怪獣大決戦 ヤンガリー

YONGGARY

2000

韓国=アメリカ

40

 

Uボート

Das Boot

1997

ドイツ

95

 

用心棒

ようじんぼう

1961

日本

90

 

夜歩く男

He Walked By Night

1948

アメリカ

80

 

夜の大捜査線

in the heat of the night

1967

アメリカ

95

 

ライフ・イズ・ビューティフル

LIFE IS BEAUTIFUL

1997

イタリア

60

 

ルディ

RUDY

1993

アメリカ

85

 

ロボット大襲来

TARGET EARTH

1954

アメリカ

50

 

ローマの休日

ROMAN HOLIDAY

1953

アメリカ

90

 

湾岸道路

わんがんどうろ

1984

 日本

75

 

 

 

 

 

 



いうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめも



怪獣大決戦 ヤンガリー (YONGGARY)
2000 韓国=アメリカ


 監督 / シム・ヒョンレ
 脚本 / マーティ・プール
 出演 / ハンソン・ヤング  ドナ・フィリップソンほか


 ヤンガリーとは韓国の伝説的怪獣、ということである。それを映画でよみがえらせたいという監督の願いが結実した作品。
 発掘された2億年前の恐竜の化石は、実はかつての宇宙人のペットだった。それを彼らは今になって、突然思い出したのか、ふたたび復活させる。そして地球をいただこうと、都会で暴れさせるという話。

 怪物に暴れられている、アメリカにそっくりな国の軍隊が、必死に退治しようとする。ドンパチが繰り広げられる。なんぼ攻撃しても相手はでかすぎて歯が立たない。怪物も怪物で暴れまくるうち、宇宙人からの操縦電波を受信するアンテナ部が破壊され、とたんに正義の本能にめざめ、人類の味方になるのである。
 怪物の弱点などのヒントは古代の石版かなにかに書き残されていて、それを博士≠ェ解読するという、まーそれにしても、最初から最後までおなじみの展開となっている。日本の、たとえばゴジラ・ガメラ、ウルトラシリーズ、そしてハリウッドの恐竜もの、などがすでにやったことをなぞりまくっており、「どっかで観たな」の連続だ。
 地球征服をたくらむ宇宙人……ほとんど『宇宙戦争』(1952&2005)である。
 宇宙船のなかの宇宙人に場面を転換、怪物に指令を出すシーンまでもが挿入されている。『マグマ大使』、『キャプテンウルトラ』やTV特撮『宇宙猿人ゴリ』(のち、『スペクトルマン』)など、頭をよぎるいにしえの特撮ものは枚挙にいとまがない。
 CGも中途半端に安っぽく、笑ってすますには、そうとうムリをしなければならない。
 あかんデ、これは。まァ、ツッコミの好きな人には愉しめよう。

 サソリが変異したような悪玉怪獣を死闘のすえ退治し、バテバテになったヤンガリーが、人間の操縦するヘリの軍団に吊り上げられて、どこか安息の地へ運ばれてゆく、という場面でジ・エンドとなる。これは、まさか、続編を意識してのエンディングか? この作品の恐ろしさは、この大胆不敵、身のほど知らずぶりかもわからない。やめときなはれ、と言いたいが、観てみたい気もする。
 韓国が怪獣映画を創った、となると思い出されるのは、北朝鮮の『プルガサリ』だ。この対決、北の圧勝ですな。
 ウワサでは、これにはオリジナルがあり、それは『ヨンガリ』というらしく、そちらは純韓国製ということだ。観たい……。




Uボート (Das Boot)
1997 ドイツ


 監督 / ウォルフガング・ペーターゼン
 原作 / ロータル=ギュンター・ブーフハイム 
 脚本 / ウォルフガング・ペーターゼン
 音楽 / クラウス・ドルディンガー 
 出演 / ユルゲン・プロホノフほか


 第二次大戦を舞台にした戦争もの。見応え十分。ラストシーンも衝撃的で、映画を超越し、まるでドキュメンタリーのような迫真がある。
 潜水艦内部のシーンが延々と続く。観ているだけで汗ばんできそうだ。敵の攻撃を受け、動作不能となった機関部を全乗組員総掛かりで修理する場面は、観ているこちらが絶望しかかるほどのリアリズムである。

