往年の名車たち(国鉄〜JR)



国鉄バスの時代からの名車たち

 国鉄バスは個性的な車両が沢山おりました。日本国有鉄道長野原自動車営業所の時代には優先的に新車が導入されており、長野原営業所は、真田支所(現在は廃止されてしまった小諸支店の真田営業所)、渋川支所(やはり現在は廃止となった渋川営業所)を持っており、時折車両交換もあり、車両も営業所〜支所間で融通して使用されました。私も利用したことがある懐かしい車両達も登場します。画像をご提供下さった方々、ありがとうございました。この場を借りて、心よりお礼申し上げます。なお、このコーナーにアップしてある車両は全車廃車済みです。形式等が間違っておりましたら、ご教示下さい。
(画像提供:ねこも様、銀河急行様、上州名湯めぐり5号様、Y様)



忘れ得ぬ名車、日野RC320T(その1)

 私が一番好きだった、日野RC320型。1975年式で冷房付き、ロングラン運用にも入っていました。高校時代の通学でもお世話になったものです。重爆低音は今でも覚えていますが、バス通りから少し入った所にある私の家でもこの車が坂を登って来ると分かったほどでした。まだナンバーが選択できない時代にご覧の通り777で、バス好きではない人にも目立っていた存在で、同級生の女の子も「このバスに当たるとラッキーなことがある」なんて事も言われていました(笑)。同形式車は4台が在籍。JRに引き継がれることなく廃車されました。帝国自動車工業のボディをまとっています。貴重な画像をご提供下さったY様、ありがとうございます。
(群22あ777  537−5409  日野RC320T)
(画像提供:Y様)

 往年の名車の走行音

 国鉄バス時代には主役であったRC320型。高出力車でもあり、重低音で力走する姿は忘れられません。国鉄バスと同形式車である、京都交通のRC320型の走行音の音源を試験的にアップしてみましたので、画像を眺めながらお聞きください。ウィンドウズメディアプレイヤー用です。携帯から御覧の方は対応しておりませんので、申し訳ありませんが、パソコンからアクセス願います。
音源の二次使用は固くお断りいたします。
(音源提供:M様)
(編集:N様)


◎日野RC320PT その1 (再生時間:約4分17秒、mp3ファイル)




忘れ得ぬ名車、日野RC320T(その2)

 こちらは1972年式のRC320型です。バス窓のトップドアで非冷房車、長野原には一挙12台が新製配置され、当時の長野原管内であった真田・上田方面での運用や渋川線での運用もあり、管内の至る所で見られた形式でもあります。窓配置は将来2扉車(中ドア増設)に改造できるようになっていたようです。他営業所に転属していった仲間達もいるようですが、当時の国鉄バスは概ね10年で廃車されていました。昭和57年頃には廃車されたようです。この車両も帝国自動車工業のボディです。
(群22あ376  537−2014  日野RC320T)
(画像・資料提供:Y様)




 往年の名車の走行音

 国鉄バスと同形式車の2本目の音源です(音源は京都交通)。アイドリング音は軽やかな音で回っていますが、走り出すと力強い音に変わっていきます。こちらも画像を眺めながらお楽しみください。ウィンドウズメディアプレイヤー用です。携帯から御覧の方は対応しておりませんので、申し訳ありませんが、パソコンからアクセス願います。
音源の二次使用は固くお断りいたします。
(音源提供:M様)
(編集:N様)


◎日野RC320PT その2 (再生時間:約6分17秒、mp3ファイル)




国鉄名物いすゞ+日野

 国鉄では良く見られたいすゞのシャーシに日野車体のボディを架装した車両です。この車は私も通学でお世話になったものです。私が利用する時間帯の車は非冷房車に当たることが多く、1977年式と古めでしたが冷房付きで、この車に当たると得をした気分になったものです。前面には「前乗り」の表示があり、これは、真田支所の運用に就く時に他社のバス(上田交通、千曲バス)が後乗りだったために、表示していたのだろうと思います。長野原には同型車が4台在籍し、各路線で活躍していました。
(群22あ990 531−7408  いすゞBU20K)
(画像提供:銀河急行様)




長野原の主役だったいすゞ車

 古い形式のいすゞ車を代替した1983年式の車両で、前1扉の長野原らしいスタイルです。同型車が数台まとまって新製導入されました。この車両も私が通学でお世話になった1台です。
(群22あ1606  531−3477  いすゞK−CQM520)
(画像提供:銀河急行様)




最後まで残った旧塗装車

 長野原で最後まで残った旧塗装車です。以前はどこでも見ることができましたが、長野原支店では2001年で旧塗装は消滅してしまいました。画像は末期の姿で、正面の動輪マークや側面の広告枠が撤去されています。晩年は鹿沢線や花敷線での運用が多く、ひっそりと引退していきました。この車はトップドアの高出力車でした。
(群22あ1818  M531−85179  いすゞP−LV318M)
(2001年、長野原草津口にて撮影)



メトロ窓の2扉車

 1986年式のいすゞ車です。この車はメトロ窓で前中の2扉車です。中扉は締切扱いでした。一般路線タイプの車両ながら、カーテン付きです。現在、長野原支店では同年式の車両がまだ現役なことを考えると、この車両は短命だったのでしょうか・・・?長野原では2扉車は短命・・・というイメージがあります。
(群22あ1916  531−6453  いすゞP−LV318N)
(画像提供:銀河急行様)




