
 出演 / 志村喬 三船敏郎 木村功 稲葉義男 加東大介 千秋実 宮口精二 土屋嘉男 高堂国典 左卜全 藤原釜足ほか


 島国根性からだろうか。これを観ると外国に向かって自慢したくなる。誇らしい気分になる。
 何十回観たかわからない。ときに、長く感じることもある。がそれは、この作品になじみすぎたからだろう。一年、いや半年も寝かせてからもう一度鑑賞する。やはり強烈な引力に巻きこまれて呆然としてしまうのだ。何も言うことはない。音声のやや不明瞭な点が惜しまれるものの、それも慣れればどうということはない。画質もよいとはいえぬが、DVD化されたのを観ると、かなり改善されているように感じた。
 志村の存在感、三船の動、宮口の静、千秋の飄然、稲葉の自然体、木村の不安、加東の抑制……役者陣もすばらしい。それを完全に撮りきった巨匠の手腕。もう、最高です。

【名セリフ】
 人を守ってこそ、自分も守れる。おのれのことばかり考えるやつは、おのれをもほろぼすやつだ。





ジャイアンツ (GIANT)
1956 アメリカ

 監督 / ジョージ・スティーヴンス
 原作 / エドナ・ファーバー
 脚本 / フレッド・ジュイオル アヴィアン・モファット
 音楽 / ディミトリ・ティオムキン
 出演 / ロック・ハドソン  エリサベス・テーラー  ジェームス・ディーン


 ジェームス・ディーンの遺作。彼の残した主要三作は繰り返し観ているが、トシとともに好みの順位が入れ替わってきた。若いころは『理由なき反抗』が好きだったが、それが『エデンの東』となり、今はこの『ジャイアンツ』かもしれない。
 牧場の女主人が死に、辺鄙でせまい土地をわけてもらったジェット(ディーン)は、一発当てようと石油の掘削作業に精を出す。それが的中、巨万の富を得た彼は、それまで仕えていたベネディクト家をライバルとみなし、やがては見くだすまでになる。
 噴き出した石油で全身を黒く染めたジェットが、これ見よがしにベネディクト家に乗りこむシーンがすばらしい。彼の燃え立つようなエネルギーに連中は絶句し、佇立する。あの対比はみごとだ。リズの色香、ロック・ハドソンの、名前のとおり岩のような頑固さも忘れがたい。
 雄大な音楽を創ったティオムキンはキャプラ作品をも手がけていた。





Shall we ダンス ?
1996 日本


 監督 / 周防正行
 脚本 / 周防正行
 出演 / 役所広司  草刈民代  渡辺えり子  竹中直人


 まず、脚本がオリジナルであることを評価したい。
 売れている漫画なり小説なりを拝借、熱の冷めぬうちに映画化してひと儲けしようとたくらむ。そんな便乗商法が横行している。他人のふんどしで相撲をとろうというさもしい根性である。そしてほとんど場合、炎上崩壊している。誇大な宣伝を駆使して集客には成功しているようだ。採算が取れればそれでいいのだろう。フィルムは未来への遺産、という考えはハナからないらしい。

 役所は過不足なし。「どこにでもいるサラリーマン」を意識しすぎ、萎縮した感じもないではない。草刈は素人丸出しだが、それがかえって妙な素っ気なさ=魅力となって結果的によかった(彼女の姿勢のうつくしさには惚れ惚れさせられる)。竹中はなんでいつもああした怪演を要求されるのか。普通にやらせておけば、じゅうぶんいい芝居をすると思う。
 ハリウッドがリメイクした。このオリジナルに、迫りすらしていない。なんのためのリメイクだったのか、まったくわからない結果になっておりました。悲惨。





