Record O
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| アウト・オブ・サイト “Out of
Sight” 監督:スティーヴン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー、ジェニファー・ロペス、ヴィング・ライムス、 ドン・チードル、キャサリン・キーナー、スティーヴ・ザーン、 アルバート・ブルックス、ナンシー・アレン、イザイア・ワシントン、 キース・ローンカー、ルイス・ガズマン、デニス・ファリーナ 評価:★★★★ |
| きた、きた、きたーっ!!何がって?もちろん『アウト・オブ・サイト』です。この秋(冬?)、おすすめの作品は『アウト・オブ・サイト』ですよ。この作品を観れば、からだの底からホットになれること間違いなし! なぜにこんなに熱くなっているのかというと、ラブ・シーンが最高だからです。話の前半と後半にラブ・シーンがあるのだが、どちらも最高にエロティックでスタイリッシュ。このシーンを観るだけでゾクゾクワクワク。ひとつめはジャックとキャレンが出会うシーン。ひょんなことから車のトランクに入ることになったジャックとキャレン。脱獄したばかりのジャックにFBIのキャレンはいい顔できないのはもちろんなのだが、そこはジャック、たくみな話術と狭い空間を利用してキャレンの心を熱くさせてしまう。耳元にジャックの息がかかる。キャレンは愛してはいけないこの男のことが気にかかって仕方がない。しかもジャックが、“もっと違う出会い方をしていれば…”なんてささやいちゃうものだから、キャレン、頭で拒絶しても心はジャックに惹かれちゃうわけだ。このシーン、トランクの中ということで赤いライティングも使われてホントにクール。こういうクールな出会いをしちゃったからには恋に落ちないわけにはいかないよね? ふたつめのラブ・シーンは、バーでジャックのことを想うキャレンの前にジャックがあらわれるところだ。向かい合って話すふたり。たがいに惹かれ合っていることは一目瞭然。ジャックは机の下からキャレンの足に手を伸ばす。感じるキャレン。このシーンとふたりがセックスするシーンがかぶさっていくのだ。ふたりの会話をバックに、しんしんと降る窓の外の雪をバックに、またいかにものラブなミュージックをバックに、ふたりがたがいをもとめあう。もうもうもう!このこのこの!スティーヴン・ソダーバーグってば、なんて趣味がいいんでしょう。いいぞ、いいぞ。このシーンふたつだけでも★を4つあげたい気分になる。 しかし、この作品はほかの部分の構成も実に興味深い。随所に回想シーンを入れていくタイミングが見事だし、伏線の入れ方も最高だ。キャレンの夢のシーンをさりげなく入れたりするところや、アルバート・ブルックスの金魚好きな性格、キース・ローンカーの転び癖がある男の描写なんか一本あり!他のキャストもそれぞれに強烈な個性をもった奴らばかりだが、これまたものの見事にはまっている。 しかーし、この作品がこれほどまでに面白くなったのは何と言っても主演ふたりのおかげだ。濃いんだ、主演ふたりが。その名はジョージ・クルーニーとジェニファー・ロペス。ジャックを演じるジョージ・クルーニーにとって、この作品はこれまでのベスト・パフォーマンスであるといっていい。これまでに200もの銀行強盗を銃なしで成功させてきた男を最高にクールに演じている。セクシーなまなざしと声、鍛えられた体、スマートな動き。どれをとってもカッコイイ。そのうえ性格的にも、女を見殺しにできずに危険へとすすんで入っていく優しい面も持ち合わせている。こりゃ惚れるでしょう、女は。危険な香りとフェロモンの合体とでもいいましょうか。クルーニーは作品に活気を与えた。対するキャレンを演じるのは新進女優ジェニファー・ロペス。ラテン美女のこのジェニファー。ハリウッドでもっともセクシーな女優といっても過言ではないでしょう。クルーニーに負けず劣らずフェロモンむんむん。ただしそのフェロモンは男だけに通用するんじゃないんですね。そこがえらい。あくまでも自分のポリシーに忠実に、でも愛するクルーニーのことも常に考える。ラストの彼女の粋なはか らいなんか、彼らのその後を想像しただけで楽しくなってくる。タフでロマンティック(僕のいちばん好きな女性像ね)な女性を、スタイリッシュに演じている。ジェニファーは作品に刺激的な興奮を与えた。このクルーニーとジェニファーがぶつかり合ったとき、どんな化学反応が起きたのか。熱いよー。これこそやけどしそうな恋。そこらの安いハリウッド・カップルを10,000歩くらいリードするこのホットなふたりの共演。見逃してはいけません。 ところでこの作品の原作はエルモア・レナードという人なのだが、彼のひとつ前の映画化作品は「ジャッキー・ブラウン」である。この作品の中からふたりの俳優がカメオ出演している。こういうお遊びの要素もふんだんに織り込まれた『アウト・オブ・サイト』は、文字通り最高にいかす作品といっていい。 |
| November, 1998 |
| 悪霊喰 “The Order” 監督:ブライアン・ヘルゲランド 出演:ヒース・レジャー、シャニン・ソサモン、ベンノ・フユルマン、 ピーター・ウェラー、マーク・アディ、フランチェスコ・カルネルッティ 評価:★ |
| 「Sin Eater」とは「罪を食らう人」の意で、臨終の淵にある罪人の罪を食べ、その魂を天へと導く不老不死の存在のことだそうで、なんと驚いたことに実在にするという。相変わらず宗教と無縁の生活を送る僕は全くピンと来ないのだが、キリスト教圏の人々にしてみれば、案外身近な言葉なのかもしれない。『悪霊喰』は「Sin
Eater」の影がちらつく殺人事件を調査する若い司祭を描いたものである。 最後まで観ると分かるのだが、実は司祭がある決断を下すまでを描いた話だ。司祭がどんなことを経験して、そうするに至ったかを描いた話だ。映画は司祭の心の旅を描くことにすべてを捧げている。 これが、まずかった。なにしろ事件がつまらない。父親代わりだった恩師の死を不審に思った司祭がその真相を探る過程で明らかになるのは、「Sin Eater」という異端者の存在、それだけなのだ。最初こそ「Sin Eater」そのものに興味を惹かれるものの、最後までそれだけで映画を支えるのは難しい。後はオカルト風味そこそこに、なぜか狙われる司祭とその友人たちが、やけに深刻ぶって、高い格調を装って、描かれる。 子どもの姿をした悪霊に代表されるように、司祭たちはその手の存在を最初から受け入れていて、十字架を振りかざし「退散せよ」の一点張り。身体を使ったアクションはほとんどなく、ひたすらに心の戦いが描写される。これが至極退屈だ。敵との対決にしても、それは変わらない。呪文のようなものを唱えるのがせいぜいで、肉体的なサスペンスはゼロに等しい。ヒース・レジャーというイキのいい若者を迎えておいて、なんて勿体無いことをするのだろう。最後まで真面目に観る気がなくなる。 ところが、ラスト10分の展開こそ、面白い部分なのだから、困った。司祭があることを受け入れ、新しい人生を選ぶ。そして事件に関わったある人物の元へ赴く。そのときの行動は、今後の司祭の生き方を象徴するもので、「Sin Eater」の新たな可能性を示してもいる。いよいよ生まれ変わった司祭の、新しい人生。これまでの彼からは想像できなかっただろう未来が見える。そこにはきっと今まで以上の冒険があるだろうことが容易に想像できる。映画は、そこで終わってしまうのである。期待だけさせておいて、あっさり終了してしまうのである。その後こそ観たいのに、その前しか描かれない不幸。新しいヒーロー像の誕生をみすみす逃す演出が、大いに不満だ。 この作品の唯一の救いは、ヒース・レジャーの司祭ファッションである。黒いコートのような服は、右側縦に白いライン。首元からは白いシャツが覗き、胸には十字架が見える。ガタイのいいレジャーがこれを着ると、いやー、似合うのよ。似合ってしまうのよ。低い声で言葉を発する彼は、司祭だからと恋を諦めるのは惜しいと思わせるに十分だ。どうせならば、レジャーが演じる司祭をもっと型破りな存在として描くべきだったのではないだろうか。若さを弾けさせる新しいタイプの司祭像。なかなかイケると思うんだけどなぁ。 |
| April, 2004 |
| アザーズ “The Others” 監督:アレハンドロ・アメナーバル 出演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン、エレイン・キャシディ、 エリック・サイクス、クリストファー・エクルストン、 アラキナ・マン、ジェームズ・ベントレー 評価:★★★★ |
| 『アザーズ』は古くて新しいゴシック・ホラーである。画面はクラシック映画を観ているかのように落ち着いている。しかし、作品の感触は鋭利なナイフのよう。古さと新しさが混在した独特の空気があり、それこそがこの作品の最大の魅力だ。 ストーリー自体は非常に単純。1945年イギリス領、ジャージー島にあるヴィクトリア調の館が舞台。そこに住む母、娘、息子の3人が「何か」の存在に気づく…というもの。「何か」とは一体?真っ先に思い浮かべるのは、「幽霊」じゃないかということで、それを頭の片隅に浮かべながら、話はどんどん進んでいく。 プロットは古風である。絢爛豪華な屋敷、古い大木、意味ありげな墓、3人の使用人、キャンドルをともしてディナーを食べる。霧に包まれたその館、古城のような優雅さがある。しかもそこの主人が色の真っ白なニコール・キッドマンというのだから、あぁ、なんてロマンティックなんだろう。ホラーというのは「ロマンティック」でなければ面白くない、と僕は思っている。単純に「闇」を見せるだけじゃ物足りない。どこかうっとりとしてしまうものの中に潜む「闇」。これを描写してこそ、ホンモノのホラー。この作品は、いい意味で古めかしく、いかにもな舞台設定が最高に活かされている。 『アザーズ』は設定は古典的だが、しかし、その魅せ方は新しさに満ちている。何と言っても注目したいのが、「光」の描写である。子どもふたりは、重度の光アレルギーでキャンドル以上の光を浴びてしまうと、身体中が腫れ上がり命の危機に晒されるという。光を家の中に入れないために、子どもたちがいる部屋は常にカーテンが締まっているのはもちろん、50個あるというドアには全て鍵がかかり、次のドアを開けるためには、今来たドアに鍵をかけるのが必須である。つまりこの作品では、ホラー映画でホッと息をつけるであろう明るいシーンが、怖い。カーテンから漏れる僅かな光。これがこんなに主張するなんてこと、あっただろうか。光が子どもたちを襲う。闇の中でしか生きられない子どもたちと、彼らを必死に守る母親。この奇抜な設定に、ちゃんと意味があるのが素晴らしい。 もちろん闇が怖くないというわけじゃないし、ここにはホラー映画定番の恐怖要素もたくさん盛り込まれている。どこからか聞こえてくる喋り声、突然鳴り出すピアノ、死化粧をした者たちのアルバム、前が見えなくなるほどの深い霧。怖くて当たり前の要素が、やっぱり怖いのも魅力的なのだ。そして、これまたちゃんと意味がある。恐怖要素を散りばめればいいというものではなく、そこに理由があるからラストがとても切ないのである。 キャスティングもいい。神経質な母親を演じるニコール・キッドマンはハマり役。暗闇の中、キャンドルの光に浮かび上がるニコールの美しいこと!そして不気味なこと!目を血走らせて、「何か」に立ち向かうその姿。強いだけじゃなく、弱さもある母親。ニコールの硬い表情が完全にプラスに働いた。彼女の存在だけで、怖い。子どもふたりも同様で、色白で人形のような容姿が活かされている。使用人頭を演じるフィオヌラ・フラナガンも素晴らしい。優しげで、不敵で、何を考えているのかわからない表情。後の使用人ふたりの影が薄いのが残念だが、フィオヌラの存在感がそれを補って余りある。登場人物のいる意味、それが終盤を盛り上げる。 このゴシック・ホラーのテーマは、「生きること」の意味。人間は死んだらどこへ行く?死んだらそれで終わりなのか?ヒロインが最後に知るそれがじんわり胸に染みてくるのは、演出も設定も演技もすべてがハッタリじゃないからだ。ホラー映画の姿を借りて、意味のある恐怖を描写する『アザーズ』は、やっぱり古くて新しい。 |
| April, 2002 |
| アダルト♂スクール “Old School” 監督:トッド・フィリップス 出演:ルーク・ウィルソン、ヴィンス・ヴォーン、ウィル・フェレル、 エレン・ポンペオ、エリシャ・カスバート、ジュリエット・ルイス、 ショーン・ウィリアム・スコット、ジェレミー・ピーヴン 評価:★★ |
| なんとなく思い出したのは、「アメリカン・パイ」シリーズだった。「パイ」の少年たちが成長したらこんな感じなのかもしれない、と思ったのだ。下ネタが多いからではない。彼らを突き動かす気持ちの根底には、同じようなものが横たわっている。そんな気がする。 もちろん『アダルト♂スクール』の主人公たちは30歳だから、童貞を捨てたいだとかセックスにのめり込みたいというレヴェルにはいない。幸せかもしれないが平凡な生活に疑問を持ち、だから新たな第一歩を踏み出そうとする。その気持ちは、結構分かる。学生時代のように自由が利かなくて、ハメをハズしたくても理性がそれを抑えてしまう。まるで本当の自分を殺しているかのような、モヤモヤがあるのだ。そうして人は、いつの間にか老いていく。でも、どうしたらいいのかが、わからない。 しかし、だからと言ってやることがバカバカし過ぎる気がするのは、僕だけだろうか。彼らはオールド・スクール=社交クラブを作るのだが、そこでやることと言ったら、何百人もの人を招いてのパーティ、ローションを身体に塗りたくって全裸美女との決闘、動物園を呼び寄せてのピクニック、緩い身体を晒してのストーリーキングなんだもの。やりたかったことが、これなの?これで日頃のモヤモヤが晴れていくの?主人公はそんな状況で「今ほど自由を感じたことはない」と言う。これくらいなら、自分ひとりでも何とか処理できるんじゃないか?もっと普段絶対にできないようなことで新たな自分を発見する彼らを見てみたかった。これじゃティーンエイジャーと変わらないと思う。彼らと同じことを三十路男がやると、「幼稚」で済まされてしまう。 だからだろうか、終盤の大学とクラブの攻防が、クライマックスに見えない。知識、運動能力、愛校心、弁論…といった懐かしい分野に挑戦する彼らの姿が、子ども返りしているように感じられるのだ。僕は大学の頃に戻りたいと思うことはあるけれど、それでも歳を重ねることの楽しさも、ちょっとわかる。そのあたりが無視されてるように見えてしまうのは、寂しい気がする。 ルーク・ウィルソン、ヴィンス・ヴォーン、ウィル・フェレルのアンサンブルはまあまあと言ったところ。フェレルが汚い尻を丸出しにしてボケ役に徹していたが、僕にはこの人の良さがまるでわからない。ウィルソンは情けない男の役がピッタリで、エリシャ・カスバートとの絡みはかなり楽しかった。ヴォーンは…ちょっと太り過ぎじゃないか?ガタイがいいだけに体重が増えると、余計に太って見えるから要注意だ。しかし、彼が片手で子どもを抱える様は案外似合っていた。過激な会話をするたびに子どもの耳を塞ぐというのも可笑しかった。また、エレン・ポンペオがちょっと前のレニー・ゼルウィガーのような温か味を感じさせる演技で感心した。眩しそうな笑顔がいい。レニーだとどこまでも甘い感じがするのだが、エレンは苦味のあるそれだ。きっと現実を忘れていないということだろう。面白い資質だと思う。 |
