20041005より
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■社会を知ることは自分を知ること
自分がどんな人間であるかを知ることは難しい。
しかし、それを知らないまま生きていくことも、また難しい。
社会学は社会を知ることを目的としているが、それは、
自分の生きている社会がどんなものかを知ることであり、
自分を育ててきた社会がどんなものかを知ることでもある。
自分を育て、自分が生きている社会を知ることは、
自分を知るための一つの手がかりになるだろう。
社会を知り、社会が抱える問題を知ったからといって、
それで社会をよくするための道が見つかるわけではない。
しかしそれでも、
社会の中でよく身を処していくためのヒントくらいは見つかりそうだ。
つまり、ここでいう「自分を知ること」は、
「自分が社会の中でよく生きていく道を知ること」
につながっている。
■高野山で社会学をすること
高野山大学は高野山の上にある。
地理的にはたしかに、下界から隔絶されているといえなくはない。
街の中で大学生をしていた身としては、
学生さんたち、いったい何して時間をつぶしてるんだろう、
と思うときがないではない。
卒業していく諸君に話を聞いてみると、
「とにかく在学中の4年間、おしゃべりだけはいっぱいした」
と回想する人が結構いる。
…それは時には、体を張った「おしゃべり」となることもあ るようだ…
高野山で学生をすることの効用は、
このあたりにあるのだろうと思える。
親元を離れて学生生活をしていると、
それまで気づかなかった親のあれこれに気づくことがある。
地理的に離れることで、心理的にも距離をおいて、
親のことを考えることができる。そして、
そういう親に育てられ(てしまっ)た自分についても考えるこ とがで きる。
これから社会にでていく自分をつくっていこうという大学生の時期に、
今までの自分はどんなだったか知るのは、大切なことだ。そしてそれを、
ほかの同世代の友人たちはどうだったのかとつきあわせてみることも、
また大切なことだ。
ここには、「今」に追いたてられることなく、
「今まで」をじっくりとふりかえることのできる、
ゆったりした夜の時間が流れている。
これは、社会と、そこに生きる自分について考えようとするときに、とても貴重なことだ。
街の中でにぎやかな学生生活を送りたいと思う人にとって、
たしかに高野山という地はものたりないところにちがいない。
ただ、毎日せきたてられてバタバタ暮らすのは苦手だ、という人には、
なかなかに住み心地のよいところともなるようだ。
■略歴
1963(昭和38)年 愛知県春日井市生まれ。
名古屋市立向陽高校卒業。
1983(昭和58)年 京都大学文学部入学。
その後京都大学大学院文学研究科(社会学専攻)博士課程学修退学。
現在、社会学担当教員(准教授)として高野山大学に勤務。
■研究分野
フランスにマルセル・モースという社会学者がいた。
彼の著作で最も有名なのが「贈与論」。
乱暴にいって「人間は気前よく生きなければならない!」と主張した論文。
彼は20世紀前半に活躍した人だが、この「気前のよさ」一点 で、
当時の貧困問題や国際対立の問題など、ほとんどの問題を解決できる、
と考えていたフシがある。
そんなワケあるかと思いつつも、そういう彼の考えを整理し直してみよう、
というのが、今やっていること。
■論文など
・「モースにおける「全体性」概念の検討−−「贈与論」を契機として」
・「現代における「全体性」のかたち−−モースにおける「人間」観の検討」
・「「敵意」に転化する「好意」−−「贈与論」における「気前のよさ」をめぐって」
ほか
■■藤吉ページ
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