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回路 |
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■監督・脚本/黒沢清 ■出演/麻生久美子 加藤晴彦 小雪 有坂来瞳 松尾政寿 哀川翔 風吹ジュン 武田真治 役所広司 菅田俊 水橋研二 塩野谷正幸 長谷川憲司 高野八誠 世界からどんどん人間がいなくなる、友達が、家族が。 目の前でそれまで普通だった友達が自殺する、消える。 この映画は、人間は孤独だという、生きていても、死んでいても。 このお話の中で、「回路」というのは、あっちの世界−魂のいる世界、 ま、ぶっちゃけ死後の世界とでもいうんでしょうか、その世界と こっちの現実の世界とをつなぐものを意味しているらしい。 他に、人と人とのつながり、のことも象徴してるのかな? 孤独な人たちが、「インターネット」といういわば不特定多数対不特定多数の つながりの中で、かろうじて、接続されている、みたいな。 それは、劇中では、インターネットでえんえんと映し出されるその人の部屋と それをブラウザで見ている人、という関係で表現される。 その部屋の中にカメラがあるわけではないのに、映像になってブラウザに映し出される。 その部屋を見ているのは、誰だと言うのだろう。 春江は、その「誰か」に向かって「一人じゃなかった」と言い、抱きしめるのだけど。 加藤晴彦演じるカワシマは、経済学部の大学生で、パソコンとかインターネットとかには 疎い、現実的な青年だ。 #今時、ネットに接続してブックマークのつけ方知らないやつなんて、いるのか? というのはおいといて。 カワシマは、ふとしたことで知り合った春江の「孤独」を理解できない。 彼女の「孤独」は、物理的にそばにいることでは癒されない。 そして、麻生久美子演じる「ミチ」。 彼女はなぜ、最後まで消えなかったんだろう。 赤いテープで封印された「開かずの部屋」に入ったというのに。 幽霊を直に見なかったから? 主役だから?、、、なんて言ってしまうと、実もフタもないんですが。 彼女は、友達を心配する。心配して部屋まで訪ねていったり、 傷ついた友達を部屋に連れてきて、ご飯を食べさせてあげて 「私はここにいるよ」とか言ったりする。 彼女は「孤独」じゃないからってことなのかな? 自分から、人に対して生身の一人の人間として、向かっていくことができるんだって。 カワシマ君もそうなのかな。 インターネットとか、そういうバーチャルなものじゃなくて、幽霊とか魂とか いるかどうかわかんないものじゃなくて、現実に「ここにいる」んだと。 映画全体としての印象は、ちょっと中途半端だったかなって感じだった。 ホラーならホラーとして、もっと徹底してもよかったんじゃないのかなって。 「孤独」とか表現しようとするあまり、どっちつかずになっちゃったような感じ。 なんか、武田真治が演じる「大学院の先輩」が、魂が増えすぎていっぱいになって なにかのきっかけであっちの世界とこっちの世界の「回路」が開いて、 あっちの世界にいられなくなった魂がこっちの世界にやってくる、っていうのを 説明するんだけど、あれは余計な気がするな。 「回路」っていう言葉をどこかで説明したかったのかもしれないけど、ちょっと 浮いてる感じがした。 なんだかわかんないけど、幽霊だかなんだかわからないものが出てくる、っていう方が 恐かったと思うけどな。 ま、おもしろかったんだけど。 あと、あっちの世界とこっちの世界の接続の象徴として、モデムがつながる時の ぴーっがーっっていう音が使われていて、あの音は確かにいろいろと想像力を 刺激するけれど、もう過去の遺物だよね。製作が2001年だから、もうモデムなんて すたれかけてたはずなんだけど、、、でも、あの音を使いたくなる気持ちはすごく よくわかる。 いわゆる「パソコン通信」がメジャーだったころは、あの音にはいろいろと感じるものが あったから。 あと、ミチの友だちのジュンコが消える場面。なんか粒子化して消えていって 龍騎かと思いましたよ。 あっちの世界にいられなくなった魂がこっちの世界に出てくるって、、、 ミラーワールドかい。 「幽霊たちも生きたいんだと思う」(C)神崎優衣なんちって。 麻生久美子。ちゃんと見たのは初めてだけど、いーじゃん、かわいいじゃん。 で、高野八誠くんは、名もなき学生役。 最初の方で、あれはパソコンを使う実習かなんかなんでしょうか、春江さんにいろいろ 教わってました。 「環境変数」がどうのこうのとか言ってましたが、その場面だけでした。 ぼーっとしてると、見逃しそうな感じ。 |
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