| June, 2004 |
| イン・マイ・ライフ “The
Only Thrill” 監督:ピーター・マスターソン 出演:ダイアン・キートン、サム・シェパード、 ダイアン・レイン、ロバート・パトリック、 テイト・ドノヴァン、ステイシー・トラヴィス、シャロン・ローレンス 評価:★★+★ |
| ダイアン・キートンとダイアン・レインが母娘。サム・シェパードとロバート・パトリックが父息子。すごい組み合わせだな、こりゃ。しかも親と子がそれぞれ恋に落ちるっていうんだから。爆弾だって跳ね返しそうなパワーのこの4人。最後に笑ったのは誰だ?! 『イン・マイ・ライフ』、メインはキャロル(ダイアン・キートン)とリース(サム・シェパード)の中年コンビである。40代で出会いその想いを伝えるまでを、亀もびっくり、30年もの歳月をかけて描く。古着屋を経営するリースと仕立て屋のキャロル。ネックになっているのはお互いの配偶者。リースの妻は数年前の交通事故で植物状態、キャロルもまた夫を亡くしていた。わかる。過去が思い切りを悪くさせるんだ。でも、それにしても、こう言っちゃ悪いが30年も引きずってしまうってどういうこったい。特に踏ん切りが悪いのはリース。よく言えばそこまで妻を愛していたっていうストイックな男ってことになるんだが、わざわざキャロルが「生涯の女性は誰?」と聞いているのにその場面でさえはっきり愛を伝えられないっていうのは、単にタイミングの悪い男なんじゃなかろうか。演じるサム・シェパードらしい役柄といえばそうなんだが、さっさと「愛してる」と伝えんかい。キャロルも演じるダイアン・キートンの首詰めファッションと同じくらい回りくどい。姉の病気でカナダへ行くことになったときも素直に気持ちを伝えればいいものを、なぜ試すようなことしかできない?いくら中年 通り越してジジババ域に差し掛かったとはいえ、大人をアピールしすぎなんじゃないか。恋ってものは大人を子どもにさせるもの。それがすべてになってしまうもの。そういう狂おしさがあっても良かったんじゃないか。 だいたいこのふたり、やることはちゃんとやってるのだ。キッチンの床に座り込んでイチャイチャしたり、毎週水曜日は映画館デートをしたり、ドライブで絶景を見に行ったり、もちろんキスやセックスも。「マディソン郡の橋」のホラー・コンビも真っ青のイチャイチャっぷりなのに、大事な場面になると途端にダメだなんて絶対におかしい。それほど愛してるなら、キメるところはキメる、それが大人だ。大人を気取り過ぎてジジババになっちゃうなんて、コメディもビックリ仰天である。 しかしその一方、娘息子の若者コンビはいい。とてもいい。キャサリンとトム、ふたりが一緒に映し出されるのはいきなりのベッド・シーン。そこでキャサリンが言う「アナタ、目を見開いて言葉を呑み込むでしょう。あどけない子どもみたいな表情ね」。「ステキな耳だ」。「知ってるのよ。男って絶対にそう言うのよ」。このシーンだけでキャサリンが主導権を握っていることが分かる。男が奔放な女に振り回される。この構図が最高に活きているのがいい。友人と「巨乳で小さい乳首の女は最高だ」なんてバカバカしい会話をしている「子ども」なトムがキャサリンにベタ惚れ状態。着替え最中の彼女に「着替えを見たい」。「変態ね」。なんてやりとり、バカバカしいが愛してることが目一杯伝わってくるじゃないか。これだこれ。恋ってのはこういうもんだろう。母父コンビも見習いたまえ。 このキャサリンとトムは母と父の関係に影響されてくっついては離れての関係が続く(母父と娘息子の関係のシンクロがイマイチ上手く伝わらないのは、それぞれの親子関係の描写が省かれているから)。もちろんその間にも他の異性との関係はあっただろう。しかし最終的に行き着くのはお互いだ。この部分がよく出ている。母と父と同じような運命を辿るように見えて、このふたりは彼らとは全然違うレベル。「愛してる」ことはちゃんと言葉にしなくても伝わっているところが「大人」なふたりだ。だから「15歳のときから愛していた」と伝える終盤のシーンはジーンとくる。そして最後の最後にトムがキャサリンに伝えるシンプルな言葉。これですこれ。このシンプルな言葉をどれだけステキに言えるかがポイントだ。トムを演じるロバート・パトリックが意外な好演(20代シーンの髪型はギャグでしかないが)。 キャサリンを演じているのはダイアン・レイン。彼女が素晴らしく美しい。20代から40代へ。約20年間をひとりで演じているのだが、どの時代も全く違和感なしの好演。ダイアンは20代を若さならではの奔放さで、30代を大人の色香を漂わせて、40代を洗練されたクールな女として泳ぎきり、それぞれの時代の女性の姿を美しく美しく切り取っている。カメラの撮り方も彼女に対して非常に紳士的。どの角度でどう映したらダイアンが美しく見えるのかを知り抜いた撮影。この作品は風景等の撮影も観所だが、特にダイアン・レインの撮り方に成功している。 ― 最後に笑ったのは誰だ?それはもちろんダイアン・レイン。彼女がこの作品の最大の華といって間違いない。 |
| May, 2001 |
| O “O” 監督:ティム・ブレイク・ネルソン 出演:メキ・ファイファー、ジョシュ・ハートネット、ジュリア・スタイルズ、 アンドリュー・キーガン、エルデン・ヘンソン、レイン・フェニックス、 マーティン・シーン、ジョン・ハード 評価:★★★ |
| 『O』はウィリアム・シェイクスピア原作の「オセロ」を、現代のハイスクールのバスケットボール部に舞台を移して映画化した作品だ。文学に弱い僕だが、「オセロ」ぐらいは知っている。世の中でいちばん醜い感情のひとつと言われている「嫉妬」をテーマに、人間の弱さをえぐり出す。解釈次第で色々な見方ができるシェイクスピア作品だが、果たして今回の『O』にはどんな面白さがあったのか。 まず単純にストーリーが面白い。オセロがオーディン、イアーゴがヒューゴ、デズデモーナがデジーと名を変えて、嫉妬という名の悪魔の輪を作り出す。ひとりの男が抱いた嫉妬が、周囲から慕われている人間の人生を狂わせる。原作のポイントを押さえた作りで、その置き換えに感心する。そして同時に、嫉妬の連鎖が悲劇を生み出していく過程が、ヒリヒリと痛い。なるほど、人を妬むということはこんなにも醜いのか、と改めて思う。 ただし、僕はこの作品のさらに面白いところはまた別にあると思った。監督のティム・ブレイク・ネルソンがそれを意識して演出したのかどうかは残念ながら判らないのだが、この作品は「悪意のない無神経さ」についても描いているんじゃないかと思った。 …と、ここで重要になってくるのが、作品がイアーゴ=ヒューゴの視点で描かれるという点。実はこの作品でいちばん丁寧に描写されているのがヒューゴである。彼は長年バスケ部のサポート的存在として花形スターのオセロ=オーディン(黒人という設定、消化不良)を盛り上げていた。しかし、オーディンがMVPに選ばれたときに彼がいちばんに感謝したのが自分ではなくキャシオ=マイクであることが許せない。わかる。自分だってオーディンを盛り上げていた。影ではあったが彼を支えていた。それなのにオーディンはたったひとり、マイクを称えるだけ。そりゃヒューゴだって憎しみを抱くだろう。もちろんオーディンに悪意があったわけじゃない。ただし、彼にもう少しだけでも気遣いがあったなら?オーディンの「悪意のない無神経さ」がよくわかる1シーンだ。オーディンは悪役じゃないが、決して完ペキな善人じゃないところが面白い。この点がヒューゴの複雑さを強調している。 ヒューゴがオーディンに嫉妬する理由は他にもある。オーディンには美しい恋人デズデモーナ=デジーもいるという点がもうひとつ、そして何と言ってもここが新鮮なのだが、自分の父親がオーディンを必要以上に可愛がっているという点だ。ヒューゴのことは人前で散々叱り飛ばす父親(最後の描き方に甘さあり)だが、オーディンは「我が子のよう」と言ってはばからない。親と子の関係のヒビがヒューゴの嫉妬を増大させていく。いや、オーディンが太陽のような存在だということよりも、ヒューゴはある意味この点をもっとも羨んでいる節があり切ない。オーディンに悪意はない。悪意はないが、だから一層ヒューゴの痛みが切ない。 そう、ヒューゴが切ない。色々な要素がヒューゴを嫉妬心の塊にしていく。でも僕はそんなヒューゴをどうしても憎めない。だって愛されたい、認められたいっていう気持ちは誰もが持つものだもの。そりゃやることは小汚いけれど、いつも自信満々に歩くオーディンよりもヒューゴの方が人間臭くて好きだ。…という気持ちにさせるところが、この作品のいちばんの旨味じゃないかと思う。悪役には違いないヒューゴが作中、いちばん魅力的に見える。欠点のある人間ほど魅力的。完ペキな人間なんて面白くないといっているかのよう。ネルソンが意図したものじゃないとしても、僕にはこの点をいちばん気に入った。 ヒューゴを演じているのはジョシュ・ハートネット。もう少しキラキラしたオーラのようなものが欲しい気もするが、及第点。オーディンを演じているメキ・ファイファーも悪くない。ただ、演技で言うなら、やっぱりこの人デジーを演じるジュリア・スタイルズが目立つ。低い声、不敵な面構え。存在感も演技力も備えた大器だと思う。デジーの友人エミリーを演じるレイン・フェニックスの顔も強烈。ホアキンと血が繋がっていることがすぐさまわかる迫力フェイス。とんでもないクセモノ女優になるような予感がする。 タイトルの『O』とは、オーディンのオーであり、輪=リングを表すオー。たったひとつの醜い感情が永遠に周り続ける。いつかそれを断ち切ることができるのか。今の暗い世の中を見ていると、その難しさを痛感してしまうのが哀しい。 |
| November, 2001 |
| オーシャンズ11 “Ocean's Eleven” 監督:スティーヴン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、 マット・デイモン、アンディ・ガルシア、ケイシー・アフレック、 スコット・カーン、ドン・チードル、カール・ライナー、バーニー・マック、 エリオット・グールド、エディ・ジェミソン、シャオボー・クィン、 トファー・グレイス、バリー・ワトソン、シェーン・ウエスト 評価:★★ |
| もしこれがスティーヴン・ソダーバーグ監督の作品じゃなかったら、得した気分になれたかもしれない。センスあるカット割りとカメラワーク、ラスベガスの空気、吹き出してしまうユーモア等、さすがソーダーバーグと言いたくなる点がたくさんあるが、何と言っても11+3人という主要登場人物の捌き方が見事で、彼らのお仕事をこんがらがることなく見せる力量に唸る。 しかし、しかしである。彼はソダーバーグなんである。傑作「トラフィック」を送り出したソダーバーグなんである。彼ならば、これくらい魅せてくれるのは当たり前。僕が期待するのは、これらをいつも通り魅せてくれた上での、プラス・ポイントなんである。『オーシャンズ11』にはこのプラス・ポイントが、ない。 仮出所したジョージ・クルーニーが11人の仲間とともに、アンディ・ガルシアが経営するカジノから1億6000万ドルを盗み出す話。この本筋に、クルーニーと別れた妻ジュリア・ロバーツ、ガルシアの三角関係が絡んでくる。男と女と金。この3つがあれば、眠っていても話が動き出す。だが、主人公が仲間をスカウト、リハーサルを経て作戦本番、そしてその後は…というストーリー展開は新鮮味ゼロ。最近だとフランク・オズ監督の「スコア」がまんまこのパターンで、泥棒ものとしてはありきたりだ。だから、このありきたりなものに肉づけされた部分に、ソダーバーグならではのポイントを見たくなるのだが、これが見当たらないからがっかり。 いちばん納得いかないのは、11人の仲間たちの描き方だ。彼らはエキスパートなのだ。たとえばブラッド・ピットはいかさまトランプ師、マット・デイモンはスリの名人、ドン・チードルは爆破のスペシャリスト…といった具合。だが、彼らが作戦に選ばれた意味が一向に見えてこない。ピットがポーカーをするシーン、デイモンがスリをするシーン、チードルが爆破するシーンはあるにはある。しかし、その描き方にゴージャスさがない。「適当にやってみたら成功しちゃいました」みたいな感じにしか見えない。コンピュータおたく、一流ドライバー、元強盗ら、他にも出てくるキャラクターは一癖も二癖もありそうなのだが、それが一向に活かされないもどかしさ。スコット・カーンとケイシー・アフレックの双子の兄弟が、都合のいいヤツ扱いされているのなんて口をあんぐり開けて驚いてしまう。オンリーワン扱いされていたのは雑技団メンバーのシャオボー・クィンぐらいか。見たいのは、その人ならではのお仕事なのに、誰でも代わりができそうな雰囲気。この作品のいちばんの見所というべき部分が、あっさり流されているのは、うーん、ソダーバーグらしくない。娯楽映画だからこれでいい と思ったんだろうか。娯楽映画だからこそ、こういう部分をちゃんと描いて欲しかった。こういう積み重ねが、映画全体の満足感に繋がっていくものだと思うから。 この作品はオールスター・キャストという触れ込みで、僕も観る前からそう思っていたのだが、実際に観てみると案外キャスティングの豪華さは感じられなかった。エリオット・グールドやカール・ライナーの抜擢にはニヤリとしてしまうのだが、その他のキャスティングは弱い。うまいかもしれないが、華はないから。それに、何と言ってもブラッド・ピットとマット・デイモンが足を引っ張る引っ張る。一作ごとに下手になっていくピットと一作ごとに大西化の進むデイモン。彼らのなってない役者のお仕事ぶりに何度イライラさせられることか。ピットが演じるのは子ども心を残した大人の男なのに、彼が演じるとまんま小学五年生のくそガキ。子ども心を持つことと子どもっぽいことを同じだと勘違いしているようにしか見えないし、なによりスーツが似合わないのが決定的に痛い。七五三ですかー、なんて聞きたくなる。デイモンは登場シーンのショボさにたまげたが、これは役がそうなので仕方がないかもしれない。ただし、その後結局光ることなく、話から放り出された印象のままなのはどういうことか。浮いている感は否めない。そうそう、僕がいちばん頭にきたのはピットがデイモンを指 導するシーンだ。おいピット、あんたデイモンを指導できるような器じゃないだろう。威張るんじゃない。それにデイモンもハイハイ言うこと聞いてるなよー。ちょっとは反抗したらどうよ。だから肝心なところでヘマやらかすんだ。 ソダーバーグは今やハリウッドの大物監督。彼ならば大丈夫、という安心印の監督だ。だからこそ、もっとやれると思ってしまうのは、ファンの欲目?いや、それをも満足させてこそ、大監督。ソダーバーグはそうなれる人だと思う。次回作に期待したい。 |
| January, 2002 |
| オーシャンズ12 “Ocean's Twelve” 監督:スティーヴン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツ、 マット・デイモン、アンディ・ガルシア、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、 ドン・チードル、ケイシー・アフレック、スコット・カーン、 ヴァンサン・カッセル、カール・ライナー、バーニー・マック、 エリオット・グールド、エディ・ジェミソン、シャオボー・クィン、 トファー・グレイス、アルバート・フィニー、ジェームズ・ザーン ユーハン・ヴィーデルベリ、ブルース・ウィリス 評価:★★ |
