|
Acrobat
Reader

無償ダウンロード
| |
オールド・コース・エクスペリエンス
プログラムでプレイできる6コースのご紹介です
オールド・コース 6721YARDS PAR72
1457年にスコットランド政府(国王・ジェームス2世)のゴルフ禁止令の文献が残っていることから”ゴルフお初の地”として知られ、HOME
OF
GOLF、ゴルフの故郷、ゴルフ発祥の地、ゴルフの聖地、メッカ等々と称されるセント・アンドリュースにある最古のゴルフ・コース。
強いリンクスの風によって永い年月をかけて作られた自然の地形を最大限に生かしたレイアウトは「神の手」によって作られたといわれ続けている所以。ここでのプレイはまさしく巡礼。1873年からのジ・オープンはこのコースで開催され、現在は5年に1度となり、どこよりも数多くのオープン・チャンピオンシップが開催された伝説に名高い独創的なコース。
17番ホールのロード・バンカーは有名で、世界4大メジャーすべてベスト10入りした日本人唯一のプレイヤーである中嶋常幸プロが1978年、このバンカーに9打を要して優勝のチャンスを逃し、彼の愛称からトミーズ・バンカーとも呼ばれる。4ホール(1・9・17・18)以外は全てダブル・グリーンのレイアウト。
各ホールの説明、ティー・グラウンドからそのホールを見渡した写真はコチラをご覧下さい。
ニュー・コース 6625YARDS PAR71
1895年オープン。ゴルフの急速な普及に伴い作られたコースで他のコースと区別するために“NEW”と命名された。オールド・コースの隣にあるがゆえ国際的には過小評価だが、多くの地元ゴルファーには人気のコース。ゴルフの父と呼ばれるオールド・トム・モリス設計のコースで、その後、いくつかのバンカーと新しいティーが加えられたのみでほぼオリジナルのデザインのまま残っており、モリスのすばらしい仕事がいたるところに感じられる。独特のアンジュレーションがオールド・コースと似ているとも言われ、スコットランドで最もすばらしいと評価を受ける4つのショート・ホール(5・9・13・17)や、巧みで短いものからきわめて難しいロング・ホールとバラエティーに富んだパー4と難易度も高く、オールド・コースの前哨戦として挑戦するには適したコース。
1908年の没後17番ホールにはモリスの名が命名された。
ジュビリー・コース 6742YARDS PAR72
1897年オープン。ビクトリア女王の即位60周年を記念して"JUBILEE"と命名された。ニュー・コースと海の間の狭く細長い土地にわずか3ヶ月で作られた12ホールのレイアウトで、当初は“養成所”と揶揄されるような女性と初心者向けの標準的なコース・デザインであったが、1905年ウィリー・オーチターロニー監修のもと18ホールの5330ヤード、1946年にはさらに6020ヤード、1989年にはドナルド・スティールによりチャンピオンシップ規格へ再デザインされて6742ヤードとなり、現在ではすべてのゴルファーにとって手ごたえを感じられる難関コースとなった。
ティー・グラウンドが上げられ、リンクスの素晴らしい眺めとともに湾から入り込む風にさらされることになり、トッププレーヤーにさえかなり恐ろしいコース。
ウィリー・オーチターロニーは生前、“このコースはいつかチャンピオンシップコースとなるであろう”と語った通り、オールド・コースとはまた別にセント・アンドリュース・リンクスでもっとも過酷なコースといえる。1番ホールにはウィリー・オーチターロニーの名が、その他は地元の一般公募で命名された。1番ティーの横にある“JUBILEE
FOUNTAIN”はコース100年を記念したもの。
キャッスル・コース 5300-6789YARDS PAR71
