重要なことは人に自分のことをただ好きという程度ではなくて、本当に自分を愛させるということです。 それを達成できれば、あなたはあなたの体重と同じくらいのダイヤモンドほどの価値があります。 自分が嫌いで、自信がない人がいたら、彼に自分を愛すことができると感じさせなさい。 彼は自己に頼り始めることができると感じて、自立できるほど自信を持ち始めます。 さて、だれがそれができますか? 政治家でも、どんな大金持ちもそうすることができません。 お金でそれを買うことはできません。 でも、あなたなら、それができるかもしれません、そして、それはあなたが他のだれよりも豊かであることを意味します。 そして、とても奇妙なことですが。 世界にどこに入っても、例外なくあなたは、必要とされていることがわかるでしょう。 それはとっても良い感じです。
   モーシェ・フェルデンクライス

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 モーシェ・フェルデンクライス博士のこと

フェルデンクライス博士は1904年5月6日に生まれ1984年7月1日に亡くなりました。もちろん、フェルデンクライスメッソドの創始者です。物理学、機械工学の博士号をもち、解剖学、生理学、心理学にも精通していました。長年にわたる柔道の指導経験や様々なスポーツ経験と広範な知識をもとに人間の発達と行動の働きを研究から1940年後半にフェルデンクライスメッソドを体系化しました。


 Shall we dance?

自分にとっては当然の理由から、決して踊らない男性が参加するダンスパーティーを想像してみてください。彼はいつも踊り方を知らないと言ってあらゆる誘いを断っていました。でも、ある女性がこの男性を気に入って彼を熱心に説得してフロアーに連れ出します。
彼女自身が動くことで、彼女はなんとか彼も動くようにしました。そのダンスはあまり複雑ではありません、ぎこちない時が流れて、音楽がその動きと関係していると彼の耳が告げるとき、彼は彼女の動きがリズミカルなことを意識するようになります。それでも、ダンスが止まるとき、彼はほっとしました。そして、彼は自分の席に戻って、ひと息つくことができました。
その晩の終わりには彼は彼女の動きやステップにもっと楽についていけるとわかって、彼女の足にぶつかることを避けることさえできるようになりました。彼は頭の半分ではたぶんそれほど下手じゃなかったなと思いますが、自分はまだ踊ることができないことを知っていました。
2回目のパーティの後では彼はダンスは自分に向いていないという信念をぐらつかせるほどすばらしく進歩しました。
さらに次にパーティでは、ある女性が彼がそうであったように一人で座ったままでいるのことに気がついて、その女性をダンスに誘います。まだ、自分はあまりうまくないと不満を言いながらね。
そのとき以来、踊るようになってから、彼は言い訳から始めることを忘れてしまいました。
...彼は自分の潜在能力について何も知らないのにかかわらず学んだのですね。
モーシェ・フェルデンクライス


 イスラエル初代首相との出会い

モーシェ・フェルデンクライスが1950年にテルアビブに戻ったとき、彼はデビット・ベン-グリオンにワークすることを頼まれました。
デビット・ベン-グリオンはイスラエルの初代の首相だった人で、その時代の医療では助けられない多くの健康に関する問題を抱えていました。ベン-グリオンは当時64歳でひどい背中の痛みと歩いたり、単に椅子から立ち上がるだけでも困難な呼吸不全の症状を抱えていました。でも、ベン-グリオンはすばらしく活動的で力強い個性の持ち主でもありました。それは彼は何年も農民として働き、初期のパレスチナの入植地の兵士として従軍した後で、数カ国語で法律を学んだ政治家としての経歴でも推測できます。
1950年当時、モーシェ・フェルデンクライスはまだあまり多くの年とった人たちとワークをしていませんでした。それで、彼はベン-グリオンを助けることができるか分からなかったのです。最初に会ったとき、彼はベン-グリオンの頭と首の動きを感じ取ることから始めました。
頭の可動性は動物にとっては必然です。そう、脅威や機会に反応できるように環境を知覚するために必要だからですね。
もし頭が十分に動かなければ、腰や股関節そして脚の筋肉群はたえまなくオバーワークで、呼吸はうやむやになり、十分なリラックスに到達することはできないでしょうし、たいてい心配やストレスを感じるでしょう!
そして、ベン-グリオンはこれらの問題のすべてを体験していたそうです。
しかし、モーシェ・フェルデンクライスはベン-グリオンの頭が小さい幅では完璧に動いたことに驚きました。ベン-グリオンの非凡な才能が肉体の機能に伸びていることを認識して、モーシェはベン-グリオンの手助けができることを知ったのです。
その後でモーシェ・フェルデンクライスはベングリオンに腰掛けの上に立って床に飛び降りてみてと頼んでみました。でも、ベン-グリオンはそうすることはできませんでした。飛び降りたら、痛みがでるんじゃないかって恐れていたし、単純に自分の楽しみでそんなことをしたことを思い出すこともできなかったのですね。
ベン-グリオンはイスラエルの独立させるという夢に全生涯を捧げていたので、深いところで自分の安らぎと健康を無視していたわけです。