| 前作から数字が増えた『オーシャンズ12』は、結局のところ、やっていることは変わっていない。5人でも10人でも何の影響もないような泥棒軍団が盗みを働く話。盗むターゲットが違うだけで、後はスターの顔見せ大会。入り組んでいるようで全然入り組んでいない話を、スティーヴン・ソダーバーグのセンスのある撮影と編集で立派に見せ掛けた映画。一作ならまだわかるけれど、続編まで作って一体何がしたいんだか。 前作と同じく、ゴロゴロいる登場人物の区別がつかないのが最も辛いところ。外見こそ違うけれど、能力の差だとか特技だとか、その人の輪郭をはっきりさせるものがまったく見当たらないんだもの。もはやスターならば誰でもいいという手抜き加減。ちょっと舐め過ぎていないか。 物語の弱さは前作以上だ。オーシャンズの面々とヨーロッパの怪盗の対決。オーシャンズが引っ掛けるのは怪盗と観客で、ならばその華麗な手口お手並み拝見といきたいところなのに、子供騙しというかつまらないハッタリというか。多分作ってる本人たちはものすごく楽しいんだろうけれど、デタラメな部分ばかりが目について、一向に興奮できない(特に後半、ジュリア・ロバーツが要となるエピソードには、ホンキで哀しくなってしまった)。大人の遊びに仕上げてくれるなら良いのだけれど、これじゃオママゴトだ。小粋を目指したソダーバーグ、計算は脆くも崩れた。 そもそもだらしがないと思ってしまったのは、オーシャンズ、すなわちハリウッド俳優たちがフランスの個性派ヴァンサン・カッセルと較べると、恐ろしいまでに見劣りすることだ。カッセルの強みは、何と言っても身のこなしの美しさで、白いスーツで車に乗り込む、それだけで優雅な香りが漂ってくる。ブラッド・ピットの3歳年下だと信じられない「ホンモノ」で迫ってくるのだ。カッセルがハリウッドの住人たちを次々と喰ってしまうのは、ある意味見ものだろう。ソダーバーグはもっと出演時間を増やすべきだった。 それからもうひとつ気になったのは、ジュリア・ロバーツのやつれ方で、もはやハリウッドのトップ女優とは思えない、景気の悪い顔である。ジョージ・クルーニーと一緒に車の中で会話する場面など、ほとんどミイラの趣だからギョッとする。「ジキル&ハイド」の頃に戻ってしまったかのような悲惨さ。「エリン・ブロコビッチ」を頂点に後は下降するのみということだろうか。キャサリン・ゼタ=ジョーンズの現代的な美貌と較べると、ロバーツの綺麗さが古臭いことに気づく。口と鼻の穴はますます大きくなり、しかし顔はますます小さくなった。口と鼻の穴だけでモッているような、そんな印象すら受ける。誰かなんとかしてやってくれ。 |
| January, 2005 |
| オーシャンズ13 “Ocean's Thirteen” 監督:スティーヴン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモン、 アンディ・ガルシア、ドン・チードル、アル・パチーノ、 エレン・バーキン、ケイシー・アフレック、スコット・カーン、 カール・ライナー、バーニー・マック、エリオット・グールド、 エディ・ジェミソン、シャオボー・クィン、ジュリアン・サンズ、 デヴィッド・ペイマー、ヴァンサン・カッセル 評価:★★ |
| スティーヴン・ソダーバーグが手掛けているのに、もはや何の興奮も覚えないシリーズになってしまったけれど、それでも一応チェックだけはしておきたい『オーシャンズ13』。前二作同様緩い作りであるのはもちろんのこと、スター顔見せ大会みたいな趣が一層色濃くなってきた。確かにこのメンバーを一度に拝める機会などなかなかないと思うのだけれど、有難味が一切感じられないのは、なぜ。 仲間の一人が悪徳ホテルオーナーに騙されて体調を崩してしまったことをきっかけに、その復讐に乗り出すという話なのだけれど、その復讐の仕方がセコくて恥ずかしくなってしまう。グランドオープンの日に、大金を大損させるだとか、モニュメントを崩すだとか、ホテル評論家を酷い目に遭わせて五つ星じゃなくすだとか、ダイヤモンドを盗むだとか、仲間を思っての計画の割りに貧乏臭くていけない。多分このシリーズが目指しているのは、日本語で言うところの「粋」だと思うのだけれど、それとは全くの無縁のカッコ悪い復讐計画。これがど真ん中にあるものだから、景気が悪くて仕方がないのだ。仲間たちの仕事の振り分けがなっていないのも、案の定。 だから結局スター観察、それに没頭するのが正しい見方なのだろう。今回はジュリア・ロバーツやキャサリン・ゼタ=ジョーンズは出ていない。新しくアル・パチーノとエレン・バーキンが登場している。悪徳オーナーを演じるパチーノはまだ分かる。全然面白くない役柄だし演技もタルいけれど、大御所だし担ぎ出したい気持ちも分からないではない。でも、バーキンの方はどうなんだろう。いや、別にバーキンに悪い印象は持っていない。いないがしかし、作品に華を添える存在としてはパンチに欠けると思うのだけれど…。終幕の媚薬場面のせいで、引き受ける女優が他にいなかったのだろうか。まさかね。 その他のスターたちも際立った仕事をしているわけではないのだけれど、ただ、マット・デイモンのハリウッドでの今の立ち位置は理想的かもしれないとは思った。このシリーズではジョージ・クルーニーやブラッド・ピットにガキ扱いされる弟分的存在で完全なるコメディリリーフ(ひょっとするといちばん美味しい役柄か)だけれど、しかしもうひとつの主演シリーズ「ジェイソン・ボーン」のときにはクールでスマートな大人の男として登場する。イメージが凝り固まりがちなハリウッドで、しかもメジャーシーンで、この両面を見せられるというのはかなり幸運だ。ひょっとして計算の上でのキャリアなのだろうか。大西なのに、侮れない男かもしれない。 |
| August, 2007 |
| オー・ブラザー! “O
Brother, Where Art Thou?” 監督:ジョエル・コーエン 出演:ジョージ・クルーニー、ジョン・タトゥーロ、ティム・ブレイク・ネルソン、 ホリー・ハンター、ジョン・グッドマン、チャールズ・ダーニング、 マイケル・バルダーコ、クリス・トーマス・キング 評価:★★★★ |
| 映画の内容どうこうの前にまず言いたい。コーエン兄弟、こんな映画をどうもありがとう! それにしても、こんなに幸せな気分にさせてくれた作品、最近あっただろうか。悲惨で、惨めで、滑稽で、でもなんて愛らしいキャラクターたち。彼らが紡ぎ上げるのは、素晴らしきアメリカ南部の田舎風景。いつも思うことだが、コーエン兄弟の作品を観ると、アメリカという国を愛さずにはいられなくなる。なんとしてでも行ってみたいと思う。そして自分もその風景の一部になりたいと思う。のんびりと大らかな空気をこの胸一杯に吸ってみたいと思う。 『オー・ブラザー!』は、例によって兄のジョエルが監督、弟のイーサンが製作、ふたりで脚本を担当した作品だ。彼らの世界は細部まで丁寧に計算し尽くされているが、そのいずれもが嫌味にならないのは、彼らが目指しているものが「本物のエンターテイメント」だからだ。小難しい説教なんて、ない。目の前にあるストーリーを面白く仕上げる。それが彼らの唯一の目的だ。悪いことをしたらしっぺ返しを食らうとか、良いことをすれば報われるとか、そんなことはどうでもいい。コーエン兄弟はただひたすらキャラクターたちを愛することによって、彼らに命の息吹を与える。そうして動き出したキャラクターたちの、なんて魅力的なこと!出てくる人間、誰ひとりとして無駄な者はいない。スクリーンの中で彼らは人生を、そしてアメリカを生きている。辛く哀しいことを乗り越えて、彼らが見せる笑顔の、なんてステキなこと!あぁ、これが人間なんだ、これがアメリカなんだと嬉しくなる。 この作品はホメロスの「オデュッセイア」を下敷きにしていると聞くが、僕は知らない。というか、そんなことはどうでもいい。だって楽しいんだもの。心踊るんだもの。問答無用でパワフルなんだもの。鎖で繋がれた3人の囚人が、こちらに向かって黄金色の畑の中を走ってくる冒頭から、コーエン・テイストが爆発している。この作品は黄金色を基調とした絵作りになっているのだが、これは傑作「ファーゴ」の真っ白な雪を捉えたオープニングと並ぶ名ショットだ。撮影監督はコーエン兄弟と言ったらこの人、ロジャー・ディーキンス。彼が切り取る風景はイチイチ決まっていて、それだけでうっとりしてしまう。囚人メンバーの顔ぶれも、なるほどコーエン兄弟。ジョージ・クルーニーがポマードべったりの伊達男を快演している。一見クルーニーとコーエン兄弟はミスマッチに思えるが、クルーニーの思い切ったコメディ演技が笑える。このとぼけ加減、いいじゃないの。囚人仲間にはジョン・タトゥーロとティム・ブレイク・ネルソン、こちらも納得だ。タトゥーロの迫力とおマヌケが同居したあの目を見よ。ひとり警察にとっ捕まりお仕事中の彼が、車に乗るクルーニーと目を合わせるシーンの おかしさったらない。ネルソンのオドオド演技はスティーヴ・ブシェーミの兄弟じゃないかと思わせる小粒ぶりで、これまた楽しい。タトゥーロが蛙になってしまったと勘違いするシーンの驚きっぷりはどうだ。この3人の掛け合いが最高だ。たとえば冒頭、走る貨物に飛び乗ろうとするシーン。まずはクルーニー、ついでネルソンが懸命ダッシュで乗り移る。そして最後にタトゥーロが乗り込もうとするが、あと一歩でコケてしまい、繋がれた2人は芋づる式で貨物から転げ落ちる。このときの演技と撮影の呼吸。はっきり言って、このシーンだけ見てもこの作品が傑作だとわかる。3人がズブ濡れボーイズとして歌うシーンもなんて楽しいんだろう。ひとつのマイクに顔を近づけて熱唱する3人の図、サイコー。こういうのって、理屈じゃない。わかる人にはすぐわかるだろうし、わからない人には一生わからない。コーエン兄弟は、無論わかる人たちだ。 3人以外も曲者が次々に登場する。悪魔に魂を売ったというギター男、選挙戦に苦しむ州知事候補、お人好し顔のギャング、聖書売りのフリをした強盗、キメ台詞は「私、怒るわよ」のクルーニーの妻。彼らは決して使い捨てにされず、終盤に向かってひとつにまとまっていく。この爽快感。演じる役者たちも適材適所。個人的にジョン・グッドマンの使い方が嬉しくて嬉しくて。 3人はクルーニーが埋めたという120万ドルをゲットしようとするが、果たして結果は?ここで効いてくるのが、トロッコに乗った盲目の老人の存在。オープニングとラストに出てくる彼は、ただでさえ楽しい作品をさらに充実したものに変える調味料。その見せ方が素晴らしい。ずっとずっと続いていく線路。コーエン兄弟のマジックが永遠に消え去ることはない。 |
| November, 2001 |
| オープン・シーズン “Open Season” 監督:ロジャー・アラーズ、ジル・カルトン、アンソニー・スタッチ 声の出演:マーティン・ローレンス、アシュトン・カッチャー、 デブラ・メッシング、ジョン・ファヴロー、ゲイリー・シニーズ、 ジェーン・クラコウスキー、ビリー・コノリー、パトリック・ウォーバートン 評価:★★★ |
| 最近はどこのスタジオもCGアニメーションに挑戦し始めていて、もはやどの作品をどこのスタジオが手掛けているのか、分からない状態だ(唯一ディズニー傘下のピクサーだけが、ピクサー印としか言いようのないクオリティでトップを突っ走っている。ドリームワークスは失速気味)。『オープン・シーズン』はソニー製で、これが初めてのCG作品らしい。初っ端だからか無難に動物モノである。 アニメーションで何が大切かって、最も大切なのは画である。その点、『オープン・シーズン』は結構頑張っている方だ。大胆にデフォルメされた動物たちが、アニメーションの世界を楽しそうに動き回っている。背景の描き込みがもう一歩なのだけれど、変にリアルな画にしなかったところが吉と出た。ディズニーが単独で製作した「ライアンを探せ!」と較べると、雲泥の差と言える。 アニメーションならではのアクションが面白いのは、ダム決壊場面とクライマックスの人間との対決場面。特に前者は水に流される動物たちをスピード感たっぷりに捉え、なかなかの興奮がある。 ただ、物語はもう一捻りあっても良かったかもしれない。ピクサーが素晴らしいのは、絵はもちろん、物語が練りに練られているところにあるのだ。特に、主人公のクマと飼い主のラストの決断までの流れに、もう一押し欲しい。「野生」がひとつのテーマになっているのだけれど、もうひとつ焦点が定まっていないように見える。 ヴォイスキャストで目立つのは、断然アシュトン・カッチャーだ。クマの相棒となるお調子者のシカの声を当てているのだけれど、これまでにないハイテンションなのだ。エディ・マーフィやロビン・ウィリアムスがやりそうな役と言えば、分かりやすいか。頑張って早口で捲くし立てるのだけれど、その声がどこをどう聞いてもアホなのが素晴らしい。実写ではアホな人物を好んで演じることの多いカッシャーは、なるほど声もアホだったのだ。たとえ整った顔が崩れても、アホ声を武器にサヴァイヴァルできるかもしれない。良かった良かった。 |
| December, 2006 |
| オーメン “The Omen” 監督:ジョン・ムーア 出演:リーヴ・シュライバー、ジュリア・スタイルズ、ミア・ファロー、 シーマス・デイヴィ=フィッツパトリック、デヴィッド・シューリス、 ピート・ポスルスウェイト、マイケル・ガンボン 評価:★★★ |
| 最初の「オーメン」が登場してから早30年なのだという。ジョン・ムーア監督によるリメイク版『オーメン』は、冒頭に911テロや地震による大津波等最近の事件を盛り込んではあるものの、基本的にオリジナルに忠実な作りになっている。宗教を絡めた、かなり正統派のホラーと言っていい。 リメイク版に出演しているのは、所謂演技派の役者ばかりで、彼らが映画を支えていると言っても過言ではない。性格俳優という形容がピッタリの、ちょっとクセのある役者たちが、悪魔の子どもうんぬん…という冷静に考えると破天荒な設定になんとか真実味を与えるべく、さすがのスキルを見せているのである。特にリーヴ・シュライバーとデヴィッド・シューリスのピリリと効いた存在感に注目だ。本当らしく見せることのできる力、たいしたものだ。 ただ、ジュリア・スタイルズだけはミスキャストだろう。スタイルズは若手にしては演技のできる達者な人だけれど、悪魔の子どもに精神的に追い詰められノイローゼ気味になっていく母親を演じるには、骨が太過ぎる。顔の肉が厚いせいか、さすがの演技力で恐れ慄いても、もうひとつその恐怖が実感として伝わってこないのだ。角度によっては美人だが、違う角度によっては非常にブスに見えるところも(本来これは彼女の武器だ)、この役柄には何か違う気がしてしまう。特に真横から撮ったショットは辛かった。ここまで鼻の低い外国人も珍しい。 逆に普通にしていても怖いのは、ミア・ファローだ。ウッディ・アレンと別れてから300年余り、久しぶりに見たファローは、もう還暦だというのになぜだかシワがほとんどなく、それにも関わらず歩く骸骨そのものだ。おそらく「ローズマリーの赤ちゃん」を大いに意識したのだろう。気持ちは分かる。 オリジナルもそうだったか記憶は定かではないけれど、この映画の最大の欠点は父親の人物造形にあると思う。外国で大使として働く彼は、知的で優しく、妻想いの立派な人物だけれど、何もかもを自分ひとりで抱え込み過ぎてしまい、段々融通の利かない頑固者に見えてくる。物語が進むに連れてどんどん人が命を落としていくけれど、彼がもう少しその苦難を周りの人間に分けられたなら、それは回避できたように思える。シュライバーの力を持っても、この点においてストレスが溜まる一方だった。 ムーアはホラーにありがちな空騒ぎ的な演出を極力抑え、不気味なムードで恐怖に迫ろうとしていて、それは認めていい。冷たい撮影やヴィジュアルのインパクトを巧みに操り、禍々しき何かをスクリーンに放出することに成功している。それなのに、クライマックスで突然大味になるのは大いに残念。カーチェイスを含んだ一連の流れは、安っぽいものに早変わり。せっかくのそれまでの冷静さが暴発してしまったかのよう。ハリウッド映画であることをすぐさま思い出してしまった。 |