 これを観たとき、作品のスケールとパワーに圧倒され、敗戦国ドイツがこれだけのものをつくったのか……という感慨もあり、呆然とした記憶がある。だからその後に『男たちの大和』を観たときの失望感は大きかった。実はかなり期待していたのだった。内容についてはさておき、その真剣度に、メジャーと高校野球ほどの差があると感じたのである。
 劇場公開版、ディレクターズ・カット、オリジナルのTV版と三種ある。完成品はやはりTV版ということになろうが、一気に鑑賞するにはチトつらい(※およそ5時間)。劇場公開版はみじかすぎるように思う。よって、ディレクターズ・カット版で観るのがベターであろう。こちらも3時間半とみじかくはないが。
 俳優陣もいい。とにかくすごい作品です。




用心棒
1961 日本


 監督 / 黒澤明
 脚本 / 菊島隆三  黒澤明 
 撮影 / 宮川一夫
 音楽 / 佐藤勝
 出演 / 三船敏郎  東野英二郎  志村喬  山田五十鈴  加東大介  仲代達矢  山茶花究  


 もう、三船は最高、東野英二郎もみごと。上映時間が2時間弱とてごろで、内容はぎっちり、間延びすることなく、一気呵成。ユーモアもきまってる。八州廻りが街に居すわり、そのようすを、三十郎(三船)と権爺(東野)が格子戸越しに見物するシーンなんか、好きですなァ。
 2、3ヶ月に一度は観てるんやないか。加東の抜け作役がまたハマってますワ。河津清三郎演ずる、たよりなげな清兵衛親分もほほえましい。それにしても山田五十鈴はすばらしい女優です。
 ハメットの『血の収穫』を翻案したという。ずいぶん前に読んだが、ピンとこなかった記憶がある。もう一度、読んでみようと思うが、思うだけで、すぐそこに文庫本が転がっているのになかなか手が伸びない。今のところ、純クロサワ作品、と私はみている。




夜歩く男 ( He Walked By Night )
1948 アメリカ


 監督 / アルフレッド・ワーカー
 脚本 / クレイン・ウィルバー  ジョン・C・ヒギンズ
 音楽 / レオニード・ラーブ
 出演 / リチャード・ベースハート スコット・ブラディ  


 ロサンゼルスである夜、警官が一人、射殺される。同僚を殺されたマーティ(スコット・ブラディ)は、志願してこの事件を担当するが、ぬかりのない犯人(リチャード・ベースハート)は、ほとんど手がかかりを残しておらず、捜査は難航をきわめる。しかも犯人はこの間も殺人を繰りかえし、犠牲者は続出する。
 マーティは担当からはずされてしまうが、独自に捜査を進め、ついに犯人の特定にいたる。

 実話をベースにしたフィルム・ノワールで、事件発生からラストまでを淡々と描いている。キャラクターにもそれほど味付けはなされておらず、警察がセオリーをはずさずに犯人を追い詰めてゆくドキュメント仕立てとなっている。しかし、夜の描写などみごとで、映画の醍醐味は十分。シンプルだが、74分と刈りこまれており、退屈しない。

 本作を観れば、だれもが『第三の男』を思い起こすはず。しかし、あの名作とならべられても色あせることはない。それもそのはず、わずか1年の差ながら、こちらが先に産まれているからである。
 ラストシーンでは、地下水道での追跡劇となる。つまりこの部分、両者ほとんど相似しており、翌年に『第三の男』を撮ったキャロル・リードがこの作品を観ていた可能性は大いにあるとみていい。
 こちらのほうが、予算面など、よほど制約があったはずなのに、その緊迫感はすばらしく、オリジナルにこう言うのは筋違いながら、『第三』と同等とすらいえるデキだ。
 では、『第三の男』の価値が下がるかといえば、そんなことはない。実際に起きた事件から『夜歩く男』が生まれ、そこから『第三の男』という極上の映画が生まれた。ある事件のストーリーが『夜歩く男』という作品を経て、『第三の男』という最終形に至った、と考えていいかもしれない。 