 フェルデンクライス博士逆立ちを教える

しばらくして、モーシェ・フェルデンクライスはベン-グリオンを定期的に毎日規則的に見るようになって、二人はとても親しい友人となりました。数年間を通して、ベン-グリオンの健康はドラマティクに向上して、楽しんで階段を駆け上ったり、イスラエル国会の建物の廊下を走ったりするようになりました。
彼らがどのようにして最初に頭で逆立ちをしてみようというアイデアを思いついたのかははっきりとは分かりませんが、あるとき、モーシェ・フェルデンクライスがベン-グリオンが頭で逆立ちをすることを助けることを二人が同意しました。ベン-グリオンがやりたがったという話もありますが、ベン-グリオンが特定の目的ではなく自分の喜びの為に何か厳密さを要求することをしたかったことによるようです。ベン-グリオンの専門でもある法律は厳密で正確さを追求するものでもありますから、ベン-グリオンは緻密で繊細な美とかそういったことが好きだったのかもしれません。
1962年の10月にベン-グリオンは76歳のときにテルアビブの自宅近くの浜辺で頭で逆立ちをしているところを撮影されます。その写真は大きく拡大されてアメリカ合衆国のパレードマガジン紙やTIMEに掲載されて大きな話題となりました。これはモーシェ・フェルデンクライスの名前が世界中に知られるようにもなったきっかけにもなりました。
モーシェ・フェルデンクライスは彼自身による最後のトレーニングコースのアムファーストでの2年目のトレーニングで頭で逆立ちをすることを教えましたが、彼の教えたやりかたは他のエクササイズやヨガの仕方とはまったく違う方法でした。
彼はそれぞれの動きをまったく努力感を感じなくてもすむように、そしてどこでも止められて滑らかに方向を変えられるという可逆的な動きでおこなうように指導しました。
両脚を床からいろいろな姿勢で持ち上げて優しくいろいろ速さで床に戻したり、気持ちよくあらゆる方向にねじったり、転がったり、受け身をしたりすることを学びました。どの方向にも安全に安心して倒れられることで、楽に立てるようにしていくのです。
この過程は、はたから見ているだけでは、頭で逆立ちをすることを学ぶことと関係していることをしているとは知れ得なかったでしょうし、しばらくの間は参加している生徒でさえ多くが結びつきを理解していなかったそうです。
この過程が続くにつれて、モーシェは頭で逆立ちをすることが完全にどうでもいいことになるまで頭で立たないように強調していました。
子供が気持ちよく探求したり、遊んだり、歩いたりすることを学ぶやり方を再創造することで頭で逆立ちをすることを学んだのです。モーシェはベン-グリオンと同じ過程を追いかけたわけですね。


 公言する夢と公言しない夢

ン-グリオンが実際に頭で逆立ちをするずっと前に、モーシェ・フェルデンクライスは取材に来た新聞記者にこの話を話していたので、記者はこのことを新聞に書きました。そして、この記事に刺激されて、世界中の医者からベン-グリオンにそんなことは止めるように説得する手紙が山のように届くようになったそうです。ベン-グリオンは「もう70歳なんだから頭で逆立ちするなんて発作の引き金になるし、たぶん命取りになるだろう」と医者たちは忠告したんですね。
ベン-グリオンが「どうなんだろう」と聞くと、モーシェ・フェルデンクライスは答えて、「だれが、よりリスクを抱えているのかな、君かいそれとも僕かな?もし、君が発作を起こして死んだとしたら、ベン-グリオンを殺した人間として僕は刑務所か、さらにひどいことに、残りの人生をあざけられながら過ごすことになるだろうよ。」と話したそうです。
そして、ベン-グリオンは続けることを選択しました。
モーシェ・フェルデンクライスは彼らがやっているこの長い過程が脳の周りの血管を徐々に強くしていくだろうことを知っていたのです。モーシェ・フェルデンクライスは最小限度の血管からの出血でさえ、成り行き任せにせずに、ベン-グリオンの目の毛細血管を観察することでモニターしていました。ちょっとでも目の充血が増すと過程をゆっくりにするか、回復する時間をもっとかけるかしていました。
このように、ほんとうに全てがオーガニックラーニングで起きるように、ベン-グリオンの進み度合いは彼自身の生理機能でたえまなく調整するようにしていたというわけです。
ベン-グリオンは亡くなる数年前まで健康のままで政治に活動的に取り組み、87歳まで生きました。そして、モーシェ・フェルデンクライスはイスラエルの国宝と称せられるようになりました。
アメリカの図書館に行くとベン-グリオンの伝記や記録は沢山あります。でも、ほとんどの記録にはベン-グリオンの人生は長い間不健康に苦しんだが、65歳以降逞しくなり強健になったという事実関係が書かれているだけだそうです。そして、ただ、ごく一部の記録だけにベン-グリオンがモーシェのレッスンを受ける為に閣議の時間をずらすほど、このレッスンが重要なものであったことだけが書かれています。
まあ、驚くほどのことはないですよね。政治に個人の呼吸がどうだなんて関係ないんでしょうから...でもね。
ベン-グリオンはずーっとすごく気が短くてわがままだったようですが、二人の交流を通してに寛容さと思いやりと穏やかさを増すようになったそうです。
よりいろいろなことに気づくように、より効果的に機能するようになることを学ぶと生活のあらゆる面が向上して、世界は変わる.....。夢ものがたりかな....
手元の資料の紙がカサカサと音をたてながら揺れています。まるで、公言する夢と公言しない夢をささやいているようです。


 リンク集

 よみうり文化センター自由が丘
毎週土曜日10:30〜12:00 自由が丘駅前の「よみうり文化センター」
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毎週月曜日12:30〜14:00 渋谷駅徒歩5分ネイルと酸素バーも楽しめる新感覚ダンススタジオです。


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