資料:出版の自由 (2004.04.01読売新聞 東京朝刊より転記)

「週刊文春」出版禁止取り消し 31日の高裁決定の要旨

  元外相・田中真紀子衆院議員の長女の私生活に関する「週刊文春」の記事をめぐる東京高裁の決定の要旨は次の通り。

  1 東京地裁の決定は、本件記事は相手方(田中元外相の長女側)の人格権の一つとしてのプライバシーの権利を侵害するものであるが、プライバシーは極めて重大な保護法益であり、人格権としてのプライバシー権は物権の場合と同様に排他性を有する権利として、その侵害行為の差し止めを求めることができると解するのが相当とした。その上で、本件においてこれを認めるための要件として、本件記事が〈1〉公共の利害に関する事項に係るものといえない〈2〉専ら公益を図る目的でないことが明白である〈3〉被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある――の三つを挙げている。
  本件記事がプライバシーの権利を侵害するものであるかどうか。
  本件記事が報じた長女の私生活は、本来的には、一人間としての全くの私事に属するものとして守られるべきものである。そして、それ自体、本人にとって重大な苦痛を伴うであろうことはいうまでもないことであろうし、まして、見ず知らずの不特定多数に喧伝(けんでん)されることに更なる精神的苦痛を被るであろうことは当然である。
  したがって、本件記事が報じた私生活は守られるべき私事であり、人格権の一つとしてのプライバシーの権利の対象になる事実と解するのが相当である。
  そうすると、本件記事は、将来における可能性はともかく、現時点においては一私人にすぎない長女の私事を、不特定多数の人に情報として提供しなければならないほどのことでもないのに、ことさらに暴露したものというべきであり、長女らのプライバシーを侵害したと解するのが相当である。

  2 そこで、本件記事が三要件を備えているといえるか否かを検討する。
  本件記事が「公共の利害に関する事項に係るもの」といえるかどうか。
  抗告人(文芸春秋側)は、長女はその親族関係から見て、現に国会議員である両親の後継者として政治を志す可能性があると考えるのが相当であるから、公共の利害に関する事項に係るものであると主張する。
  確かに、両親、祖父といった最も近い関係にある者を高名な政治家として持つ者は、そうでない境遇の者と比べて、将来政治家を志すかもしれない確率が高いと考える余地もあり得るであろう。しかし、将来、政治活動の世界に入るというのは単なる憶測による抽象的可能性にすぎない。このような抽象的可能性があることをもって、直ちに公共性の根拠とすることは相当とはいえない。しかも、本件記事の内容が、それ自体は政治とは何らの関係もない全くの私事であることを考えると、本件記事が「公共の利害に関する事項に係るもの」と解することはできない。
  また、資料によれば、長女は田中元外相が科学技術庁長官として外国出張するのに同行したり、元外相の選挙運動に参加していること、元外相が「自分の後継者は娘二人である」と明言したと述べる人がいること等の事実が一応認められるけれども、長女の行動は将来政治の世界に入ることを意識してのものというよりは家族ゆえのこととも考えられるところであり、長女を田中元外相あるいは田中直紀参院議員の後継者視し、長女の私生活を「公共の利害に関する事項に係るもの」とみるのは相当とはいえない。
  本件記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白である」か否か。
  抗告人は「専ら公益を図る目的のもの」であるか否かは、行為者の主観によって判定されなければならない旨主張する。
  しかし、まず、本件記事は、家族など身内に著名な政治家がいるとはいえ、現時点では一私人にすぎない長女らの全くの私事(しかも、それは、公表によってプライバシーが侵害される事柄である)を内容とするものであり、「専ら公益を図る目的のものでないことが明白である」というべきである。
  抗告人は、上記の「目的」は行為者の主観によって判定されなければならないと主張するが、公表されたこと自体の内容も問題とされなければならない。
  本件記事によって「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある」か否か。
  本件記事が報じた長女の私生活は、一般的には望ましいことではないにしても、また、それを余儀なくされた当事者の痛みはともかく、それ自体としては、社会的に非難されたり、人格的に負をもたらすものと認識・理解されるべき事柄ではないというべきである。
  ところで、本件記事は、憲法上保障されている権利としての表現の自由の発現・行使として、積極的評価を与えることはできないが、表現の自由が、受け手の側がその表現を受ける自由をも含むと考えられているところからすると、憲法上の表現の自由と全く無縁のものとみるのも相当とはいえない側面のあることを否定することはできない。
  一方、本件記事で報じられた長女の私生活は、当事者の人格に対する非難など、人格に対する評価に常につながるものではないし、もとより社会制度上是認されている事象であって、日常生活上、人はどうということもなく耳にし、目にする情報の一つに過ぎない。
  更には表現の自由は、民主主義体制の存立と健全な発展のために必要な、憲法上最も尊重されなければならない権利である。出版物の事前差し止めは、この表現の自由に対する重大な制約であり、これを認めるには慎重な上にも慎重な対応が要求されるべきである。
  このように考えると、本件記事は、長女らのプライバシーの権利を侵害するものではあるが、当該プライバシーの内容・程度をかんがみると、本件記事によって、その事前差し止めを認めなければならないほど、長女らに「重大な著しく回復困難な損害を被らせるおそれがある」とまでいうことはできないと考えるのが相当である。