鉄クズ置場
未整理の雑文倉庫のごとき場所です。扉は閉めてあるが、カギはこわれているので出入り自由。そんな場所。
blavo! blava! blavi! |
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blavo! blava! blavi!
「ブラヴォー」を叫んだことはない。理由は簡単、恥ずかしいからである。
終曲がちかづくと、演奏はそっちのけで、いつ「ブラボー!」を発するかに命をかけている御仁がいてはりますな。甲子園、7回の表で相手チームが攻撃してるのに、もう風船ふくらますことに必死。あれとよう似とる。野球を観に行ってるんやなくて、風船飛ばしに行ってはるんやな。なかには、空気を入れすぎて破裂させてしまう人もいてはります(※初めて甲子園に行かれる方、甲子園では、風船の割れる音で、「ああ、7回やな」と思ってください)。甲子園も、年に何試合かだけでもいい、鳴り物と風船禁止の日をつくってくれんかな。そしたら観に行くのに。
それはいいとして。
で、おんなじように、まだ音響が消え残ってるのに、がまんできずに絶叫する。風船が割れてしまうんですな。チャイコの『悲愴』なんか、文字どおり悲愴でしょうね。しずかーに終わるのであの人ら泣かせなんやないか。しゃあないから、もうええやろとばかりに、適当に見切りをつけて、「ブゥラブォーッ! ゴルァァァァ!」とわめきちらす。ちょっとあんた、ほんまに感動してんのか?
もし感動してたら、静寂が舞い降りてくるまで耳をすますはず、最後の一音まで聴きつくすはずや、と私なんかは思うわけだ。
あないして最後の余韻を奪う方は犯罪をおかしていることを知っていただきたい。安ない入場料があのバカ声でムダになってしまう。「ブラボー」はかまわない。むしろ、演奏者へのすばらしい称賛や感謝の表現だと思う。そやけどね。すまんけど、もう2、3秒待ってくれへんかな。たのむワ。ダメ? なにがなんでも一番先に声を出さんと気ぃすめへんの? しんぼうたまらんの? トイレに間に合えへんの? そやから、そこをもうちょいがまんして……。
そうでっか……。あきまへんか……。はた迷惑な話や。
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つまり、「サイン」である。中古レコードを買ってると、ごくたまにサイン入りというのに出くわす。宛名が記されていることもある。せっかくサインしてくれたのによく手放すな、と思うことがある。やむをえない事情があったんやろな、と思いたいところだが、私もやられたことがありますよ。
古本屋でね、拙著を見かけて、なんとなく手にしたらそうだった……あれは哀しいですな。私とは縁もゆかりもない大型古本店に売り飛ばして、百円に満たないカネと交換するわけだ。「あんなつまらんもん、処分や」と言われれば返す言葉はないけどサ。
やっぱりサインは基本的に直接もらったもんやないと、値打ちがないような気がします。言いながら、私もハリウッド・スターの署名入りブロマイドを買ったことがありますけどね。入手したよろこび以前に、「ニセモンかも……」という疑念がつきまとう。それでも、ホンモノと信じるしかないですわな。
若いころは、ひいきにしている演奏家のサインをねだったものである。うれしかったのはボベスコからもらったとき。ほかにも、クレーメル&アルゲリッチ、イダ・ヘンデル、ブロムシュテットにももらった。
そないゆうたら、川島なお美にももらったことがある。なんとまあ、まだ捨てずに持ってますよ。女子大生のころの、ヘア・ヌードになるずっとずっと前の、まだ血管に血が流れてるときの川島なお美のサイン。すんごい値打ちモン……でもないでしょうな。
クレーメル&アルゲリッチのときは、さすがに超人気者が二人一緒ということで、いつまでたっても列がなくならない。本人らも、見るからにウンザリ顔で、アルゲリッチは怒っているようにすら見えたものである。
アルゲリッチはべっぴんさんやとばかり思っていたけれど、そばで見るとちょっと怖いオバハンだった。そのお方が、ごっつい迷惑そうな顔や。それでも熱心なファンは、レコードやらポスターやら写真やら請求書やら住民票やら印鑑やらサービス券やら、いろんなもんをぎょうさん持って並びよる。その一つ一つにサインがほしい。でもいっぺんにもらえないから、繰り返し列に並びなおす。整理係のような人が「では、そろそろこれで」とやんわり解散させにかかるが「知るかいな」という顔をしとる。みんながみんな、「まだイケるはずや」と思っているのである。こうなると、終わりませんワ、なかなか。
私はプログラムにもらうとさっさと引き揚げたので、あれがいつまで続いたのか知らない。お二人ともはやいことシャワー浴びて、冷たいビールなり、ワインなりを飲みたかったんやないか。