終身犯 (BIRDMAN OF ALCATRAZ)
1961 アメリカ

 監督 / ジョン・フランケンハイマー
 原作 / トーマス・E・ガディス
 脚本 / ガイ・トロスパー
 出演 / バート・ランカスター


 心の振動を知らずに生きてきたか、忘れてしまったのか、冷血マザコン男をバート・ランカスターがみごとに演じきっている。
 刑務所にほうりこまれた男は、社会性が徹底的に欠如した孤独な人間だった。当然、刑務所にも秩序は存在する。それにも彼は抵抗した。独房送りとなった。塀に囲まれた狭い運動場が彼にとって、唯一の外界だ。ある嵐の夜、男はそこで、強風に飛ばされてきたスズメのヒナを拾う。関心はない。が、退屈だった。雨にぬれて弱っていたヒナの世話をしはじめる。そこから、動かなかった男の心が微動しはじめた……。

 小学生のころ、小鳥が好きで、ジュウシマツを飼っていた。卵をコロコロ産み、またそれが簡単に孵る。どんどん増えるのがおもしろい。そんな時期に観たので、この映画は体内の琴線に触れまくりだったのである。
 この映画はずっと観たくて、レンタルビデオというものが登場したことで、長年の渇を癒すことができた。今はDVD化されている。思い入れ点5点加算。
 モノクロ作品。





シュリ (SHURI)
1999 韓国

 監督 / カン・ジェギュ
 脚本 / カン・ジェギュ
 出演 / ハン・ソッキュ  キム・ユンジン  チェ・ミンシクほか


 上映当時は大評判だったと聞く。世間よりも10年遅れで観ることとなった。
 それにしても、出てくる俳優がみな日本でおなじみの顔とよく似ている。島田紳助とか武田久美子、真田広之、楽天の会長さん……とそんなアホなことを思ったのはオレくらいであろうな。

 北の工作員(キム)と南の情報部員(ハン)との恋物語。
 南北統一問題をからめたことで、なんとか、ありふれたアクション映画群への埋没をまぬかれた感じだ。
 破壊された水槽の金魚は生きているのを使っているように見えたが、あそこ以外はとくに不愉快でもなく、愉しく観られた。
 ストーリーに粗が目立ち、もうすこし練りあげれば……と惜しまれるが、思い切りのよさは買う。 (2008/06/11)





ショーシャンクの空に (Shawshank Redemption)
1996 アメリカ

 監督 / フランク・ダラボン
 原作 / スティーブン・キング
 脚本 / フランク・ダラボン
 音楽 / トーマス・ニューマン
 出演 / ティム・ロビンス モーガン・フリーマン ボブ・ガントン ウィリアム・サドラー ジェームズ・ホイットモア クランシー・ブラウンほか


 小説の映画化。原作と映画が握手をかわした稀有な例。ダラボンは、愛情が過ぎて原作に抱きつき、冷静さをうしなうという愚を犯さなかった。距離を保ちつつ、そのかたちを見きわめ、魅力の原石を発掘し、さらに行間からにじみ出す香気ををかぎとることで、作品世界を映像へ変換することに成功したのである。
 また、ダラボンは魅力的なシーンを創造、要所で挿入した。たとえば、モーツァルトを聴かせるシーンは映画のオリジナルである。しかしむろんこれも、原作にインスパイアされて生まれたものにちがいない。
 大人気の作品で、ひねくれてみたいが、この魅力には抗しきれない。
 役者陣にはケチのつけようがない。モーガン・フリーマン(レッド役)とボブ・ガントン(所長役)がとくにいい。
 出だし、カーラジオから流れてくるインク・スポッツの"If I Didn't Care"がまた最高で、すばらしい雰囲気をかもしている。
 レッドの最後の面接のシーンは、そうそう生まれそうにない名場面といえる。またレッドが手紙を手にするシーン、執拗にあたりを警戒するしぐさにはニヤリとさせられる。
 苦悩から歓喜へと流れる大きなストーリーは、まるでベートーヴェンの『第9』のようだ。