2008年オープン。セント・アンドリュースの7番目のパブリックコースとして中心から2-3マイル東に位置する220エーカーの広大な敷地に、デビッド・マクレイ・キッドによって設計された風光明媚なゴルフコース。バンドン・デューンズの国際的な評価が認められての依頼はセント・アンドリュースゆかりのスコットランド人として、また建築家としても興味の尽きる事の無い誰もがうらやむような仕事であったが、デビッド・マクレイ・キッドは「町の期待に応えることは難しい」と自覚し、思わぬ困難に悩んだ末、この設計を自分自身が楽しむことと認識しながら完成させた。セント・アンドリュース・リンクストラストの予想をはるかに超えた厳しいコースと物議をかもしながらも、オープン初年に国際的に高い評価を受け、名門のゴルフ・デザイン・トップ100にランキングされる等、当初は賛否両論であったが時間の経過と共にグリーンの過酷さは残しながらも落ち着いたコースとなった。
コース名は中世にこの岬に建っていたキンケル城に由来し、コース・ロゴは1211年までの間、数世紀にもわたって地主であった貴族の家紋をヒントにデザインされた。
キングスバーンズ・コース 7181YARDS PAR72
キングスバーンズのゴルフは1793年に地元の男達が海岸線の砂地を利用してプレーしたことに始まる。1815年には「キングスバーンズ・ゴルフィング・ソサイアティ」が設立され、春と秋にソサイアティ・メダル、ワインや食事をかけたプレイを楽しんでいたが1850年に農地に。
1922年には「キングスバーンズ・ゴルフ・クラブ」として再設立され、ウィリー・オーチターロニーの手により9ホールのコースがレイアウトされたが、第2次世界大戦開戦によりゴルフ場は徴用されコースは消滅。眠り続けたコースは2000年にようやく復興を遂げた。
アメリカ人カイル・フィリップのコース・デザインは、壮観な海岸の景色を利用して迂曲する伝統的なリンクスに現代の科学技術を調和させたコースで、瞬く間に評判を上げ、世界のゴルフコーストップ100に選ばれるまでになり、カーヌスティ(チャンピオンシップ・コース)、オールド・コースに加えて、ダンヒル・リンクス・チャンピオンシップの開催地となっている。
カーヌスティー・コース 6941YARDS PAR72
カーヌスティでのゴルフは1500年代に始められ、現在のコースの原型は1850年、アラン・ロバートソンの手によって設計され、その約20年後にはオールド・トム・モリスによって18ホールに改修され、1926年にジェームス・ブライドによってチャンピオンシップ・コースに再設計された。例外なく賞賛を受けるブライドの仕事であったが仕上がりにいまひとつ欠けるものを残しつつ、その後1937年のオープン・チャンピオンシップ直前に、ジェームス・ライトによって3つのホールが再設計され、名プレーヤー達に賞賛される現在のコースになった。
1931年からジ・オープンの開催は7回を数え、1953年に初出場、初優勝してコースを「攻めて地獄、守って奈落」と称し、6番ホール(Hogan's
Alley)に名を残すベン・ホーガン、ゴルフ史上最大の悲劇といわれた'99のヴァン・デ・ヴェルデ、'07にはプレーオフまでもつれた死闘の末にメジャー初優勝を果たしたパドレイグ・ハリントン、これら数々の伝説が戦略性、難易度がとても高いコースだと物語っている。それとは対照的に、ここはたくさんの野生生物の生息に適した環境で隠れ家や繁殖地になっている。砂丘に咲くハマエンドウや大草原に咲くセイヨウカワラマツバ、セイヨウミヤコグサ、カラフトホソバハコベ、カラスノエンドウ、イトシャジンの美しい花々やマキバタヒバリなどの小鳥や雛の巣立ち、森に住むノロジカ。春や夏にはゴルフと同様に野生探索も楽しめるコース。
当社はご要望に沿ったオンリーワンの“旅”をご案内します
お見積もりのご依頼は海外旅行見積もり
まだ計画段階… そんなときは旅行相談
ご不明な点はメール又はお電話にてお問い合わせ下さいませ
|