いすゞ観光型車両

 こちらはいすゞの観光タイプで、路線用として活躍した車両です。草津線や白根火山越えの運用がメインであったと記憶しています。1982年式でしたが、この車も日野車よりも先に廃車されてしまったように思います。車体側面のJNRマークが誇らしそうです。
(群22あ1523  641−2980  いすゞK−CQA550)
(画像提供:銀河急行様)




中型車・なつかしの渋川線

 長野原草津口〜渋川駅間にまだJRバスが路線を展開していた頃、渋川線の主力はいすゞの中型車でした。長野原役場前〜渋川駅間のロングラン運用もあり、時折大型車での運用もあったり、なかなか楽しい路線でした。渋川営業所前で待機する、今となっては懐かしい光景です。
(群22あ1732  M331−84270  いすゞLR)
(画像提供:ねこも様)




以前は少なかった三菱車1

 以前、長野原に三菱車が配属されるのは、極めて珍しい事でした。東京支店からの転属車両で、このような観光型は草津温泉方面の運用に優先的に入っていたと記憶しています。古き良き時代のスタイルは、今見ても新鮮に思えます。
(群22あ1041  644−4909 三菱B907NA)
(画像提供:銀河急行様)




以前は少なかった三菱車2

 上の車両と同型車で、この車も東京営業所からの転入車で、やはり長野原〜草津温泉間の運用に就くことが多かったと思われます。このタイプで「6型」というのも珍しいのではないでしょうか。
(群22あ1118  644−4906  三菱B907NA)
(画像提供:銀河急行様)



最後の日野モノコック車

1982年式の日野車です。モノコックの日野車としては、この車が最後でした。新製配置以来、長野原を離れることなく生涯を過ごした車両です。廃車されるまで美しい国鉄バスの姿を保っていた一台です。社番は改番されており、元番は647−2981です。
(群22あ1527   M647−82481  日野K−RC721P)
(画像提供:ねこも様)




スケルトン構造の日野車

 日野車は一部の例外を除き、必ず新車で導入されていましたが、国鉄時代末期に、古い日野車を置き換えるため、ある程度まとまって導入されたと記憶しています。各路線で活躍する姿を見かけました。ただ、この頃私は地元にいなかったために記憶に頼っているところもあります。
(群22あ1716  537−4972  日野P−HU275AA)
(画像提供:銀河急行様)



新塗装の日野車

 国鉄バスでは、昭和59年(1984年)から現在の塗装になりましたが、長野原支店でも、観光路線用、貸切用の車両にはこの塗装が登場しました。この車両は登場時はサイドが一般塗装だったようですが、後から新塗装になったようです。貸切からの転用車でした。元番は647−4976です。
(群22あ1718  M647−84476 日野P−RU607AA)
(画像提供:銀河急行様)




新塗装第1号

 1985年(昭和60年)に新製導入された車両で、当初から現在の塗装とJNRのマークをつけいました。主に貸切用としての運用が多かった車両です。晩年はJNRのマークも外されてしまいましたが、最後まで美しい姿を保っていました。方向幕の「国鉄」が古き良き時代を思い出させてくれます。元番は647−5979です。
(群22あ1816 M647−85479 日野P−RU607AA)
(画像提供:上州名湯めぐり5号様)



 




新塗装でJNRマーク付きの日野車

 上の車両の後期型です。この形式も数台まとまっての導入となりました。多くの仲間がいた同型車は転属や廃車があり、最後まで残った2台は平成16年12月までに全廃となりました。登場時から新塗装で、前面に動輪ではなく、JNRのマークが付いていました。最初見た時のインパクトは強かったです。この車も改番されており、元番は647−6919です。
(群22あ1897  M647−86419  日野P−RU607BA)
(画像提供:銀河急行様)








長野原支店生え抜きの1台だったRU607型

 P−RU607型はまとまった数が新製配置され、当初は貸切用として使われていましたが、日野の路線用旧型車を代替する形で路線転用され、各路線で活躍してきました。ホィールベースが若干短かったため、重宝されたようです。しかし、老朽化のため、この車両は2004年8月で廃車となりました。新製以来、長野原を離れることなく活躍し、長野原の「主」のような存在でした。元番は647−6922でした
(群22あ1900 M647−86422 日野P−RU607BA)
(2003年3月、長野原草津口にて撮影)



さらば、JNRエンブレム

 側面にJNRのエンブレムがついたRU607型です。同型車が転属や廃車で数を減らしてゆく中、最後まで残った1台でした。この車両も長野原を離れることなく活躍を続けてきました。側面のJNRのエンブレムは剥がされることもなく、廃車されるまで残っていました。平成16年8月に僚友のM647−86422が廃車された後も、たった1台残った同車は、活躍を続けてくれましたが、平成16年12月、遂に廃車になりました。この車の廃車により、長野原支店から「群22」のナンバーの車が消滅しました。ありがとう。お疲れ様。RU607。
(群22あ1902 M647−86424  日野P−RU607BA)
(2003年10月、鹿沢温泉にて撮影)






前のページへ
戻る
トップページへ
トップ
次のページへ
次へ