夜の大捜査線 (in the heart of the night)
1967 アメリカ


 監督 / ノーマン・ジュイソン
 原作 / ジョン・ボール 
 脚本 / スターリング・シリファント
 音楽 / クインシー・ジョーンズ
 主題歌 / レイ・チャールズ
 出演 / シドニー・ポワチエ  ロッド・スタイガー


 街の有力者が何者かに撲殺される。パトロール中の警官が死体を発見、すぐさま近辺の捜索を始めた。すると、駅の待合室に一人の黒人(ポワチエ)が列車を待っている。ポケットには立派な財布、たんまり入っている。黒人は連行され、警官は署長(スタイガー)に引き渡す。人種差別が根強く生きている土地柄だった。「名前はあるのか?」と署長はぞんざいに問いかけ、いたぶるように尋問を始める。黒人はフィラデルフィアから来たという。聞いたこともない。そこでなにをやればこれだけのカネが稼げるのか、と語気を強めた。ふいに黒人がポケットからなにかを取り出し、机上に投げ出してきた。身分証明書だ。署長は黒人が自分と同じ警察官であることを知る。しかも、相手は殺人課のエキスパート。自分をはるかにしのぐ高給取りだった……。

 これもだいぶはやい時期に観て好きになった作品で、小学校から高校生くらいまで、一番好きな映画を訊かれたら、これを挙げていた。むろん今でも、私にとって、この作品が特別なものであることに変わりはない。
 昨今の複雑で練りこまれたミステリーになじんだ者には、いかにもシンプルなストーリーである。なにしろ、せまい街でオッサンが一人殺されただけなのだ。この作品は、謎解きを愉しむものではない。田舎の白人署長と都会の黒人警官との関係、心的距離感の変遷が見どころである。最初はエリート意識とコンプレックスのガチンコから始まるが、事件を追うにつれ、たがいに相手の立場を理解し、人格を認めるようになっていく。
 音楽はクインシー・ジョーンズ、さらに歌がレイ・チャールズと最強。
 列車が夜のプラットホームへすべりこんでくる。いきなりレイ・チャールズの声が、列車を押しかえすように響きはじめる。身震いしそうだ。
 夜気ににじんだ真っ赤なテールランプ、カレンダーの上をはいまわるハエ、ラジオから流れてくる奇妙な唄、この雰囲気のすばらしさはたとえようもない。
 ラストの、みじかいやり取りは何度観てもしびれる。男の別れはこうでなくては、と今でも思うのであります。




ライフ・イズ・ビューティフル (LIFE IS BEAUTIFUL)
1997 イタリア


 監督 / ロベルト・ベニーニ
 脚本 / ロベルト・ベニーニ
 音楽 / ニコラ・ピオヴァーニ
 出演 / ロベルト・ベニーニ  ニコレッタ・ブラスキ  ジョルジオ・カンタリーニ


 大人気の作品のようだが、私はダメだった。
 ここでも極悪ドイツ軍によるユダヤ人の迫害・虐待・虐殺が描かれているが、そこにコメディ色を添えようとしている。しかし、テーマがテーマだけに笑えず、とにかくこれは家族の絆を描いたもの、と納得してすますしかなかった。
 戦争のおそろしさとナチスの極悪非道ぶりを描いた作品なら、たとえば『戦場のピアニスト』などがあり、それにくらべると本作はいかにも中途半端である。もちろんベニーニにそんなつもりはないに決まっているが、どうも、悪ふざけがすぎないか、という思いがチラついてしまい、個人的には好きになれなかった。親が子のために犠牲になるというパターンも、あまり使ってもらいたくないテである。



ルディ (RUDY)
1993 アメリカ

 監督 / デヴィッド・アンスポー
 脚本 / アンジェロ・ピッツォ
 音楽 / ジェリー・ゴールドスミス
 出演 / ショーン・アスティン  ジョン・ファブロー  チャールズ・S・ダットンほか


