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JR東日本吾妻線は、国鉄長野原線として昭和20年(1945年)1月2日、上越線の渋川と長野原(現在の長野原草津口)の間が開業しましたが、当初は鉄・硫黄などを近隣の鉱山から運び出すための貨物線でした。(長野原〜太子間は専用線が設けられていました。)旅客営業はやや遅れ、同年8月から翌年(昭和21年)にかけて順次開業していきました(貨物専用線であった長野原〜太子間も後に旅客営業を始めます)。やがて、鉱山から採掘される硫黄は石油から蒸留されて作られる硫黄よりもコストが高くつくことなどから、相次いで鉱山は閉山となり、長野原線は沿線住民や温泉へ訪れる方々の足になっていきました。この国鉄長野原線の開業によって、それまで住民の足となってきた草軽電気鉄道(現在の草軽交通)は乗客の減少や自然災害なども重なり廃止されました。その後、昭和42年(1967年)7月に電化(旧専用線の長野原〜太子間は非電化のまま)、昭和46年(1971年)3月7日に長野原〜大前間が延伸開業して吾妻線に改称、(長野原〜太子間は同年5月1日付で廃止)現在の姿になりました。JR化されるときに、動向が注目されましたが、JR東日本に引き継がれ、上野からの直通特急も走るなど、地元住民や観光客の方々の足としても重要な役割を持っています。近年の少子化や地元住民がマイカーに依存する傾向であるため、吾妻線の利用者が減りつつあるといいます。私達住民も普段から鉄道利用を心がけて、吾妻線がより多くの方の足となり、活性化することを願ってやみません。 (画像は羽根尾駅に停車中の115系電車)
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