| June, 2006 |
| オネーギンの恋文 “Onegin” 監督:マーサ・ファインズ 出演:レイフ・ファインズ、リヴ・タイラー、トビー・スティーヴンス、 レナ・ヒーディー、マーティン・ドノヴァン 評価:★ |
| 『オネーギンの恋文』というタイトル。いまどきギャグ以外で“恋文”なんて使うか?古くっさーいっ。そう、『オネーギンの恋文』は邦題も古臭いけれど、内容がそれ以上に古臭くて僕はついていけなかった。原作は19世紀前半に書かれたアレキサンダー・プーシキンの韻文小説。そうか、そんなに前に書かれた原作なのか。だったら仕方ないかな。なーんて甘いことは思わない。古臭い題材ならそれなりに自己解釈をして、今の時代でも共感できるものにしなければね。だってこれは娯楽の王様、映画なんだから。お高くとまった貴族のオネーギンは田舎娘タチヤーナの愛を拒む。あてつけにタチヤーナの妹のオリガと踊ったことから、オリガを愛する親友のレンスキーと決闘をすることになる。そして月日は流れ…。まいった…。どーしてこの物語に興味を惹かれようか。ストーリーだけでも勘弁して欲しいのだけど、作品に取り上げられているエピソードの掘り下げ不足はもっと勘弁して欲しかった。 そしてさらにもっともっと勘弁して欲しかったのは、演技陣だ。どーした、レイフ・ファインズ。ファインズがこれほどマヌケに見えた作品があっただろーか。あ、「アベンジャーズ」があったか。そう、「アベンジャーズ」並み、イヤそれ以上にマヌケに見える。奔放に生きたいと願い愛を拒絶するファインズ。その姿はただ優柔不断なだけであり、こちらに訴えるものがない。ファインズは恋に悩む役柄というのは、実はあまりハマらないように思う。オスカー候補になった「イングリッシュ・ペイシェント」もそうだったけれど、よーく見ると顔はは虫類系なので(優雅なは虫類ではあるが)、恋に悩んでたりすると妙にねっとりしすぎてしまってちょっと気持ち悪い。今回は特に後半、タチヤーナを愛していることに気づいてからがちょっと、キテます。前半のカールした髪型も似合ってなかったなぁ。がっくり。 いちばん勘弁して欲しかったのはタチヤーナを演じたリヴ・タイラーだ。今回のリヴはちょっとすごいよ。これまでも確かにキレイだけどなんかつまんない女優だなぁとは思っていたけれど、ついに決定打が出た感じだ。まったく、ホントに、観ているこちらが同情してしまうほど演技力がない。ひとことで言えば大根である。今回のリヴはファインズを愛しているという設定で、ずっとファインズを見つめ続ける。窓の外から、湖に浮かぶ小船の中から、柱の陰から、じーっとじーっと見つめ続ける。これだけ。今回これだけだ。君はストーカーか。そしてこれが最悪なのだけど、表情が動かない。まーったく動かない。作品の最初と最後では田舎娘から洗練された貴族へと変身しているはずなのになーんも変わってない。変われない。ままごとか何かと勘違いしていらっしゃるんじゃないだろーね。前述のファインズをはじめ他のキャストも今回は冴えず、なんだか学芸会でも観ているような気分だった。 |
| May, 2000 |
| オフィスキラー “Office Killer” 監督:シンディ・シャーマン 出演:キャロル・ケイン、モリー・リングウォルド、ジーン・トリプルホーン 評価:★★ |
| なんとも不思議な気分にさせるホラーだ。怖い!とか気持ち悪い!っていう気持ちが全然沸いてこない。沸いてこないどころか、ズレまくった感性の主人公の言動に、笑ってしまうくらいだ。ちょっと「シリアル・ママ」のテイストが入ってる気もするなぁ。 『オフィスキラー』はその名の通り、オフィスに出没する普段は気の弱そうな中年女性の顔をした殺人鬼を描いた作品だ。きっかけは些細な事故だった。深夜残業していたときに、いやーな上司が不慮の事故で感電死してしまったのだ。おりしも彼女は会社にリストラ宣告されむしゃくしゃしていたとき。警察には連絡せずに、自宅の地下に持ち帰り死体コレクションをおっ始めてしまったのだ!“あなた、イヤな人だったからよ…”そうつぶやきながら死体を運ぶ様がなんだか笑える。 彼女、キャロル・ケインが殺していく人間たちはどこか腐った部分を懐に隠し持っているヤツらばかり。そいつらをキャロルが殺していくのだから、ちょっと不謹慎だけど笑ってしまう…なーんて構図があるはずなのだけど、この構図が弱くてどーもブラックさ加減が薄まってしまった。が、ジーン・トリプルホーンが監禁されるシーン、すなわちキャロル・ケインが本性を見せるシーンはなかなかのダーク加減。この作品の中でいちばんいい人そうだったジーンが、実は会社の金を横領していたことが発覚、あっという間に地獄を見る羽目になるのだ。キャロルがこの事実に気づいていたという設定が笑える。 生き残るのが、一見軽薄そうで事実、会社の同僚からも中身がない女だと思われているモリー・リングウォルドだけというのも皮肉だ。直感だけを信じて、キャロルが怪しいと睨むモリー。一度は殺されそうになるものの、持ち前のバイタリティで見事生き残る。彼女を信じなかった者は次々に命を落としていくのに、である。いやー、人間の直感っていうのも侮っちゃいけないものなんですねぇ。自分を信じるがままに行動していくことの方が、ちょっとくらいわがままでもいいってわけだ。 監督のシンディ・シャーマンは写真家なのだそうだ。クラシック女優など、架空の女性に変装した自分を撮影することで脚光を浴びた人らしい。なるほど、構図がどことなくポートレートっぽかった。もしかしたら最近は死体に扮した写真でも撮っているのだろうか。キャロル・ケインの自宅地下のコレクション会場がどーもそれを感じさせる。ちょっとグロテスクな部分も、そう考えればつじつまが合うのだけど、どうなのだろう。 最後に、モリー・リングウォルドについて一言。とっても綺麗になったと思う。バンダナを巻いたヘア・スタイルが、おしゃれ女優健在、という感じで嬉しかった。 |
| August, 1999 |
| カーラの結婚宣言 “The Other
Sister” 監督:ゲイリー・マーシャル 出演:ジュリエット・ルイス、ジョヴァンニ・リビージ、ダイアン・キートン、 トム・スケリット、サラ・ポールソン、ポピー・モンゴメリ 評価:★★ |
| とってもピュアな作品だと思う。“ピュア”という言葉が今の時代に存在するのか、という疑問はもちろんある。たしかに今の時代にはこういうピュアな関係というのはないかもしれない。そして実際に僕はそこに、イヤーな感じを受けた。人殺しが多発し、ドラッグやアルコールに溺れる者が多い現代だ。だから、だから、だから知的障害者のカップルに目を向けたんじゃないか?普通の知的レベルの人間では“ピュア”を描けないから生きることに純粋な知的障害者を主人公にしたんじゃないのか?我ながらイヤな考え方だと思うし、そう考える自分も好きになれない。でも、僕たちが本当にピュアになりたいのなら、彼らから学び、それに倣っていたのではいけないような気がしてしまう。また彼らとは別の方法でピュアなものを考えなければならないのではないかと思う。 製作の意図にはそう感じるのだけど、しかし、でも『カーラの結婚宣言』は“ピュア”という言葉がピッタリだ。知的障害者を演じているジュリエット・ルイスとジョヴァンニ・リビージが揃っていい味を出している。特にジュリエットがいい。はっきり言うと、非常に微妙な演技だと思う。主人公のカーラはIQは低いけれど、自立心旺盛。勉強もしたいし、ひとり暮しもしたい。そして恋にも頑張っちゃうような女の子。心は純粋そのものだし、外見もとってもキュート。知的障害者にありがちな描写である。しかーし、ジュリエットは偉い。このありがちな設定を演りすぎず抑えすぎず、あくまでひとりの“恋する女の子”として演じた。しゃべり方は障害者も思わせるものの、その表情は“恋する女の子”そのもの。わざとらしさがなく、演技過剰にならなかった。障害者役を演じる役者がハマリやすい罠に陥っていない。微妙で繊細な演技を披露している。 カーラを囲む人間たちの心の変化がもっと出ていて欲しかったと思う。父親、母親、ふたりの姉。それぞれのキャラクターがどんなものかがわかりやすく描写されていたので、彼らの胸の内の変化がもっとうまく出ていていればと惜しいのだ。それから、知的障害者同士の結婚という難しい問題があっさり解決してしまうところに、お気楽さが発散されすぎているとも思う。知的障害者同士が結婚する。母親が心配するのも無理はない。反対するのも無理はない。ラストを引っ張るこの問題に答えを出さず、“親が容認した”で終わらせてしまうのが、なんだかなぁ。そもそもカーラがとっても裕福な家の娘という設定自体がちょっと違うような気もするし…。 でも全体を見渡すとやっぱり“ピュア”。ジュリエット・ルイスのキュートな笑顔を見ると、そう思わずにはいられない。だからふたりの結婚式はちょっと、ジーンときてしまったのだった。 |
| January, 2000 |
| 家族のかたち “Once
Upon a Time in the Midlands” 監督:シェーン・メドウス 出演:リス・エヴァンス、ロバート・カーライル、シャーリー・ヘンダーソン、 フィン・アトキンス、キャシー・バーク、リッキー・トムリンソン 評価:★★★ |
| ノッティンガムを舞台にダメな大人たちの姿が紡がれる『家族のかたち』は、しかし彼らの愚かな行動を見せられても、不思議と腹が立たない。彼らの呼吸の音がすぐ傍で聞こえてくるからだ。平凡でも、満ち足りた生活を送る人々の前に、トラブルメイカーの男が帰ってくることで、その毎日のバランスがガラガラと音を立てて崩れていく。あぁ、なんと脆い人間の関係だろう。 ところが、人間の関係なんて一度壊れてしまった方が良いことがあるのだ。中途半端に修復を繰り返すより、一度まっさらな状態に戻し、そこから新しく積み上げる方が頑丈な関係を築くことができることだってある。人間同士の繋がりも、建設と破壊の上で成り立っているのだろう。チンピラ風味のロバート・カーライルが、リス・エヴァンスとシャーリー・ヘンダーソンの間に生じていた亀裂に目をつけ、彼らの結びつきを粉々に破壊してしまうという展開も、ふたりがゼロから再スタートを切るために必要なことだった。カーライルの憎々しく、しかし、どこかチャーミングな、母性本当を刺激する演技が悪くない。 だが、この作品の目玉は何と言っても、気の弱い青年を演じるリス・エヴァンスだろう。のっけから、テレビ番組出演中にプロポーズし断られるという、最高に情けないシチュエーションに置かれるエヴァンスは、その後も優しいけれども、イマイチパンチがない男を、ユーモラスにヴィヴィッドに体現して、非常に魅力的だ。僕は私生活を売りにしたテレビ番組は嫌いなので、テレビ中継中にプロポーズする最初こそ大して好きになれなかったが、その行動のイチイチを眺めるにつけ、考えが変わった。長身のエヴァンスが、女や子どもや見知らぬ男に振り回されながらも、懸命に自分を保とうとする様を、背を丸めて縮こまることなく、伸び伸びと表現して気持ちが良かったからだ。情けない、でも憎めないチャームを発散させている。エヴァンスは狂気に駆られた役も巧いが、こういう気の優しい青年の役も、楽にこなすところが強みだ。 その一方、ふたりの男の間で揺れるシングルマザーの気持ちが、ちょっと掴みにくくてイライラする部分があった。なぜプロポーズを断ったのか。元夫に未練があったからなのか、それとも結婚はまだ早いと思ったからなのか。なぜ元夫とやり直すことにしたのか。なぜまた彼を見限るのか。…といった心理がどうもよく分からない。この母親も間違いなくダメな大人の部類に入るのだろうが、ダメでも活き活きとしているその他の登場人物と比べると、彼女のダメさはあまり愉快に見ていられない部分があった。それでも年齢不詳のシャーリー・ヘンダーソンの達者な演技により、幾分救われている部分はある。 さて、この作品が面白いのは、現代を舞台にしていながら、ウエスタンの趣をたたえていることだろう。流れる音楽はもろウエスタンのそれだし、物語の構図も同様だ。普通西部劇だと、悪の権化が権力を振るう町に流れ者がやって来て、それと対決することになる。しかしここでは、幸せな関係を築いた人々の前に、ワルが現れそれをかき乱す。悪の立ち居地こそ違うけれど、紛れもなくウエスタン調。どこまで意識したのか分からないし、それが巧く機能していない部分もあるけれど、そのふざけ方が楽しいじゃないか。ウエスタンの世界では、必ずヒーローが勝つ。ここに出てくるヒーローは頼りないけれど、その心の強さで平和を獲得する。一見女々しい、しかし実は懐が深い男に、エールを贈りたくなる。 |
| September, 2004 |
| ザ・ワン “The One” 監督:ジェームズ・ウォン 出演:ジェット・リー、カーラ・グギノ、ジェイソン・ステイサム、デロイ・リンド 評価:★ |
