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第50話:新しい命 脚本/小林 靖子 監督/石田 秀範 |
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最終話で、いくつかの人間関係に決着がつけられる。 真司と蓮。神崎優衣と神埼士郎。北岡と浅倉。 北岡と浅倉。 「きちんと決着つけてやんなきゃいけないと思うのよ」と言って、死期の近づいている北岡は、 令子さんよりも浅倉を選ぶ。 ライダーの戦いなんてむなしいと一旦はやめることを決意しても、浅倉と戦うことが北岡の結論だった。 果たせなかったけれども。 神崎優衣と神埼士郎。 他人の命なんていらない、みんなが殺しあった結果、自分だけが 生き残ってもうれしくない。それが優衣の気持ち。 それが最後には神埼士郎に通じたのか? そして、真司と蓮。 お互い認めあいつつも、対立と和解を繰り返してきた。 真司に対しては、わかっていても素直になれない蓮。 それはお互いの信じるもの、願うものが違うから。 でも、最後に真司に対して「死ぬな、死んだら終わりだぞ」という。 真司の「願い」に対して「生きてその願いを叶えろ」という。 その願いが自分の求めることとは違っていることを知っていても。 真司はそんな蓮に 「おまえがそんなことを言ってくれるなんてな・・・」と。 この後に続く言葉は、放映はされなかったけど 「感動した」だったらしい。 劇場版のラストシーンでは、 「死ぬなよ、蓮」 「お前もな」 という会話だった。 最後の一人になるまで戦うと決めたのに、お互いに「死ぬな」というのは一見矛盾している。 でも、それは真司と蓮の、正直な気持ちなんだろうと思った。 一番最初に劇場版を見た時は、龍騎世界の背景も何もかも知らないで見たから、そこまで深くは考えなかった。 でも、今は、「死ぬな」という言葉の深さがわかる気がする。 初見では、エピローグの世界は、神崎兄がライダーの戦いをやらなかった世界だと思っていたんだけど、 今はちょっと違う風に考えている。 優衣が消える時に「もし、もう一度絵が描けたら、モンスターなんかがいる世界じゃなくて、 二人だけの世界じゃなくて、みんなが幸せに笑ってる絵を」と言った、その世界なのかなと。 結局ミラーワールドとは何だったのか、なぜそういう世界が生まれたのか、優衣と士郎が 描いた絵はどんな力を持っていたのか、ということは、物語の中でははっきりとは明かされなかった。 それはそれでいいんじゃないかと思う。 たださ、ライダーが存在せず、戦いのないみんなが笑っていられる 世界なのはいいんだけど、それが逆に喪失感を生み出してるんだよね。 最終回のエピローグの世界は、真司も蓮も手塚も悪徳弁護士もタイガも死なない世界なんだけど、 だけど、ライダーになってお互いにかかわりあっていた者たちが、二度と同じようにかかわりあうことは ない世界なんだよね。 将来あるかもしれないことを連想させてはいるけど。 ライダーの戦いは不幸な結末を迎えたけど、それにいたるまでには濃密な時間があった。 ライダーの戦いがない世界は、みんなが笑っている幸せな時間だけどあのケンカ腰のやりとりや、 反目しつつも理解し合えた時間なんかがない世界なわけで、、、みんないるのに。 だから、せつないのかな。 喪失感の正体は、真司や蓮が死んじゃった「かも」しれないことじゃなくて、あのいろんな 「思い出」がなくなったことに対するものなんだと思う。 「人は二度死ぬ。一度めは肉体の死、二度めは忘れ去られることの死」 っていうの、なんかで読んだの思い出した。 あの最終回で、Aパートでは「肉体の死」を、Bパートでは「忘れ去られることの死」を 体験させられたんだ、、だから、悲しくて、こんなに喪失感があるのかもしれない。 そして、最後の真司と蓮の一瞬のかかわり。 あの視線が絡み合った瞬間。 「あれ、こいつとどっかで会ったことあるぞ?」という表情。 二人の関係は、全くのゼロに戻ったわけではない、ほんのちょっとだけ、何かが残っている。 ちょっとだけ何かが残ってるから、逆に悲しい。 なんでなのかな。もう二度とあそこには戻れないんだってことを意識させられてしまうからだろうか。 「その後の世界」の登場人物たち。それぞれ同じなような、微妙に違うような。 右斜め45度の北岡秀一。ほめられてうれしそうな吾郎ちゃん。 ぶつかっといて、「だいじょうぶだよね?」とか言って去って行く東條悟。 「イライラさせるな」という浅倉威。ちょっと笑っている。 「俺の占いは当たる」というちょっと髪ののびている手塚海之。 そして、やたら態度のでかい秋山蓮。 彼らはまた、お互いかかわって行くのだろうか?かかわって、また別の物語を作っていくのだろうか? ここで、城戸真司という主人公について。 彼は、神崎士郎がライダーの戦いを繰り返すことをやめたことに何らかの影響を与えたのだろうか、ということ。 城戸真司は、何度も繰り返されてきたライダーの戦いの中で、異質の存在だったのだろうか、ということ。 私は影響を与えたと思っている。 13人出てくるライダーたちの中で、明確に複数の人間が同じライダーになることを示しているのは龍騎だけだから。 真司がライダーになることは、偶然だった。 だからこそ、ライダーの戦いの中で異分子となって、影響を与えたのではないかと。 それに、優衣の気持ちを神崎士郎に伝えたのは、真司なんだよね。 真司は、神崎に「優衣ちゃんが、どれだけ心配してるのか、わかってんのかよ」とか、 「優衣ちゃんはお前のために戦いを止めたいって言ったんだぞ。お前が幸せそうじゃないからって。」とか 「兄貴のくせに、優衣ちゃんの気持ちもわからないのか」とか。 その言葉に士郎がこころを動かされたような描写はなかったけどね。 ただ、真司という異分子も、繰り返された要素のうちの一つなのだという見方もあることも確か。 たとえば、SFの世界では、時間をさかのぼってなんども同じ事が繰り返される という話はけっこうあるけど、龍騎を見ていて思い出したのは、 何度も繰り返されていることに主人公が気づき、それから抜け出すために 異質な要素を加えるが、その異質な要素も実は何度も繰り返された ことだった、という話。作者もタイトルも忘れましたが。 結局のところ、真司が戦いを終わらせることに影響を与えたのかどうなのか、それはわからない。 作り手がどう考えていたか、演じる人がどう考えていたか、っていうのはあるかもしれないけど。 でも、もはやそれは一つの見方なのであって、正解ではないのだと思う。 作る人、演じる人、見る人が100人いれば100通りの解釈があっていいのだと思う。 それが「龍騎」っていう物語なんじゃないかと思ったりもする。 終わった後で語りたくなる物語。 そういう物語。 「この戦いに正義はない−そこにあるのは純粋な願いだけである。」 |
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