 実話をうまく映画化した。
 私がこれを観たのはもう40歳を過ぎてからだったが、若いときに観ておきたい作品である。若い連中に観てほしい作品とも言える。
 ことさら感動的に仕上げようという作為がまったくみられないのがよい。
 フォーチュン(ダットン)が挫折しかかるルディ(アスティン)を説得するシーンとか、D=ボブ(ファブロー)の、「おれの友だちなんだ!」と観客席で周りに向かって誇らしげに叫ぶところ、そしてルディをフィールドに出すために、チームがセオリーを無視してタッチダウンをねらう……まだまだほかにもある。もう、涙なくしては観られん。くそったれ! である。
 実際のストーリーを尊重するのは立派な態度であるが、多少の脚色があってもいい。女の子との関係は、もうすこしつくってもよかったのではないか。
 公開時、日本では「涙のウイニングラン」という副題がつけられたそうだ。要らんだろう。なんでそんな余計なことをやりたがるのですかね……わからんナ。



ロボット大襲来 (TARGET EARTH)
1954 アメリカ

 監督 / シャーマン・ A ・ローズ
 原案 / ポール・ W ・フェアマン
 脚本 / ジェームズ・ H ・ニコルソン  ワイオット・オーダン  ウィリアム・レイナー  
 撮影 / ガイ・ロー
 出演 / リチャード・デニング  キャスリーン・クローリーほか


 この邦題、そそります。なんてったって「大襲来」ですからな。パッケージのイラストも、これは一大事やぞ、と思わせるに十分な出来栄えである。
 プレーヤーにディスクをセット、さあ、どうや!
 ……と観はじめたら、予想どおり、期待はずれでもあり、期待どおりでもあり……というなんとも、うれしい気分のまま終わってしまった。

 予算の都合か、ロボットは一体しか用意できなかったようである。さらに、やっぱり予算の関係か、特撮で何体もいるように見せるというワザすらできなかったようだ。
 すなわち、ロボット一体だけで、「大襲来」を演じさせようという無謀ぶりであって、仮にその一人芝居≠成功させたとするなら、まちがいなくこのロボットは史上最高、北島マヤも顔色をなくすほどの演技派ということになろう。

 住民は避難してしまい、ゴーストタウンと化した街をロボットがとぼけた足取りでウロウロしている。そのようすを、無人ホテルのなかから窓越しに観察する登場人物ら。すばらしい緊迫感だ……と思おうと努めながらストーリーを追う。B級観賞の醍醐味と言っていい。

 もとよりB級を観たくて観たものである。その意味では、期待に応えてくれた。愛すべき作品と言わねばならない。
 基礎点30pt、B級特別配点20pt。合計50pt。



ローマの休日 (ROMAN HOLIDAY)
1953 アメリカ


 監督 / ウィリアム・ワイラー
 脚本 / ダルトン・トランボ
 音楽 / ジョルジュ・オーリック
 出演 / オードリー・ヘップバーン  グレゴリー・ペック  エディ・アルバート


 いったい、なんべん観たやら……。
 ここでのオードリー・ヘップバーンの魅力は、この作品が世に出て以後、地球上のあらゆる言語をもって語られつづけてきただろうが、いまだに語りつくされてはいないだろう。
 フィルムの大半が、男二人女一人による、ただのローマ観光のシーンに費やされる。にもかかわらず、まったく退屈しないのは、オードリー・ヘップバーンが常にそこにいるからにほかならない。エディ・アルバートもたのもしい友人役を好演している。もちろん、グレゴリー・ペックもいい。ラストの、靴音を響かせながら去ってゆく姿の哀愁はこの人ならではと言えるのではないか。好きなラストシーンである。

 A.H. in Umeda, Osaka, Japan

 やはり、私はヒネクレているようだ。
 オードリーの吹き替えは、池田昌子さんというのがお定まりとなっている。たしかに、その声は美しくて品があり、ひじょうに魅力的であるが、あまりに大人びており、妖艶で、オードリー・ヘップバーンには合っていない、と私は考えている。『エースをねらえ!』のお蝶夫人や『銀河鉄道999』のメーテルはパッチリであると思う。しかし、オードリーに合っているとはどうしても思えない。
 オードリー自身の、どこか少年を想わせる声に惹かれる。だから、この作品を吹き替えで観ることはまずない。床屋を担当した広川太一郎は捨てがたいのだが。

 この作品は当初、フランク・キャプラがメガホンをとることになっていたらしい。キャプラは大好きな監督だが、この件にかぎっては、彼でなくてよかったと思える。キャプラなら、王女と新聞記者を、ほんとうにくっつけてしまいかねないからだ。
 ちなみに、リマスターされたDVDの画質がきわめて鮮明なのにおどろかされる。