| リー・リンチェイが出演する、おなじみ「ジェット・リー」シリーズ第3弾である。このシリーズの特徴は、1.主演がジェット・リーであること、2.話が陳腐であること、3.アクションが激しいカット割りに殺され何が起こっているのかさっぱりわからないこと、の3点である。ジェームズ・ウォンが監督した『ザ・ワン』はこの3つの特徴を律儀なまでに守っていて、なるほどやっぱりトホホな出来映えであった。あぁ、リンチェイよ、どこへ行く…。 リンチェイは世界最強の男である。華麗な武術で観るものを魅了する美しき男である。強い上に美しいだなんて、ほとんど嫌味に思えてくる彼だから、映画を作る側はそりゃ苦労する。リンチェイの敵役、どうしようって。中途半端な人物を敵に設定しても、スリルは激減してしまうだろう。リンチェイに敵うはずないじゃないか、と。そこで彼らは考えた。そうだ。敵役もリンチェイにしちゃおうって。華麗な武術も2倍にできるし、一石二鳥。我ながら良いアイデアだなー、ハハハ…ってな具合だ。まあ、なんて単純、しかし、案外面白くなりそうなアイデアのような気がしないでもない。そして実際に出来上がったものは…。 …うーん、なんちゅーか、「トホホ…」という言葉を初めて実際に口にしてしまいそうな脱力感が漂っている。リー・リンチェイ vs. リー・リンチェイ。この構図がこんなにマヌケになるなんて。善のリンチェイは円を描くようなアクション、対する悪のリンチェイは直線的なアクションを意識したということをどこかで読んだのだが、僕にはまるっきりその違いが伝わってこなかった。どっちがどっち?みたいなわけのわからなさをあえて意識した演出が、うまく機能していないせいか、どっちがイイモンでもワルモンでもいいよ…なんて思ってしまった。クライマックスはもちろんこのふたりの対決で、こんなマヌケで他の方々、怒り出さないだろうな、なんて心配までしてしまった。 なぜこんなにマヌケに見えたのか。その理由は火を見るよりも明らか、明々白々である。「ジェット・リー」シリーズを観ると必ず言うことになるのだが、リンチェイの肉体を信じていないのがダメなのだ。特徴その3である、激しいカット割り、これが今回も凄まじく、リンチェイのアクションはまたしても細切れだ。カメラがリンチェイに寄り過ぎているのも、ダメ。アクションの全体像を見せてくれないのでストレスが溜まる一方だ。 設定もマヌケ臭がプンプンだ。世の中には125の宇宙があり、そこにはそれぞれ125人の違う自分が住んでいる。自分以外の彼らを殺すと、そのとき自分は「全能者<ザ・ワン>」になれる…というのだ。悪玉リンチェイはすでに123人の自分を殺しているので、圧倒的なパワーをすでに獲得済み。これがすごい。走れば時速80キロ。銃弾の動きを読める。大型バイク2台を軽々持ち上げられる。これで勝てなきゃ嘘である。しかしその見せ方がねぇ…。これって笑えばいいんだよね。笑わなきゃダメだよね。突っ込まなきゃダメだよね。失笑シーンの連続に、あくびが連続。 さらに言うと、この作品は冒頭からダメダメ作品の匂いを漂わせていた。123人のリンチェイを紹介する場面があるのだが、そのときのリンチェイの扮装がすごかったのだ。ドレッド、ブロンド、長髪…ひいぃぃぃ、僕は思い切り吹き出したのだが、周りはシーン…。そうか皆さん、このバカバカしさに声も出なかったんだね。納得である。 |
| June, 2002 |
| ジュエルに気をつけろ! “One
Night at McCool's” 監督:ハラルド・ズワルト 出演:リヴ・タイラー、マット・ディロン、ジョン・グッドマン、 ポール・ライザー、マイケル・ダグラス 評価:★★ |
| やりようによっちゃすごく面白くなりそうな話ではある。見せ方によっちゃ終始笑いっぱなしだったような気もする。だが、抜けない。すこーんと抜けない。どこかもやもやした何かが心の中にある。このもやもや、一体なんなんじゃろか。 『ジュエルに気をつけろ!』は「家」に執着するリヴ・タイラーに魅せられた3人の男たちの悪夢を描いたコメディ…なのだが、よくわからないのがその構成である。バーテンダーのマット・ディロン、彼の従兄の弁護士ポール・ライザー、そして殺人事件を捜査するジョン・グッドマン。この3人の証言によって話が進んでいく。この点がなぜ?なのである。意味がないんである。こういう構成にするならば三者三様のリヴ・タイラー像が創造されるべきなのに、まったくそれが見えてこないんである。回想形式で進むため話の流れがいちいち遮られるのだが、それが利いてこないんである。リヴは最初から最後まで計算高い女でしかないし、彼女が執着しているのが「家」というのもせこい。なぜなぜ?…と、ここで資料を見る。するとあらあら、「家庭的でありながら、ちょっと小悪魔的な女」「天使のようにどこまでも純真な女」「娼婦のようにたまらなくセクシーな女」とあるじゃないか。これが3人の男から見たそれぞれのイメージだそうだ。えぇえぇえぇっ、ってなもんである。いつそんな面がスクリーンに映し出されていたんですかい?リヴ・タイラー、そんな風に演じていたのか…。まるっ きりわからんかった。彼女が大根だからなのか、男3人のキャラクターの設定が元気良くなかったからなのか。演出の思いきりが悪かったからなのか。なぜなぜなぜ? リヴ・タイラーに関していえば、僕はこれまで彼女を面白いと思ったことがほとんどなかった。若手大根のひとりだと思っていた。が、今回それほど悪くない。顔がキレイだからである。あのスティーヴン・タイラーの娘でありたしかにそっくりではあるんだが、文句つけようがなくキレイ。これは才能だ。このキレイさを思う存分活かしたシーンがある。彼女にぞっこんジョン・グッドマンが車を洗うリヴを見るシーン。泡だらけびしょ濡れ状態のリヴが、車相手にまるでダンスをしているかのようなエロティックさを見せる。泡のついた身体を車にこすりつけるリヴ。誘っているとしか思えない大胆奔放、そして健康的な色っぽさ。男が抱く夢の女のイメージを、実にバカらしく魅せてくれる。この爆笑シーンは、リヴの顔なくしては成立しなかった。このシーンがあったから、ほとんど妊娠中にしか見えないポコッと出たお腹に関しては大きく目をつぶる(なぜダイエットしなかったの?謎)。 そして、ラスト・シーン。これ、ベタだししょーもないんだけど、僕は好きなんだ。真実が明らかになり「家」に集まった男たち。彼女は俺のもんだと争い始める男たちのバックにかかっている曲は…、Village Peopleの「YMCA」。ひぃぃぃ、これ笑える。それまで胸の中でもやもやとくすぶり続けていたものが、ここで一気に弾ける。このあまりにも分かりやすいオチのつけ方が安さ全開のこの話にぴったりだ。爆笑、好き。 『ジュエルに気をつけろ!』はリヴ・タイラー版「メリーに首ったけ」になった可能性があった作品だ。しかし、ラスト・シーン以外は突き抜けたものがない。もしキャメロン・ディアスが主演していたらどうなっただろう…、とふと思った。 |
| April, 2001 |
| ストーカー “One Hour Photo” 監督:マーク・ロマネク 出演:ロビン・ウィリアムス、コニー・ニールセン、 マイケル・ヴァルタン、ディラン・スミス、 ゲイリー・コール、エリック・ラ・サル、エリン・ダニエルス 評価:★★★ |
| 「インソムニア」でいい人路線を振り切ったロビン・ウィリアムスが、『ストーカー』でまたしても戦慄のパフォーマンスを見せている。以前はいつ何時も偽善臭が漂い、僕は彼に嫌悪感を感じていたのだが、悪役(この言い方は正しくないがあえて)を演らせたら、巧いのなんの。悪役を単純なそれに終わらせず、自分の中の弱さに負けた者の悲劇を浮かび上がらせる。今回など、これまでの「いい人」のイメージを逆利用しての恐怖演技で、なかなかしたたかなところも見せてくれる。ウィリアムスが役者として幅を大きく広げ始めたのは好もしい。 今回ウィリアムスが演じているのは、ショッピングセンターの写真屋に勤める中年男。彼はある常連客を理想の家族だと崇め、自分もその一員だと妄想する。マーク・ロマネク監督は、ウィリアムスの中に現代社会の孤独が生み出したモンスター性を見つけている。理想の一家にはいつでも大サービス。彼らが持ちこんだ写真は自分用に余分に焼き回す。荷物をチェックして彼らに少しでも近づこうとする。ウィリアムスはこういった行為を、淡々と見せていく。ウィリアムスの丸まった背中、明るい髪、大きな眼鏡に狂気がちらつき、次第にそれが暴走し始める妙味。無機質で未来的なショッピングセンターの中をバッグを肩にかけて闊歩する、ただそれだけで震えがくる。ウィリアムスの「親切」がすべて恐怖に変わっていくところが、うまい。ウィリアムスの行動のイチイチは恐ろしいものだが、もっと怖いのは彼の中に自分の姿を見つける瞬間だ。理想と現実のズレに落胆し、その溝に呑み込まれてしまう弱さは、決して他人事ではない。ウィリアムスの奇怪な行動に恐怖を覚えつつも、その哀れさにホロリ同情してしまうのは、そのせいだ。 ただ、物語を理想一家の目から見つめたのは、余計だった。理想家族の「現実問題」を彼らの目を通して描写したり、一人息子にウィリアムスを「友達のいない可哀相な人」と言わせるのは、蛇足だ。おそらくそうすることでウィリアムスに哀れみを向けさせたかったのだろう。しかし、それが結果的にウィリアムスの足を引っ張ってしまった。中途半端に優しく見つめたため、ウィリアムスの凄みがややかき消されてしまった。ウィリアムスに対する解釈は観る者に委ねられるべきであって、作り手がそれをコントロール必要はないはずだ。 それに終盤のウィリアムスの「錯乱」が腑に落ちない。理想を汚されたことに腹を立てた彼が復讐を始めるのだが、その行動が雑過ぎる気がする。警察に追われて逃げるぐらいならば、もっと慎重に行動するはずだ。荒れ狂う狂気を怒気が吹き飛ばしてしまったということだろうか。少々無理がある気がする。 ところで、邦題は『ストーカー』とあるが、果たして彼をそう呼んで良いものかどうか。もちろん彼の行動はストーカーそのものなのだが、ウィリアムスを見ていると、そう片づけたくなくなるのである。それこそがウィリアムスの勝利の証拠であることは、言うまでもないのだが…。 |
| February, 2003 |
| 1408号室 “1408” 監督:ミカエル・ハフストーム 出演:ジョン・キューザック、サミュエル・L・ジャクソン、 メアリー・マコーマック、ジャスミン・ジェシカ・アンソニー 評価:★★★ |
| 大御所スティーヴン・キングが原作だからというわけでもないだろうけれど、既存のハリウッド製ホラーとは一線を画する味わいを残す一品。タイトルにもなっているニューヨーク、ドルフィンホテルの『1408号室』では、これまでの宿泊客が次々謎の死を遂げている。支配人曰く、「1時間モッた人間はいない」。果たして主人公は生き延びることが出来るだろうか。…といういたってシンプルな話で、特別新味があるわけでもないのに、心臓を圧迫する恐怖が次々押し寄せる。視覚的な恐怖ではなく、精神的な恐怖を突いているからだ。 出足は普通のホラーの様相。突然の巨大音、唐突なショッキング映像というお馴染みの二本柱で、不安感を煽る。霊など信じないオカルト作家の主人公はアッという間に恐怖に慄き、支配人の忠告を聞かなかったことを早々と後悔する。タメというものをほとんど利かせないスピードで部屋から逃げ出そうとするのだ。このあたりはもうちょっと主人公の傲慢さ、大胆不敵さをアピールしても良かったところで、アッという間に1408号室に降参してしまうのが、味気ない。 しかし、いよいよ怪現象がエスカレートし、主人公と同じように早くこの部屋から解放されたい気分に持っていく展開はなかなか上手い。閉鎖的で、かつ意思を持った空間の中にルールというものは存在せず、二次元も三次元も関係なく、時間という概念をも弄び、場所すらも飛び越えて、ひたすらに精神性が痛めつけられていく。ここで効いてくるのが主人公の過去で、彼はかつて一人娘を病気で失い、妻とも別居状態である事実が、恐怖に拍車をかけている。哀しみを伴って。要するに主人公は目を背けたい過去を直視せざるを得なくなるわけで、このあたりの捌き方が大変鋭いということだ。 そしてこれは、演じるジョン・キューザックの迫力あるパフォーマンスによるところが非常に大きい。愛敬ある卵フェイスゆえコメディの印象が断然強いキューザックが、一人の男の人格が崩壊していく様を巧みに表現。その凄味が物語を支えている。何しろ中盤以降はほとんど一人芝居。ここに説得力がなかったならば、見られたものではなかったはずだ。滑稽さではなく、恐怖を浮かび上がらせた功績は大きい。 1408号室の内装は、古風で、しかも妖しさが感じられるのがイイ。怪現象が始まってからは、作り物感も前面に出てくるのだけれど、これがまたプラスに働き、奇妙な味わいを添えている。1408号室の正体を暴かないのも良い。部屋そのものの魅力を引き立たせるためにも、比較的控え目に使われているCGも、いっそのこと、使わない方向で勝負に出た方が良かったかもしれない。 結末に関しては、拍子抜けしたところがある。原作もそうなのだろうか、少々甘ったるさが感じられるのだ。同じキングの原作を映画化した「ミスト」(07年)のような冷徹さがあった方が良かった気もする。 |
| November, 2008 |
| タイムリミット “Out of Time” 監督:カール・フランクリン 出演:デンゼル・ワシントン、エヴァ・メンデス、サナ・レイサン、 ディーン・ケイン、ジョン・ビリングスレイ 評価:★★+★ |
| カール・フランクリン監督とデンゼル・ワシントンと聞けば、真っ先に思い出すのは秀作フィルムノワール「青いドレスの女」だ。ハードボイルドの雰囲気がねっとり官能的に漂っていて、うっとりしたものだ。しかし、同じコンビによる『タイムリミット』でそのセンを期待すると、裏切られる。 それでも「青いドレスの女」同様、冒頭フロリダの暑い夜、デンゼル・ワシントンが主婦のサナ・レイサンに誘惑される場面は、ゾクゾクする。強盗が入ったと嘘をつき警察署長を呼び寄せる女。男もそれを承知の上で寝室に入る。事件を再現するという名目で近づくふたり。次の瞬間には唇を重ね、身体を重ねているのだ。カメラワークの色っぽい動きにも注目で、フロリダ特有の気だるい空気と共に官能を盛り上げている。素晴らしく期待させるオープニング。イイ男とイイ女の理性的ではない、本能的な求め合いが、その後の物語を期待させる。 ところが、この作品は予想もつかないマヌケな展開を見せ始めるのである。ガンと宣告された女の治療のため、男は警察の証拠金を彼女に渡してしまうのだが、その直後彼女は夫と共に殺害されてしまう。このままでは横領がバレてしまうし、不倫関係にあった自分が容疑者になってしまうことは確実。男は警察の人間であることをいいことに、担当刑事で別居中の妻エヴァ・メンデスよりも先に、証拠を次々と潰していくのである。 …と書くと正統派のスリラーのようだが、そういう印象はまるでない。むしろ男の馬鹿さ加減を強調しているような、そんな感触がある。なにしろ男のモミケシ作業が、聞き込みの電話をかけるフリをして一人だけで喋るだとか、自分の関係を示すFAXが届きそうになると書類を改ざん、機器の不調を訴えコンセントを一旦切るだとか、容疑者が潜伏するホテルに先回りし、刑事たちが到着するとまるで自分も捜査のためにやってきたと言い放つだとか、とにかく案外セコいのである。これはもう、「不倫中のダンナがヨメにバレそうになって、その証拠隠滅に四苦八苦!」というのと同レヴェルのしみったれたスリルだ。 僕はもうこれが可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。最初こそ予想に反してスケールの小さな話だなぁと冷めた目で観ていたが、段々男の「努力」が涙ぐましく愛らしく思えてきてしまったのだ。真実を隠そうと必死になる男の姿に自分を重ねる愚かな男どもは多いだろう。絶体絶命、万事休す、今度こそダメだという状況でも、機転を利かせて切り抜けていく男。彼の奮闘は世の男たちへのエールにも見える。変化球版だけどね。 そしてここでポイントになってくるのが、男を演じているのがデンゼル・ワシントンだということである。黒人社会の代表のような清潔男ワシントンが、不倫し、容疑者になり、小まめにせせこましく動き回る様は、まるで出川哲朗のような小ささだ。あぁ、ワシントンと言えどやはり普通の男だったのね、なんて妙に安心感を覚えてしまう。出川じゃ嫌だが、ワシントンが仲間だと思うとホッとする男は多いに違いない。 期待した内容ではなかった。しかし、ここまで笑わせてくれたフランクリンとワシントンには感謝したい気分にさせられる。珍作と認定していい。…と、そうそう、この作品の大切なメッセージのひとつは、「頭の回転の速い友人を身近に置いておこう」だということを最後に付け加えておく。 |