 この年のアカデミー賞は『フォレスト・ガンプ』の独り勝ちだった。しかし、人々の心に生きつづけるのは、まちがいなくこの『ショーシャンクの空に』のほうだろう。
 ところで、また素人のクチバシであるが、レッドが娑婆であるものを買う。あの場面、できれば彼が店のドアを押すところまでカメラで追っかけてゆき、われわれに「もしや!?」と思わせてほしかった。些細なことであるが。
 ラストシーンは不要という意見がある。なるほどキングの原作はレッドがバスに揺られてゆくところで終わっている。それにしたがえという。賛成できない。ダラボンは一読者として映画化を思い立ったはずで、おまけにキングは読者に結末をゆだねている。原作にないシーンを描くことはむしろあたりまえのことと言えるのではないか。





上流社会   (HIGH SOCIETY)
1956 アメリカ

 監督 / チャールズ・ウォルターズ
 脚本 / ジョン・パトリック
 音楽 / コール・ポーター
 出演 / グレース・ケリー  ビング・クロスビー  フランク・シナトラ  ルイ・アームストロング


 これがつくられた時点で前例があったか、この後模倣があったか、いずれにしても、ストーリーは、今観ればよくあるパターン。しかし、個々の役者が光っており、それだけで観る価値がある。役不足なのに、それぞれが魅力をちゃっかり発揮しているという、なんかめずらしい作品だ。音楽がコール・ポーターというのも見逃せないし、聴き逃せない。

 個人的にグレース・ケリーがやっぱりいいと思うけれど、ビング・クロスビー、フランク・シナトラにもむろん目がいく。二人とも達者であり、また、この二人が名歌手の誉れ高いのは記すまでもない。しかし皮肉なことに、ここでの大御所二人の美しい歌唱は、ゲスト出演しているサッチモ――ルイ・アームストロングの、例のダミ声の前では色あせて聞こえる。クロスビーとシナトラの歌は上流社会≠フもので、サッチモのは「おれらの」歌、と私には思えるからかもしれない。

 わがまま放題、飲み放題、金持ちのボンをつかまえる女をグレースが演じている。ハッキリ言って、かなわん女だ。しかし、グレースなら許せてしまうのである。

 しっかし、クロスビー、シナトラ、サッチモの音楽が聴けて、しかもそこにグレース・ケリーだと? 現場の連中がうらやましい……。




人類SOS!  (THE DAY OF THE TRIFFIDS)
1962 イギリス

 監督 / スティーヴ・セクリー
 脚本 / フィリップ・ヨーダン
 出演 / ハワード・キール


 昔、なぜかテレビでよくやっていた。そんな気がするだけだろうか。とにかくインパクトがすごく、数度観たきりなのを、何度も観たように錯覚しているのかもしれない。もうメチャクチャに好きだった。

 ある夜、突然世界の空がビカビカと光りだした。ミナサン、なんじゃろか、と怪現象見物をしたのがまずかった。それを観た者は、ことごとく失明してしまうのだ。列車の運転手、航空パイロット……もむろん例外ではない。激突、墜落、あちこち燃えとるわ、人間らはパニクっとるわ、もうムチャクチャや。これはえらいことになりよったで……。

 病院で眼の手術を受け、そのとき包帯をしたままだった船員、学校をサボり、見つかるのが怖くてどこかに隠れていた少女の二人が主人公。SF冒険モノといえるか。
 海外でははやくからDVD化されていた。よっぽど買おうかと思ったくらいだが、購入者のレヴューなどを読むと、そうとう低画質らしく、なかなか手を出す勇気が出ない。そうこうするうち、ひょっこり国内盤が登場、欣喜雀躍即オーダー。画質はやはり今イチであるが、字幕もついているし、まァ、これはこれでよしとしよう。
 着ぐるみ、台車牽引、手袋……とまァ、仕掛けは学芸会レヴェルだが、そんなことはCG以前の特撮になじみきっている者としては、たいしたハンディキャップにもならない。若い人が観れば「チャンチャラオカシ」げなものと片づけられるかもしれませんがネ。
 基礎点60pt、B級特別配点10pt、愛着ボーナス、ドンと20pt加算、合計90pt。
 これはオモシロイ!……デス。



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