あれ以後、私はサインをもらうために並ぶのをやめました。
ローラ・ボベスコのこと
ボベスコのことを書く。
しかしまあ、すごい人気である。中古市場で彼女のレコードは。
私の場合、まだ新品が市場に出回っているときに、ある程度入手していたのは幸甚と言うしかない。それでも、入手モレはけっこうある。そいつを中古でゲットしようとすると、これがまたたいへんだ。完全に財力勝負となる。となると勝ち目はうすい。彼女の代表盤といっていいものは、おおかた手元にあることもあって、入手努力をやめてしまった。
それにしても、なんでこんなことになってしもたんでしょうね。わからぬ。人気があるのはわかるが、あまりにも異常な印象だ。
それはさておき――。
彼女は協奏曲なら「ブラームスに自信を持っている」とインタヴューで応えていた。でもブラームスのヴァイオリン協奏曲はレコードしていない。プライヴェート盤が残っているが、あれはたしか一楽章が欠落してたのではなかったかと思う。持ってないので、たしかなことはわからない。
で、そのブラームスであるが、実は私、彼女の全3楽章完全演奏録音を持っている。来日公演でのもので、AMで放送されたのを録音したのだ。私の、いわゆるお宝テープ≠ニいうことになるかもしれない。
それまでもレコードで聴いて、魅力を感じてはいたが、初来日時のリサイタル(於サンケイホール)を聴いたのが決定打となった。すばらしいリサイタルだった。以来、大ファンになった。高校2年のときだ。
チケットの発売当日、放課後、クラブの練習をサボり、梅田の阪急プレイガイドに買いに行った。
ええ席残っとるかいなと思いながら、「券ください」、そう言った。すると店員が、輪ゴムでまとめたチケットの束を出してきた。好きな席を選べ、と言う。びっくりした。まだだれも買っていないのである。けっこう人気あると思っていたのだった。私は、中央、前寄りの席を選んだ。
ボベスコからサインをいただいたのは、私にとって忘れえぬ思い出の一つだ。19歳のときのことであり、予備校生だった。ボベスコが2度目の来日を果たしたときである。
場所は大阪の厚生年金会館。朝日放送『百万人の音楽』の公開録音があった。3大Bのコンチェルトをひと晩で弾くという、演奏者からすればしんどいコンサートだった。私の持っている録音は、このときのもの。
演奏終了後、楽屋まで押しかけた。そのつもりで、あらかじめレコードを用意して会場に乗りこんでいたのだった。
ちなみに、持ちこんだレコードは、ベートーヴェン(第8ソナタ)とニン(4つの小品)、ストラヴィンスキー(イタリア組曲)を入れたLPで、これは今でも自分の持っているレコードのなかでも最愛の一枚だ。とくにニンとストラヴィンスキーがすばらしい。
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ELECTRECORD ECE 0261 |
ただ、その盤はベルギーのDuchesne盤(ピアノはピノウスキーpinowski)で、オリジナル盤ではない。あとでCDの時代が来て、同じ録音がCD化されたのを聴いたら(こっちでは、ピアノはカブデボとなっているがDuchesne盤と同一演奏。つまりピノウスキーは偽名で、カブデボが正しい)、音質が数段いいのでおどろいた。
その後、エレクトレコードのオリジナルを手に入れた。ニンとストラヴィンスキーは同じで、ベートーヴェンではなく、バッハの第3ソナタ(伴奏付)が入っていた。
CDはステレオ・プレゼンスが付加されているのか、もともとステレオなのかよくわからんのであるが、やや音場に拡がりがあり、聴きやすい。オリジナル盤はモノラルで、固く握ったおにぎりみたいに音がギッチリ詰まってる感じがある。CDの曲目はオリジナルどおりである。
あのとき、ボベスコとひとこと、ふたこと話しをした。内容はまるで憶えていない。私はどうせ英語もできず、舞いあがっていたのは確実であるから、たいしたことはしゃべってないとは思うが。
ヴァイオリンがそこに置いてあり、それについてたずねたはずだ。たしか彼女は「ガダニーニ」と答えたのではなかったか。違うかもわからぬ。
ボベスコは一人で楽屋にいた。ライトが落としてあり、部屋は薄暗かった。スポットライトを存分に浴びたあとは、暗い部屋で落ち着きたくなるのかもしれない。背の高い女性、というイメージが残っているが、それが正しいのかどうか、今となっては自信がない。
そして、ボベスコはいやな顔一つせず、サインの求めに応じてくれた。私が抱えていたレコードを見つけ、両手を差し出して、お貸しなさいというポーズをとったほどだった。私は用意していたサインペンとともに渡した。
"lola