| March, 2004 |
| 遠い空の向こうに “October Sky” 監督:ジョー・ジョンストン 出演:ジェイク・ギレンホール、クリス・クーパー、ローラ・ダーン、 クリス・オーウェン、ウィリアム・リー・スコット、チャド・リンドバーグ、 ナタリー・キャナディ、スコット・マイルズ 評価:★★★★ |
| 『遠い空の向こうに』(キレイなタイトルだけど口に出すのはちょっと恥ずかしい)はロケットを打ち上げることを夢見る4人の少年たちの物語。青春ドラマらしい青春ドラマで観ていてとてもいい気分になった。自分にもまだこんな素直な部分が残っているんだとちょっと嬉しかった。 まず、ロケットを打ち上げようという夢。これがいいじゃないの。星空で美しい軌跡を描くソ連の人工衛星スプートニク。自分もあんな風に空にロケットを打ち上げたい。空に軌跡を描きたい。そう、ホーマーは思ったのだ。優等生の長男と比べて将来のヴィジョンがもやもやだったホーマーは、この夢を見つけることにより途端に生き生きし出す。ホーマーを演じるジェイク・ギレンホールの楽しそうな顔を見ているとこちらまで頬が緩む(ギレンホールが適度に崩れた顔でまたリアル)。そもそも僕は宇宙が大好きなのだ。ロケットにはあまり興味はないけれど、夜空に敷き詰められた星々にロマンを感じる。子どもの頃は星座図鑑が大好きで毎日眺めていた。シリウスは1等星だとか北極星は2等星だとか…とにかく憧れ、いつか宇宙に行ってみたいと思っていた。だからホーマーの夢もなんだか身近に感じる。炭坑町の少年がロケットを作り上げるなんて、それこそ夢でしかないような気もするけれど、なんだか応援したい。星と星の間を駆け抜ける彼らのロケットを見てみたい。そう素直に思えた。 臭い言葉になるけれど、ホーマーたちは夢を信じ続ける。そしてそれを叶える。こんな気持ち、大人になると忘れてしまいがちだ。生活に流され、ただ目の前にあるものしか見えなくなる。ホーマーたちは逆境を乗り越える。ひかれたレールを外れて自分の夢を目指す。大切なことだ。忘れてしまいがちだけど大切なこと。思い出させてくれたこの作品に感謝したい。 ホーマーたちの夢はそう簡単には叶わない。すぐに叶ったら映画としても面白くないし、なによりそれを夢というのもちょっと違うような気がする。ホーマーが乗り越えなければならなかったもの。ロケットの設計を自分たちで考えて実際に作るのは難しい。たかが高校生なのだ。しかし、されど高校生、なめてはいけない。夢のパワーは大きい。何度も失敗を繰り返しながら彼らは着実に性能のいいロケットを打ち上げることに成功していく。ミス・ライリー(ローラ・ダーン好演)をはじめとする理解者の援助を大切に前進していく。しかし、彼らにはまだ乗り越えなければならないものがあり、それがなかなか厄介だ。それは町の大部分の男が炭坑夫になるという現実であり、そうなることを望む父親との確執だ。 父親を演じるクリス・クーパーが素晴らしい演技を見せていて、作品の成功の50パーセントはクーパーの名演によるところが大きいと僕は断言する。ロケットなんて夢物語のようなものに現(うつつ)をぬかすな。炭坑夫として一人前になれという。子どもがいくら純粋に情熱をぶつけてきてもクーパーはかたくなにその夢を拒絶する。子どもを愛していないのではない。人一倍子どもは愛しい。でもだからこそ反対する。親になっていない僕が言うのもおかしいけれど、わかる。わかる気がする。だから反対するのだ。この感じ、クーパーの抑えた、でも激しい演技が効いている。この父親との確執も丁寧に描かれているから『遠い空の向こうに』はグッとくる。わかっちゃいるがグッとくる。だから、やっぱりクリス・クーパーは偉い。素晴らしかったと何度も思う。 『遠い空の向こうに』がダメ押し的に嬉しいのは、これが実話を基にした作品だということだ。実際のホーマーはNASAに20年間勤務し、今も航空科学のスペシャリストとして活躍しているという。彼は今でも夢を追い続けているのだ。夢を見ることは悪いことじゃない。どんどん夢を見て前進していく。その楽しさが隅々まで詰まったこの作品に出会えて幸せだと思った。 |
| April, 2000 |
| 母の眠り “One True Thing” 監督:カール・フランクリン 出演:レニー・ゼルウィガー、メリル・ストリープ、 ウィリアム・ハート、トム・エヴェレット・スコット 評価:★★ |
| 僕は母親が大好きだ。母の笑っている顔を見るのが好きだ。母の楽しそうにしている姿が好きだ。だから『母の眠り』に描かれている母娘を見ていて、こんな関係もあるのかと小さな別世界に迷い込んだような気がした。そんな気分になったのは、たぶん僕が男だからだ。やっぱり男と女では母親に対する感情も違ってくるのだと思う。 『母の眠り』の主人公はバリバリのキャリア・ウーマン(レニー・ゼルウィガー)。仕事も恋も順調だ。しかし彼女はガンに冒された母(メリル・ストリープ)の看病をするため、実家に戻ることになる。まず興味深いのは、娘が母親のような生き方をしたくないと考えていること。家事をもくもくとこなすばかりで、それが娘には魅力的に映らない。なるほど…、やっぱり自分の夢に向かってバリバリ頑張っている娘にしたら、母親の人生は物足りなく見えるかもしれない。しかし母親は自分の人生がつまらないだなんてちっとも思っていない。だって頑張ってしているそれは愛する家族のためにしていることなんだから。愛する家族のためになら自分を犠牲にするなんて簡単。僕も母親からは無償の愛情を注いでもらっていると感じている。きっと母親もこの考え方に共感を持つだろう。“愛する人たちの幸せが自分の幸せ”なのだ。そしてそれがこの作品のテーマになっていて、なかなか丁寧に描かれている。 と、ここまでの文章は若干の譲歩をして書いた。というのも、僕はやっぱりメリル・ストリープの計算し尽くされた演技にはノレないんだな、これが。今回メリルが演じているのは、家族思いのガン患者。イヤな言い方だけど、いかにも同情が得やすい“いい人”の役。いかにもメリルが目をつけそうな役なのだ。案の定メリルは目に涙をためて“ほら、お泣き”と催眠術を目玉ふたつで観る者にかけている。特にレニー・ゼルウィガーに“家族愛”を説くシーンは強烈だ。ガンが侵攻しているので、青白くいかにもな病人メイク。それであの顔で、あの目で、しかも上目使いで諭された日には、あなた、ショック死しそうだ。レニーも思わず言葉を失ってしまう。ひぃぃ、怖いよぅ、って。そもそも登場シーンが怖い。父親の誕生日を仮装パーティで祝おうという設定なのだけど、メリル、何の仮装をしたと思います?なんと、「オズの魔法使い」です。ドロシーです。ジュディ・ガーランドです。ありゃまあ、メリル、みつあみリボンに、水色のチェック柄のエプロンタイプのスカート履いちゃったよ。どうする?オイコラ、責任者呼んでこいっ、って、ホント、叫びそうになってしまった。 母親とは対照的な娘を演じたレニー・ゼルウィガーには、僕の嫌いな“自然体”という言葉がよく似合う。なかなか家族に素直になれない働く女性を共感たっぷりに演じている。 何と言ってもあの笑顔ね。いかにも純朴そうで絶対に悪女は似合わないだろう顔。あの顔がくしゃくしゃに崩れてしまった日には、あなた、そこはもうぽかぽか陽気の天国ですな。メリルはドロシーだったけれど、レニーは魔女に仮装するシーンがある。とんがり帽子をかぶるあのスタイル。これがキュート。隣にメリルがいるものだから可愛さ倍増。うーん、いいなぁ。大好き。 |
| February, 2000 |
| ブーリン家の姉妹 “The Other Boleyn Girl” 監督:ジャスティン・チャドウィック 出演:ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン、エリック・バナ、 クリスティン・スコット=トーマス、デヴィッド・モリッセイ、 マーク・ライランス、ジム・スタージェス、エディ・レッドメイン、 ベネディクト・カンバーバッチ、オリヴァー・コールマン、 アンドリュー・ガーフィールド、アナ・トレント 評価:★★+★ |
| 16世紀、ヘンリー8世が統治するイングランドの宮廷に入り込み運命を狂わせる姉妹を描いた『ブーリン家の姉妹』は、確かにコスチューム劇には違いないのだけれど、堅苦しさなどほとんどなく、むしろ大変風通しの良い間口の広い作りになっている。何と言うか、これは一種のアイドル映画だと思うのだ。主役の女優ふたりを眺める、その贅沢さに浸かることができたならそれで良いという映画。目指したところではないのだろうが…。 アイドル映画として成功したのはキャスティングが絶妙だからだ。清純なイメージの強いナタリー・ポートマンが王の妃に納まろうとする野心家の姉、したたかさと色気が前面に出たスカーレット・ヨハンソンが自分の立場をわきまえた控え目な妹を演じるという、通常イメージの逆の配役。彼女たちのいつもとは違う表情を目撃しながら、しかしそのまま最後まで終わるはずもなく、その愛らしいふたりの顔の奥に隠れた芯の部分が露になっていき、それが結局セルフイメージに繋がっていくのが、なんとも愉快痛快。 ポートマンが瞳に貪欲さを宿して王に取り入ろうとする様、平然と妹を押し退けていく様、自分の思惑が崩れガタガタになっていく様。ヨハンソンが自ら望まなくても王に愛されてしまう様、姉の裏切りに打ちのめされる様、窮地の姉をなんとか救おうする様。女優ふたりの魅力も手伝ってイチイチ楽しい。例えばポートマンの「押してダメなら引いてみな」演技、ヨハンソンの「ブリブリの処女」演技など、人によっては非常に鋭い刳味を感じるのではないか。これは史実を基にしているけれど、それによる厳粛さはなく、しかしだからこそたっぷりふたりを愛でることができる。一見強い女はポートマン、しかし本当に強い女は(手強い女は)ヨハンソンである。それを承知した展開がよろしい。 ふたりを包み込む衣装も特筆に価する。ポートマンがグリーンやブルーをベースに、ヨハンソンがブラウンをベースにした衣装を纏って次々登場、出てくる度にため息が出る。ポートマンのブルネットとヨハンソンのブロンド、或いはロングヘアをあの手この手でまとめたヘアスタイルとのコントラストもパーフェクトと言って良い。上品にして絢爛豪華。衣装はサンディ・パウエル、さすがと言えよう(王の衣装も楽しい)。 …というように女優ふたりのアイドル映画としては成功していて、それで良いじゃないかとも思うのだけれど、一応気になったところも挙げておく。いちばんの問題は撮影がお粗末なことで、無駄に動き過ぎるばかりか、色のトーンにも落ち着きがなく、まるでTV映画的な軽さが全編に渡って付きまとっている。音楽が妙に安っぽいのも、それに輪をかけている。脚本も優れているとは言えず、話の軸にあるのが世継ぎ問題を抱えたヘンリー8世の愚かさだというのは、さすがに辛いところ。彼がしっかりしていれば(適当な人格者であれば)問題も起きなかったかのような描き方だ(というか、男たちの頭の悪さは、ある意味素晴らしいレヴェル)。姉妹の愛憎に焦点を当てた方が物語にコクが出たに違いない。そうすると本格的歴史劇になってしまい、アイドル映画として楽しめなくなってしまうかもしれないが…。 |
| October, 2008 |
| ポワゾン “Original Sin” 監督:マイケル・クリストファー 出演:アントニオ・バンデラス、アンジェリーナ・ジョリー、トーマス・ジェーン、 ジャック・トンプソン、アリソン・マッキー、ジョアン・プリングル 評価:★+★ |
| 19世紀後半のキューバ。コーヒー輸出商を経営する男は、誠実で子どもを産んでくれる女性を求め花嫁募集広告を出す。そして現われた女。やややっ、写真とはだいぶ違うぞ。コーヒー会社社員だと偽っていた男は女に「金持ちの男でも我慢できるかい?」。すると女は「美人の奥さんでも構わない?」
― 。ひぃぃ、これ、笑っていいんだよね。 『ポワゾン』…、多分マイケル・クリストファー監督は「愛に翻弄される男女のラヴ・ミステリー」を目指したんだと思う。が、その目論見がとんでもない方向に転がっている。先に書いたふたりの出会いの場面もそうだが、その後もコッテコテで油ギッシュ、赤面な展開が続いていく。愛を信じていなかった男が一目惚れ、女に溺れていく過程がすごい。出会ったその日に結婚式を挙げておきながら、その夜は別々に過ごす。女、「まだ心の準備ができてない」だってさ…。おーい、その日に結婚しとしてそりゃないだろー。男、よく我慢できたよな。…という突込みを入れた翌朝、朝食を持ってきた女に欲情しちゃった男、もう辛抱ならん。やったるぜ!と気合い入りまくりで、昨夜自粛したのはなんだったのかという勢いでズッコーン!朝から元気がよろしいことで。家政婦さんたち来ちゃうぜよ。メロメロな男は即刻、銀行口座の名義をふたりに変える。カーッ、クリストファーがここで思い出して欲しいのは「恋は盲目」という言葉なんだろう。恋が男を狂わせる。しかし、僕が思うのは「男って単純」ってこと。「惚れた方が負け」ってこと。とことん尽くして尽くして尽くして…気がついたら尽 くすものがなくなっていた。Oh,そりゃないぜセニョリータ。いい歳こいた男の見事なバカっぷりを白けながら観ていた僕だが、あらら、気がつけば笑いがこみ上げてきてしまった。やり過ぎがミステリーをコメディに変える瞬間だ。製作者側の意図したものではないだろうが、これはこれでいいんじゃない?なんて思えてきた。もしかして確信犯…じゃないだろうね。 男女を演じているのはスペインの種馬アントニオ・バンデラスと野生的な妖気が魅惑的なアンジェリーナ・ジョリーだ。濃い!なんちゅー濃いカップルじゃろうか。ひとりずつ見てるだけでもとんこつラーメンは勘弁してくださいという気分だが、ふたりが同じ画面に入ったときの暑苦しさ。しかも舞台はキューバだ。くーっ、水風呂入りたいぜ。魅力的だが真夏には絶対に会いたくないこのカップル、普通にしていても強烈だ。その上、そうだ、朝っぱらから欲情し合っちゃうんだぞ。ハァハァ喘ぐ声の熱気が伝わってきそう。このふたりのセックス・シーン、さぞかし観応えあるんだろうね。 …と思ったのだが、案外エロティシズムに欠けるものでガッカリした。バンデラスもアンジェリーナも潔く素っ裸になっている。バンデラスなんてちょっとたるんだケツ(ふたりとも「お尻」っていう感じじゃないんだよね)を意味なくご披露している。このふたりの絡み、僕が思い出したのはなんとプロレスだった。ふたりとも性欲バンバンだから攻撃的。なんちゅーか、戦闘体制完ペキです、みたいな感じなのだ。気合い入りまくりだが、それが空回り。あの手この手のアングルで見せるが、まったく色っぽくない。言い換えるなら、官能がないので観ててもさっぱりゾクゾクこないのだ。組み合わせはすごくても、撮り方がまずいせいか、まったくそそられない。バンデラスとアンジェリーナの濃さが活かされていないもどかしさがある。笑えるけどね。 終盤、女はあまりにストレートな愛をぶつけてくる男に情が移ってしまう。どうしよう、この人を救いたい、そう思ってしまう。でも、そうすると私は殺されてしまうかもしれない。女の視点からも物語が描かれるわけだが、ここらヘンはほとんどメロドラマ。まさか大映ドラマをお手本にしたんじゃないだろうね。そうするくらいなら女をあくまでミステリアスな存在として描くべきでは?女の「人間らしさ」を強調したせいで、ミステリーの要素がグッと薄まってしまった。そしてそこから軌道修正されることは決してなかった。男は血を流し、女は牢屋に入れられる。そして…、その後の展開は、うーん、大映ドラマを越えた。やっぱり笑わせたいんだよなぁ。 |