【印象的セリフ】 "Life isn't always what one likes." (ままならないのが人生だよ)




湾岸道路
1984 日本


 監督 / 東陽一
 原作 / 片岡義男
 脚本 / 東陽一  金秀吉
 音楽 / 一柳慧
 出演 / 草刈正雄  樋口可南子ほか


 その日、杉本健介(草刈)は機嫌が悪かった。なにしろ、ハーレー・ダヴィッドソンを買うために貯めていた70数万のカネが、知らぬ間に消えていたのだ。通帳を調べてみると、すべてクレジット会社からの引き落とし。妻・芙美子(樋口)の洋服代に替わっていたのである。健介が芙美子の財布をのぞくと、そのなかでは31枚ものカードがひしめいていた……。

 東陽一監督の手腕、そして草刈正雄と樋口可南子のコンビで魅せる。とくに樋口が抜群だ。終盤、湾岸道路から自宅まで、独り帰って行く姿など、夏の薫風を思わせ、実にステキである。
 片岡義男の原作は知人に進呈してしまい、手元にはない。比較は記憶にたよらざるをえないが、東監督はほぼそのイメージを守っていたと思う。私的には、原作を上まわる魅力を感じている。

 健介が70数万を貯めていたという事実から、彼は芙美子との別れを決意していることがわかる。ハーレーを手に入れる目的が「日本をさすらう」ことだからだ。すなわち貯金は、「いずれ独りで飛び出していく」意志が彼にあることを示している。
 天然マイペース女の芙美子は終始一貫ペースをくずさない。そして、健介はいつしかそのペースに巻きこまれている。
 物事の判断基準を「カッコいいか、そうでないか」に置いている健介とって、オートバイといえばハーレー。ハーレーは「カッコいい」ものであり、美人の妻にしても、「連れて歩くとカッコいい」という理由で選んだ。オートバイも女もファッションとして機能していなければならない。
 しかし、だった。芙美子は連れて歩くには「カッコいい」。だが、彼女のペースに巻きこまれてしまう自分の「カッコ悪さ」に、やがて気づきはじめる。健介はその「カッコ悪さ」にがまんができなくなり、女と別れることを決める。そして住処を引き払い、会社も辞めて「日本をさすらう」ことにする。「カッコいい」ハーレーにまたがって。そしてそれは芙美子の重力から逃れられるだけではない。芙美子という「カッコいい」存在を置いてゆくことが「カッコいい」のであり、それ以上に、なんと言っても、さすらうこと、それ自体が「カッコいい」ことなのだから……。
 だが最後は結局、芙美子にこう言われてしまうのである。「行かせてあげるわ」

 ストーリーとしてどうしても納得できないのは、二人が湾岸道路で別れたあとだ。あとの内容がどうのというのではなく、あとがあること自体に納得がゆかない。
 原作は、旧姓の川島にもどった芙美子が苦労のすえ、限定解除の免許を取得。しかも、新車のハーレーにまたがり、やはり健介と同じように湾岸道路から旅立つという、なんとも、やりすぎ感、蛇足感横溢の展開となっている。
 しかし、その実感は映画のほうがより強いかもしれない。律儀にそのストーリーをなぞっているが、何度観ても、この部分は余計に思える。健介が千葉方面へ走り去り、残された芙美子が独り歩み去るところ――樋口可南子がもっとも魅力的なところ――で終わるべきではないか。樋口もハンドルを握ったとたん、まるでエンストしたように魅力がガクンと落ちている。そのまま最後まで、オートバイとまったく一体化できずに終わっていた。

 テーマ音楽はベルリオーズの『幻想交響曲』(※ジャン・フルネ指揮東京都交響楽団)。一柳の案か、東監督の案かは知らないが、悪くない選択だ。健介がカーステで、この『幻想』(第2楽章)をかけるシーンがある。この場面、原作では、なんとチャイコフスキーのピアノ協奏曲となっていた。ナビ・シートに女を乗っけてあれを流すかねえ……。センスなさすぎ。アンビリバボー。



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