bobesco / Osaka / April 1981" ――返ってきたレコードにはそんなサインが記されていた。「サンキュー」とかろうじて声が出た。そして彼女は握手をしてくれた。笑っていた。私は感激し、サイン入りのレコードを、その場であらためてながめた。
彼女はアンコールで、バッハのガヴォット(※無伴奏パルティータ第3番より)をよく弾いてたようである。私も二度聴いたが、すばらしいものだった。
厚生年金会館でもアンコールはガヴォットだった。聴衆の一人が、演奏が始まったとたん、拍手を送った。どうしょうもないうれしがりやな、と瞬間的に怒りがこみあげたのを記憶している。
あの夜の演奏はフィリップスが録音していて、それはレコードになる予定だったそうだが、なにかの理由で見送られたという(※のちに日本で制作、発売されたローラ・ボベスコの芸術=i5LP)の解説で宇野功芳が書いている)。
オーケストラは大阪フィル、指揮は手塚幸紀。番組の進行は、故芥川也寸志と野際陽子のお二人だった。(関連スクラップ→●)
それにしても、バッハ無伴奏の全曲を聴きたかった。あの人のこれが聴きたかったという、ないものねだりは多々あるけれども、ボベスコの無伴奏ほどその思いが強いものはない。
ところで、あそこ――厚生年金会館――の警備態勢はどうなっていたのだろう。だれにもじゃまされずに、スイスイ進んで、気がついたら楽屋の扉の前に到着していたのである。
私は、ボベスコにサインをしてもらったレコードはもちろん、あのとき使ってもらったサインペンも捨てずにもっている。
ラジオ時代のラジオ
70年代半ば、ラジオがブームだった。ローカル深夜番組、FMのエアチェック、海外放送を聴取するBCLが同時に流行りだし、相乗効果で、大きなブームに成長した。そして、ここぞとばかり、デザイン&性能のいいラジオが、ほとんどの家電メーカーから続々と発売された。
当時、悶絶しそうになるほど欲しかったが買ってもらえなかったラジオがあった。
ナショナルのクーガRF-888というやつで、とにかくデザインがいい。形状は正四角柱の箱形。正方形の面に内接円が豪快にデザインされており、すなわちそれがスピーカーだ。口だけしかない顔のようである。音のオバケのようなラジオ。「吠えろ!
クーガ」というキャッチが添えられていた。まさに吠えそうなラジオだった。
かなり激しくせがんでみたが親は首を縦に振らなかった。カタログをちらつかせて交渉した。相手は耳を貸さなかった。カタログはもうボロボロになっていて、折り目が裂け目に変わるほどになっていた。
結局、家にラジカセがなかったので、それならば買ってやる、となり、私は妥協し、数日後、日立のパディスコ≠ニいうラジオ付きカセットレコーダーが家にやって来た。使ってみると、ラジオを聴くに不都合はなく、FMのエアチェック(モノラルのみ)もできるので、私は大満足し、反比例的にRF-888への執着を簡単に捨ててしまった。
ところが、親もラジカセの魅力にとりつかれ、操作しはじめた。休日などに、民謡だの映画音楽だのをせっせとテープに収録してよろこんでいる。
もう一台必要なのではと視線を向けてみたが、二台も必要ないとの返答だ。録音機能はそう頻繁には必要なかったが、ラジオはそうはいかない。私にとって夜の必須アイテムとなっている。深夜放送、海外放送を聴くのが習慣化しつつあった。
オレのラジオを買うてくれ、と訴える口実がふたたび生まれた。
ついにラジオを買ってもらえることになった。ところが私の選んだのは、あのRF-888ではなく、ビクターのF-240という機種で、サウンドシューター≠ニいうニックネームが付いたものだった。なんでそれを選択したのか。私はすでにヒネクレていたので、みんなと同じ、ソニーやナショナルはいやだったのである。
ラジオ・ブームはいよいよ沸騰し、周囲はソニーとナショナル、つまりスカイセンサー≠ニクーガ≠フ二大政党制のような状態にあった。私は無所属を選んだわけだった。
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National Panasonic RF-888 |
F-240はそのニックネームが示すとおり、音質重視のラジオだった。スピーカーは2WAYであり、ゲーム機にあるような調整スティックでトーンコントロールができるようになっている。
このラジオはひじょうに活躍して、高校生になってもまだ使っていた。故障もなかった。ロッドアンテナの先端が折れた程度だった。
今も部屋のすみっこに転がっている。ACアダプターを紛失したために電源をとれない。電池を入れれば鳴るだろうが、面倒なので試していない。マ、そのうち再生しよう、と考えるうち、十年、二十年が過ぎてしまった。
話をRF-888に戻す。私はそれを40代に達してから入手した。むろん、中古である。やや埃をまとった「吠えろ!