| October, 2001 |
| ミッシング・ハイウェイ “Octane” 監督:マーカス・アダムス 出演:マデリン・ストウ、ノーマン・リーダス、ミーシャ・バートン、 ジョナサン・リース・マイヤーズ、ビジュー・フィリップス 評価:★ |
| 90分しかない上映時間なのに、事件が起こるまでに30分もかけている時点で、真面目に観てられなくなる『ミッシング・ハイウェイ』の最大の敗因は、話があまりにもバカバカしいという、極めて単純な事実である。真夜中のあるハイウェイを走る母娘と、彼女たちを事件に巻き込む謎の集団。母娘も謎の集団も、怖ろしく愚かしい行動を採る者ばかり。二組のバカバカしさを対決させたら、勝敗はどう出るだろう。僅差で謎の集団の勝利か。とにかく「娘がいなくなった。どうやら謎の集団についていったようだ。さあ、どこにいるでしょう?」という点だけで、映画をモタせられると思ったら、大間違いである。 暗過ぎて何が起こっているのか判断するのにも一苦労の物語だけれど、いよいよ話の破綻が決定づけられるのは、謎の集団の正体が明らかになる場面だ。「謎」なんて書いたが、別に隠したからと言って効果的でも衝撃的でもなく、要するに集団はカルト教団みたいなものだ。世の中には理解し難い宗教団体が溢れていて、その大半は傍から見れば滑稽に映ってしまう。この集団も例外ではなく、彼らが最も執着するのは「血」なのである。ドラキュラみたいに「血」を崇めて幸せになろう。これが彼らのスローガン。聞いただけならホラー的な味を感じないではないのだけれど、実際に「画」として見せられると、ギャグにしか映らないのは非常に辛い。集団の教祖をジョナサン・リース・マイヤーズが演じていて、目一杯変態演技を繰り広げているのも失笑するしかない。特に舌使いに注目で、多分本人は吸血鬼のつもりで演じている。彼の不健康で中性的な容姿は確かにこの役にピッタリで、血を顔に流す彼は、美しい被写体である。だが、そこに物語が入ってくると、もはやコントにしか見えなくなってしまうのだった。 マデリン・ストウとミーシャ・バートンも母娘も魅力は薄い。子役時代に煌きを見せたバートンは、「成長したら普通の子」というハリウッドのレールをそのまま辿っているようで、無駄に伸びた身長ばかりが目につく。彼女が演じるのは、後先考えないほとんどバカ娘なのだけれど、それにハマってしまう悲劇。シースルーでパンツを見せてしまう場面には驚いた。何もそこまで落ちなくても…。ストウは常にイライラしっぱなしで口やかましいだけ。事件が起こっても喚き散らす印象が強過ぎて、戦うヒロインの魅力はゼロである。ストウを見ていると、美人女優が美しく歳をとる難しさを痛感させられる。疲れ方が哀れを誘ってしまうばかりだ。 同じ疲れ方でもノーマン・リーダスに悲惨さはない。以前に比べると随分くたびれた印象を受けるのだけれど、それがまた大人の男としての味になっている。暗闇の重圧にも十分耐えられる独特の空気。特別面白くもない役どころだけれど、リーダスが出ている場面だけは、なんとか我慢することができた。 |
| April, 2005 |
| 森のリトル・ギャング “Over the Hedge” 監督:ティム・ジョンソン、キャリー・カークパトリック 声の出演:ブルース・ウィリス、ゲイリー・シャンドリング、 ワンダ・サイクス、スティーヴ・カレル、ウィリアム・シャトナー、 アヴリル・ラヴィーン、ユージーン・レヴィ、キャサリン・オハラ、 ニック・ノルティ、トーマス・ヘイデン・チャーチ、アリソン・ジャニー 評価:★★ |
| ちょっと前までは3Dアニメと言ったらピクサーの独壇場だったけれど、「シュレック」シリーズがあるからか、ドリームワークスもなかなかの追い上げを見せている。例えば『森のリトル・ギャング』でのいちばんの収穫は、主人公のアライグマのデザインがとても可愛いところにある。冒頭で自動販売機からお菓子を盗ろうとするところなど、小型動物ならではのチマチマした動きもあって、本当に可愛い。胸から腰にかけてのラインの美しさもなかなか。毛並みもふかふかで気持ち良さそうだ。手足の造形にも注意が行き届いている。このアライグマだけならば、ピクサーと大変良い勝負になるだろう。 ところが、その他の動物のデザインはというと、これがまるで冴えない。リスに多少の愛敬があるぐらいで、カメ、オポッサム、スカンク、ヤマアラシといったメインキャララクターたちは、いずれも研究の余地が多く残されていると思う。特にアライグマに次いで重要なポジションについているカメの造形の大雑把さには愕然とする。爬虫類のアニメーション化は確かに難しそうだけれど、アライグマとカメが並んでしまうと、別の作品のキャラクターが一緒の画面に入っているんじゃないかという錯覚に陥る。月とスッポン。 物語もドリームワークスにしては捻りが効いていない。森の動物たちが新興住宅の人間たちから食料を調達しようとあの手この手で奮闘するのだけれど、その盗み方に芸がない。スカンクが一発お見舞いする場面があるぐらいで、あとは別に他の動物とチェンジしても問題ないレヴェルの活躍しか見せない。動物の特性を活かした「スパイ大作戦」のような面白さを見せるべきだろうに。アライグマの進歩性とカメの保守性の共存というサブテーマもアクセントと呼ぶにはもうひとつの刺激だ。 あと、ドリームワークス製アニメーションを観るときに付き纏う「面白いのに、どこか虚しい」気分の原因がちょっと分かったような気がした。ピクサーは技術も物語も進歩的だと思うけれど、譲ることのできない保守的な昔ながらの感性もちゃんと残している。だが、ドリームワークスのアニメには保守的なところは全くない。どこまでも新しさを目指している。別に進歩的なのが悪いわけではない。でも、アニメーションでそればかり追求されると、実写より余計に「絵」がモノを言う映画の中では、かえってコンピュータ特有の冷たさが強調されてしまうのだ。『森のリトル・ギャング』でも面白い場面の中に、機械的な冷たさが確かにあった。 |
| August, 2006 |
| レジェンド・オブ・メキシコ
デスペラード “Once Upon a Time in Mexico” 監督:ロバート・ロドリゲス 出演:アントニオ・バンデラス、ジョニー・デップ、サルマ・ハエック、 エヴァ・メンデス、ウィレム・デフォー、ミッキー・ローク、 チーチ・マリン、エンリケ・イグレシアス、ダニー・トレホ、 マルコ・レオナルディ、ルーベン・ブラデス 評価:★★★ |
| ロバート・ロドリゲス監督が現れたとき、そのユニークな画面作りに大いに興奮した。現実にはありえない、他の映画の中にも見当たらない、極めて大袈裟なアクションの数々が、可笑しくてカッコ良くて…。ほとんど漫画的なその絵は、マヌケにしてクールなのであった。 その作品「エル・マリアッチ」と続編「デスペラード」に続く作品が、『レジェンド・オブ・メキシコ デスペラード』である。「デスペラード」を観たのはもう随分前でストーリーに関しては朧気になってきているのだが、多分ストーリーは続いていないと思う。エル・マリアッチという同じ人間が主人公であるが、その背景は大きく変わっている。 変わっていないのは、そのアクションの面白さだ。今回も爆笑し、同時に痺れることのできる、ユニークなアクションが連打される。アントニオ・バンデラスとサルマ・ハエックの鎖で繋がれたままの逃亡劇の活きの良さ。動きが限られているのに、その範囲内で最大限の跳躍を見せる。アクションに奇跡のように無駄が一切なく、それがマヌケでクールという、不思議な感覚を導いているのだと思う。教会内のアクションも素晴らしい。壁に這い上がるバンデラスに、「スパイダーマン」を連想しない者はいないだろう。ガンファイト場面ではスローモーションと役者の動きの呼吸がピタリと一致し、やはり面白い絵になっている。敵側が派手に死んでいくのも、愉快痛快。 今回気づいたのはそのアクションの数々が妙にロマンティックだということだ。カメラワークが色っぽいせいだと思う。これは感覚の問題で、狙って表現できるものではないと思う。ただ技術と姿勢のはまり方がフィットしているからそう見えてくるのだ。アクションの海を、バンデラスが、サルマ・ハエックが、ジョニー・デップが艶かしく動き回る。そして小道具のギターケースの仰天仕様が、念入りに可笑しく、そしてロマンティック。 ロマンティックと言えば、出てくる人間たちも相当ロマンティックだと思う。今回特にニヤリとしたのは「目」の使い方。チーチ・マリンの眼帯やデップのサングラスが、クエンティン・タランティーノ作品に通じるマヌケさを持ちながらも、うっとりするロマンティックさを見せている。デップがサングラスの下から流す「涙」の美しさなど、ほとんど芸術だ。 つまり絵作りはますます楽しくなっている。その一方、話がやけに分かりにくいのが困る。実は語るだけなら5分で済む話を100分に伸ばしたせいか、大味な印象があるのだ。将軍とか大統領とか、ちょっと話を大きくし過ぎたなぁと思う。こういうのは個人的な方が断然楽しいと思う。妻を殺された男の復讐彈というシンプルな構造で話を進めた方が、すっきりアクションに集中できただろうに。アクションと物語の編集の出来の落差に驚く。 そしてひょっとしたらこれは、デップ扮するCIA捜査官の役を大きくし過ぎたことも原因の一つじゃないだろうか。脇であるはずのデップのキャラクターが前面に出て主張し過ぎる。こういうのは少ない出演場面だからこそ、効いてくるというもの。マリアッチの個人的な話として、物語を進めるべきだ。とはいえ、デップの胡散臭い演技は、観ていて楽しく、飽きないのではあるが…。バンデラスはアクション場面は悪くないものの、動きのない場面だと、顔の小さなモアイ像のようで、新鮮味はない。ハリウッドに来て10年以上。その間についたハリウッドの垢が、彼の魅力を半減させているようで、寂しく思った。 |
| February, 2004 |
| ワイルド・レンジ 最後の銃撃 “Open
Range” 監督・出演:ケヴィン・コスナー 出演:ロバート・デュヴァル、アネット・ベニング、ディエゴ・ルナ、 アブラハム・ベンルビ、マイケル・ガンボン、マイケル・ジェッター、 ジェームズ・ルッソ、ディーン・マクダーモット、キム・コーツ 評価:★★★ |
| 牛追いをしながら生きる4人の男たちの背景に見えるのは、青々とした草原、底まで透き通った川、大地に叩きつける雷雨、吸い込まれそうに青い空、人を優しく撫でる風。『ワイルド・レンジ
最後の銃撃』でまず目を奪われるのは、その自然描写の素晴らしさだ。開拓前のアメリカが持っていた、土の匂いの香る、力強さがフィルムに焼きつけられている。そこに立つ男たちは皆寡黙ながら、その態度から、自然に敬意を払っていることがよくわかる。今じゃほとんど見かけなくなった、自然との融合を楽しむ男たちの姿と彼らを包み込む風景を眺めるのは、気持ちがいい。 町を牛耳る権力者と彼らに反旗を翻す者たちの対決という、西部ではお馴染みのシンプルな物語は、終盤のガンファイトで一気に燃え上がる。この銃撃戦がなかなか見応えがある。仲間を無惨に殺され怒りに燃えるふたりの男が、数で勝負の悪に立ち向かう。どう考えても勝ち目はない。しかし、彼らは行く。自らを投げ出してもやるべきことがある。そして、それが彼らに同調する者たちの心に火をつけることとなる。このあたりはフレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」とは逆パターンの快感があり、結局正義心を刺激されるのは、爽快なものだと再確認させられる。銃撃戦の見せ方もなかなかうまく、「カッコ良く」ではなく「惨めで、みっともなくても、現実的に」を目指したことが見て取れる。滑稽で、雑ではあるけれど、だからこその優雅さに見惚れる。 …と、充実した部分が多い映画なのだが、それと同じくらい疑問に思える部分もある。物語がやけにのんびりとしていて、ほとんど無駄じゃないかと思われる場面が目立つのだ。何も漏らさずに描くことが、丁寧であると勘違いしているとしか思えない。入れるべきものと切るべきものがよく分かっていない気がする。すなわち、省略術に長けていない。 そして、その原因の大半は結局、監督を務めるケヴィン・コスナーなのであった。最初作品の魂とも言うべき(実質主役の)老カウボーイを演じるロバート・デュヴァル(さすがの名演)をタテていて、コスナーもやっと己を自覚したかと思ったのも束の間、話は少しずつ彼の右腕を演じるコスナー中心のものへとシフトしていく。それがよく分かるのがカメラワークで、どの位置に入ればいちばん自分が美しく見えるか、ということを意識していることが丸分かりである。非常に分かりやすい。アネット・ベニングとのロマンス部分も結局、自分がさらっていく。そしてそれに割かれる部分があからさまに多い。特にエピローグ的な部分でのラヴシーンの連発には参った。おまけにそこに被さるセリフが「君に1000回キスしたい」という陳腐さだ。それを入れるくらいならば、殺される仲間がどんな人間だったかともっと詳しく描写するべきだろうに。最初こそ物語の中心にいたデュヴァルも、最後には脇の脇に追いやられてしまうのであった。コスナーにはもう少し客観的に自分を見つめる術を学んで欲しいものだ。 |
| July, 2004 |
| 私が愛したギャングスター “Ordinary
Decent Criminal” 監督:サディウス・オサリヴァン 出演:ケヴィン・スペイシー、リンダ・フィオレンティーノ、ピーター・ミュラン、 スティーヴン・ディレーン、ヘレン・バクセンデール、コリン・ファレル、 デヴィッド・ハイマン、ポール・ローナン、ヴィンセント・レーガン 評価:★★ |
| 惜しいなぁ。絶対面白いはずなんだよ。ケヴィン・スペイシーが有名強盗団のリーダーを演じるっていうんだから、面白くならないわけがないんだよ。それなのに、あぁそれなのに、どーも不満が残ってしまった。 『私が愛したギャングスター』というタイトルもやめて欲しいが(以下、略して『私ギャン』。なんだかいっそうマヌケ)、この作品の最大の欠点はそれではない。いちばんまずいのは、作品のテンポがよくないところだ。こういうクライム・コメディものはテンポが命。たとえばガイ・リッチー監督の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」の軽快さを見よ。次から次へと降り注ぐピンチの連打。スピード感あるストーリー展開と犯罪ドラマがもたらす高揚感。いろいろな要素が絡み合い、気分爽快、イッチョ人生頑張ったろか、というわけのわからん気分にさせてくれた。同じように『私ギャン』のいちばんの観所は、ケヴィン・スペイシー扮するマイケル・リンチのキャラクターの面白さと間の抜けたストーリーの絡まりにあったはずなのだ。それが生きていない。なぜか。 おそらくアイルランド、ダブリンが舞台ということと関係があるんだと思う。いつも曇天のジメジメした気候。『私ギャン』では雨など降らないし、特別どんよりしていたという印象はない。しかし街並みがそれを語る。街に刻み込まれた歴史が語る。画面全体がじっとりと観る者に語りかける。この風土感が『私ギャン』のスカッと爽快、思わずクスクス笑ってしまうポイントをかき消してしまう。いや、別にアイルランドが悪いんじゃない。ただサディウス・オサリヴァン監督の演出がアイルランドの風土感に負けたということだ。 ストーリーが風土感に負けたとはいえ、スペイシーの強盗っぷりはなかなか愉快だ。朝も早(はよ)から待ち伏せ作戦や下手したら絵が傷ついちゃうよ作戦なんて思わず顔がニンマリしてきてしまう。そしてこの作戦のユーモアをスペイシーは当然のように理解している。スペイシー扮するリンチは金が欲しいんじゃない。ただ警察を、世間を煙に巻きたいだけ。スペイシーのとぼけたたぬきっぷりはやっぱり楽しい。彼はまた家では良きパパでもある。ただし妻の他にもその妹ともデキているパパだ。そしてそれで姉妹間もうまくいっている。ちょっとうまくいきすぎ、スペイシーおいしすぎないかと思うのだが、妻役のリンダ・フィオレンティーノの好演も手伝って実に微笑ましく映る不思議。役者はちゃんと揃っている。 残念な点がもうひとつあって、それがラストの決着のつけ方だ。クライム・コメディらしく裏切りがあるのだが、その後味がちょっと悪い。なかなかいい味出してたアレック(コリン・ファレル。ヒゲでわかりにくいが結構ハンサム)があっさり○○○しまうなど、○が○れすぎる。マイケル・リンチならもっとスマートに切り抜けるんじゃないか?ちょっとアイデアが尽きてしまった感じで、うーん、残念。前半の軽快な事件と最後の事件のギャップからくる違和感で、モヤモヤしたものが残ってしまった。それは…、スペイシーの似合わないバイク姿と同じくらいのモヤモヤであった…。 |
| December, 2000 |
| 私の愛情の対象 “The
Object of My Affection” 監督:ニコラス・ハイトナー 出演:ジェニファー・アニストン、ポール・ラッド 評価:★★★ |
| こういうゲイを扱った作品を観ていると、我が国日本はまだまだ考え方の狭い国だと思わざるをえない。この作品でもゲイがたくさん出てくるが(というより、ストレートな男性の方が少ない!)、ゲイはちゃんと社会的な地位を持っている。そして周りの人それを気にすることなく、彼らを受けて入れている。日本じゃこうはいかないですよね、はい。 さて、『私の愛情の対象』はゲイの男性を愛してしまった女性の心の動きを丁寧に追った作品だ。ゲイが絡んでくるとどうも興味本位に取り上げて終わってしまう作品が多い中、ニコラス・ハイトナー監督は決して投げやりな演出をすることなく、それはそれはさらりと軽く、しかし厳しい現実をしっかり見据えて描いていく。ゲイの男性を愛してしまった女性が、ストレートな男性との間に子どもを妊娠する。ゲイの男を愛しているが、彼は所詮ゲイ。決して自分を愛してもらえることなどない。ならば彼に子どもの育ての親になってもらおうと女性は考える。だが男が男の恋人と愛し合っているのをみてしまうと、頭ではわかっていてもどうしても胸が締めつけられる。この過程が大変リアルに描かれる。ハイトナーの軽すぎず重すぎない演出がいい。 クライマックスで女性はある決心をするのだが、この決断が現代的だ。一見お手軽に見えてしまいがちなこの決断が、実は女性の中にはものすごい葛藤があっただろうと推測できる。だからこそ、後味は悪くないとはいえ、少し考えさせられたりもする。デリケートな問題だけに、評価はこのラストで決まるような気がするが、僕としてはおおいに良かった。 それにしてもこの作品はキャスティングがうまい。主演にジェニファー・アニストンとポール・ラッドを持ってきたところがまず、計算されている。こういう物語だから主人公に感情移入できなくてはアウトだ。普通男性は男性キャラに女性は女性キャラに感情移入するものだが、この作品を観た人は迷わず女性に共感できなくてはならない。なぜなら男性はゲイであり、どうしても理解しにくいから。よって観客の心を捉えるためには、女性キャラクターに誰もが好感を持つ女優を置かなくてはならないのだ。そして選ばれたのがジェニファー・アニストンである。このいかにも健康的なアメリカン・ガールであるジェニファーが、ステキな存在感を持つ女優だ。親しみやすい笑顔を見たら、あらら、あなたもきっとジェニファーを応援してしまっているはず。彼女が哀しめば自分も哀しいし、彼女が嬉しそうなら自分のことのように嬉しく感じる。彼女に肩入れして観てしまうから、観客は思わず“せつないねぇ”と心の中で思うはず。ジェニファーは、“隣の女の子”的な要素を多分に持っているといっていいだろう。このジェニファーが愛してしまうのがポール・ラッド。ベン・アフレックの顔にマシ ュー・ブロデリックを足したような顔のこの男優が、これまた親しみやすい雰囲気の持ち主だ。観客は彼に感情移入することはない。だけど、それでも彼の気持ちも分かる気がする。そう思わせるのが、今回のラッドの役割であり、ラッドは大変好感の持てる演技でそれに応えている。 ところどころでTVドラマでありがちな小技(ラブ・シーンの途中で電話が入ったり、偶然昔の恋人にバスで出くわしたり)があったことと、ポール・ラッドの顔に似合わぬ胸毛がすごかったことを除けば、十分楽しめるラブ・ストーリーだ。 |
| January, 1999 |
| 102 “102 Dalmatians” 監督:ケヴィン・リマ 出演:グレン・クローズ、ジェラール・ドパルデュー、ヨアン・グリフィズ、 アリス・エヴァンス、ティム・マキナニー 評価:★★ |
| ダルメシアンが大活躍する「101」の続編が誕生した。ずばり『102』である。うーん、どうしてこんなに可愛いんだろう。どうしてこんなにいじらしい目をしているんだろう。どうしてこんなに純真無垢な表情をしているんだろう。なんてことを考える隙を与えないほど、ダルメシアンが最高だ。とにかく画面を見ているだけで幸せ。102匹ものダルメシアンたちがスクリーンの上を駆け回る様、うーん、それだけで幸せ。 『102』の主役は子犬のオッドボール(“変わってる”の意)。オッドちゃんはダルメシアンなのにブチがない。真っ白な外見がこれまたどうしようもなく可愛いのだが、オッドちゃん本人はそれを気にしているようだ。黒いものに過敏に反応し身体をそれにこすりつけて汚すことによってブチを自分につけようとする。くーっ、たまらんわー。なんて可愛い。なんていじらしい。なんて純真無垢。外見が両親や兄弟と違うというのは、オッドちゃんにとっては大問題。そんなに深刻に考えさせる描写ではないけれど、オッドちゃんの悩み、分かるよー。やっぱりみんなと一緒にいたい。愛する家族と一緒になりたい。その思いにあぁ、ますます感情移入しちゃうじゃないの。 オッドちゃんをはじめダルメシアンが最高。がっ、それだけじゃない。インコのワドルスワース?たしかにヤツのパフォーマンスにはニヤリ。ブル・マスチフのドゥルーラー?たしかにこやつのよだれ攻撃は印象的だ。チャイニーズ・クレステッド・ドッグのフラッティー?たしかに彼の奇妙な外見は目を引く。ティム・マキナニー演じる執事のアロンゾ?たしかに彼の間合いはおかしくておかしくて。が。が。が。がっ!やっぱりクルエラを演じるグレン・クローズを忘れるわけにはいかない。「101」よりもパワーアップしたクルエラ像。なんちゅーか、グレンよ、ここまでやってくれてありがとう。 冒頭のクルエラは治療により愛犬家に生まれ変わっている。黒と白を貴重にした囚人服に彼女のこだわりが見えるが最初はいい人そのもの(毒つきだけどね)。バラで作られた衣装で動物愛護キャンペーンのポスター撮影をしているシーンの彼女は、うーん、気品があるんだか下品なんだかよく分からないのだが、とにかく非常に強いインパクト。ここまででも十分おかしいのだが、本性を表したクルエラはさらに最高最悪!塩沢ときのようにまとめていた髪がヤマンバのようにフリ乱れ、ツメは黒く獣のように伸びる。ドレスはもちろん毛皮。悪趣味としか言いようがないファッションに身を包み、人目をまったく気にせず悪女の王道を突き進む。悪い女だがどこか憎めないクルエラ像はグレン・クローズだからこそ、だ。鐘の音を聞き自分の本性に気づくシーンの素晴らしさ。鐘が鳴り響くたびに髪が爆発、服もクルエラ色の強いものになっていく。彼女の視界はブチ一色。目に見えるものがすべてブチに見えるこのシーンは、怖いがなんだかたしかにキレイ。クルエラには共感できなくとも、このショットは目に焼きついて離れない。終盤はお待ちかねオッドちゃんたちの反撃だが、グレン、身体思い切 り張りまくりだ。よくぞこんな格好になってくれました。子どもは怖がるかもしれないが、僕はますますグレンに好印象。メリル・ストリープよ、これぐらいやらんかい。最後にはクルエラはあるものに変身してしまう。ひょーっ、凄いわ凄いわ。これを観たときぼくは本当に感動してしまった。グレン・クローズという女優の器の大きさを改めて思い知らされたような気がした。 目をつぶってても先が読める作品だが、ファミリー向けだからまぁこれでいいのだろう。暇つぶしに観るにはもったいないダルメシアンの可愛さとグレン・クローズの体当たり演技だった。 |
| March, 2001 |
| ワン・ナイト・スタンド “One
Night Stand” 監督:マイク・フィッギス 出演:ウェズリー・スナイプス、ナスターシャ・キンスキー、ミンナ・ウェン、 ロバート・ダウニー・ジュニア、カイル・マクラクラン 評価:★★ |
| マイク・フィッギス監督といえばもちろん、前作「リービング・ラスベガス」だ。絶望の中でしか生きられない男と女をそれはそれは繊細に丁寧に描いていた。心の底まで響いてくる男と女の哀しみ。それは観る者の琴線を揺さぶり、こんな“愛”の形もあるのかと深く考えさせられた。 そんなマイク・フィッギスの最新作が『ワン・ナイト・スタンド』である。前作もそうであったが、フィッギス監督の作品の特徴のひとつは、“ジャズ感覚”で物語が語られるところだ。今回も話の所々にジャズ・ミュージックが顔を出し、それぞれがたいへん効果的に使われている。特に素晴らしいのは、ウェズリー・スナイプスとナスターシャ・キンスキーが、出会ったその日に激しく求め合う場面で流れる曲だ。フィッギス監督のもうひとつの特徴である影の使い方との絡まり合いが、エロティックでロマンティック。ふたりの鼓動がこちらまで聞こえてくるようだった。 話はバックに流れるジャズ・ミュージックのようにゆったりと描かれるので、その流れに乗ることができればこんなに心地いいことはない。たとえ描かれているものが不倫という世間では許されるものではなかったとしても、だ。おまけに舞台がニューヨークというのだから、聴覚的にも視覚的にも最高なのである。 主演は、ウェズリー・スナイプスとナスターシャ・キンスキー。スナイプスはこれまでの彼のキャリアの中で初めてともいえるシリアスなキャラクターを実に丁寧に演じている。アクション・スターとしての彼しか知らなかった僕としてはこれは意外な収穫で、ブラック系アクターの中でもかなりの演技派といっていいのではないかと思う。ナスターシャは90年代に入ってからの彼女の最高のパフォーマンスを披露。最近の彼女はハリウッドのアクションやコメディといったものに積極的にチャレンジしていたが、どこか空回りしていた感がある。それが今回はどうだ。冬のニューヨークを舞台に、表面上は冷たい美貌だけれど(ドイツ出身ということが関係している?)その奥には熱い情熱が渦巻いている女性を妖しく優しく演じている。そうナスターシャは真っ青な空よりも少しどんよりとした空のほうがよく似合う。寒系の女優なのだ。今回はその特徴を隅々まで生かして、作品に華やかさを加えている。スナイプスとナスターシャは感覚のカップルだ。見た目は決してお似合いなわけじゃない。でも、頭よりも体は正直。出会った瞬間から互いを求め合ってしまう。その感情がとても美味く表されてい た。ロバート・ダウニー・ジュニアについても触れなければならない。今回ダウニーが演じているのは、エイズに感染したゲイの役だ。もちろん発病してからの演技も素晴らしいが、僕が感心したのは、冒頭スナイプスとカフェで談笑するシーンだ。ほんの3分ほどのシーンであるがそれだけでダウニーがただ者ではないことがわかる。ころころ変わる表情。そのヴァリエーションが豊かで、予想がつかない。そこにあるのは、もはやスリル。私生活ではかなりお騒がせの面もあるようだけれど、こんな才能なかなかないよ。これからも頑張ってほしいと心から願う僕であった。 と、ここまで褒め上げておいててのひら返すようですいません。このラスト何なの?絶望の中で生きている男女を描いていたはずなのに、カップルとっかえのハッピーエンドだなんて…。これでは一気にコメディの世界だ。ダウニーの死というものに直面することによって改めて人生のはかなさを感じ取ったはずなのに、それでは前5分の4は何のためにあったのか。5分の4が素晴らしく描かれていただけに、怒りすら沸いてきてしまったのだった。 |
| February, 1999 |
| ワン・ミス・コール “One Missed Call” 監督:エリック・ヴァレット 出演:シャニン・ソサモン、エドワード・バーンズ、アズーラ・スカイ、 アナ・クラウディア・タランコン、レイ・ワイズ、ローラ・エレナ・ハリング 評価:★ |
| オリジナルの和製ホラー「着信アリ」については全然知らないけれど、ひとつ言えるのは、携帯電話に自分の最期のときの声がかかってくるという設定が、面白くもなんともないという点である。死の着信を受けた者たちがいかにしてそれを切り抜けるのか、というのがプロットの軸になっているのに、だ。 改めて思うのは、電子機器とホラーの相性の悪さだ。技術の発達により身の回りの道具はどんどん便利になっていて、同時にそこから手作りの温かさのようなものは失われていっている。それが良いか悪いかはここでは問題ではなく、機械的な匂いが前面に出ている道具というのは、人の感情が入り込む隙のようなものがほとんどなく、どこまでも冷たいのだ。この手のホラーでは怨念という人間の感情と密接に結びついたものが重要になってくるので、当然そこにジワジワ来る恐怖を炙り出すのは難しくなる。携帯電話では無理。黒電話がギリギリじゃないだろうか。 『ワン・ミス・コール』はこの怖くない携帯電話が真ん中にドーンと置かれていて、したがって他の部分で恐怖を見せなければならないのだけど、ショッキングな映像や巨大な音という、実にありきたりな演出の繰り返しでしかないので、ますます恐怖感は薄い。特に映像部分に問題があり、通り過ぎる人々が変形して見えるという設定が滑稽そのもの。デパートのお化け屋敷じゃないんだから、もう少し何とかなったのでは?ハリウッド映画なのだし。 人の死に方にしてもアイデア不足だ。死に方に一貫性がないばかりか、そのいずれもに捻りがなく、ただただ人が死んでいく。「ファイナル・デスティネーション」(00年)シリーズのような意外性が皆無なのだ。死ぬぞ死ぬぞ…と思ったらやっぱり死ぬ、という実に怠惰な死に方だ。ヘンな言い方だが。 それにしてもこの幽霊は何をしたかったんだか。所謂逆ギレというヤツだ。なぜ携帯電話なのかという点も全くの放置。呪いから逃れるには携帯電話を解約すればいいのではないか、と思ったら「プリペイド式だから無理」というしょうもないオチには笑ったが…。 |
| July, 2008 |
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