クーガ」を手にしたときは、なぜか親に買ってもらったような気分だった。
広辞苑みたいにでかくて重いため、ショルダーベルトが付属している。ゼンマイ式のタイマーはこわれているものの、ラジオ機能に衰えはなく、今でも堂々と鳴っている。昭和の音がしている。いい感じです。
最後のレコード店――神田《ハーモニー》のこと
レコード専門店《ハーモニー》(東京・神田駿河台)のホームページを、ひさびさにのぞいてみたところ、3/20で閉店したとのことである。ちかごろ、パソコンがフリーズすることしばしばであるが、今回ばかりは私がフリーズした。
レコード芸術誌にはその旨を告げる広告が載ったのかもしれない。だとしても、私はもう十年以上レコ芸を買っていないので、知りようがなかった。
ちょっと前には、お茶の水の店舗を閉めて通販専門になるとかで、そのことかと思ったら、HPの最後の更新は今年であり、通販に切り替えたのは去年だから、これはほんとうの閉店らしい。
心臓が重くなるような感覚があり、つかの間呆然とした。
思い出深い店だった。
高校生のときからお世話になり、レコードをよく送ってもらった。クナッパーツブッシュのプライヴェート盤などはここでしか手に入らなかったし、外盤の個人注文を受けつけてくれるのもありがたかった。
疎遠になった理由は、CDの登場だった。LP自体と縁が薄くなってしまったのである。
忘れられないのは、初めてお店に行ったときのことで、高校2年だった。1979年のことだ。
修学旅行先が東北だった。大阪から新幹線に乗り、まずは東京に出た。当時は東京以北に新幹線が通っておらず、そこからはバスになる。バスが東京駅を出発し、しばらく外をながめていたら、流れ去ってゆく風景のなかに、ハーモニーの看板を見つけた。お茶の水近辺を走っていたらしい。
レコードはいつもあそこから送られてくるのだと思うとややコーフンし、「いつも買うてる店や」と隣にすわっているツレに言うと、そいつが「どれどれ」と窓の外に視線を振ったが、もうそのときには見えなくなっていた。
その後東北を旅行し、ふたたび東京にもどってきた。バスがはやく着きすぎて、40分ほどの余裕ができた。とりあえずはそこで休憩となった。クラスの東京に詳しいヤツから、お茶の水への行き方を教わった。医者の息子がいて、なぜか小遣いを7万円ももっていた。そいつに1万円借りた。
国電の御茶ノ水駅で下車し、通りすがりの男の人に中央大学の方角を教わり、とにかくやみくもに走った。レコ芸掲載のハーモニーの広告には中央大学の近くだとかそんなことが記してあったのを記憶していた。
幸運にも、迷うことなく店に行き着いた。学ランを着ていた。汗だくの私を見て、奥さんがタオルを貸してくれた。奥さんは大阪の千里のご出身だか、居たことがあるとかおっしゃっていたはずで、千里は、私の住んでいた箕面とは隣接するので、たしかその話をすこしした。
時間が限られていた。のんびりしていては、オレだけ東京へ置いてけぼりとなる。いや、その前に、約1名が行方不明、ということでみっともない注目の浴び方をされてしまう。私は、ロジンスキーのマーラー『大地の歌』(カナダ・BATON)と、日アルトワが復刻したオークレールのハイドンを買った。
店主の上田さんとも話した。私の名を憶えていてくれた。あのころ、送金はおもに現金書留であり、それだけで数百円の料金がかかる。レコードの送料もバカにならない。学生でカネもないので、注文品がまとまってから送ってもらったりした。ムリを言う客ということで印象に残っていたのだろう。
そういえば、何年か前に、十数年ぶりにレコードを送ってもらった。キャッシュレスのこのご時世に、送金はやっぱり現金書留だった。郵便局で現金封筒を買うなんて何年ぶりだったろう。住所を確認し、糊で封をする前にもう一度金額がまちがっていないか確認をする……。なつかしい緊張感だった。
今、拙サイトで公開しているバッハの無伴奏のレコードのうち、新品で買ったもののほとんどは、ハーモニーでとってもらったものである。入荷率は高く、ひじょうにたよりになる店だった。さすがはレコード専門店≠セった。入らなかったのは、フェラスの全曲盤くらいだったような気がする。
ボベスコを聴くきっかけになったのもハーモニーの広告だった。興味があるので、推薦盤を教えてほしいというハガキを出したら、フォーレのソナタが最高だ、という返事をいただいた。大阪でボベスコ演奏会の公開録音(朝日放送の『百万人の音楽』)があったときには、入場券を手配してもらった。
最後に足を運んだのは、たしか2001年で、仕事で上京したときである。しかし、時間が遅く、ちょうどシャッターがおろされようとするときで、なにも買えなかったのは残念だった。
大阪の《大月楽器店》が消え、《ワルツ堂》が消え、東京の《ハーモニー》が消えた。
寂しい。
毎年年賀状をくれるなど、大規模店にはないぬくもりがあった。
《ハーモニー》は私にとって、最後のレコード店≠セった。
(2008/06/03)
(以下続……)