Free Pad

ロマンティック交響曲

 19世紀の作曲家ブルックナーの交響曲第4番は「ロマンティック」というサブタイトルで知られる曲で、僕なんかはメンドクサイからいつも「ロマンティック交響曲」で済ましている。

 この「ロマンティック」という言葉は、夜景を眺めながらロマンティックなひととき等と日本語で言う場合のそれとは大分意味合いが違うそうで、古代ローマ時代の芸術を念頭に置いた自然と人間の美しき理想的調和即ちロマンティック(ローマ的)という事らしい。
 もしそうだとすれば、この交響曲は何より音響上の調和、美しさを追及して作曲家が取り組んだ、と僕は考えたくなるのだが、余りに短絡的だろうか。

 どうにもブルックナーという人は音楽の外側の事で話題の人で、またブルックナーを聴く人も音響以上の何かを重要視する傾向が強くて、特にブルックナー好きを満足させるのは演奏だけでは相当に困難である様だ。それだけに、何故その外側ばかりを皆が追うのか、僕には多少理解に苦しむところが無くもないのである。

 以前にも書いたが、たまたま出掛けた大阪でこの曲を新進の指揮者で聴く機会があって、それは普通大編成の管弦楽団で演奏されるブルックナーを室内オーケストラで弾いてみよう、というものだった。僕は非常に高度で適切な演奏だと思ったのだが、終演後しつこくしつこくブーイングをしていた人がいた。
 インターネット等でブルックナー党と呼ばれる人々の頑迷さは良く知っている積もりで、室内編成のブルックナーが連中の逆鱗に触れそうなのはある程度危惧していた事ではあったが、あれ程の演奏でも不満に思う程要求水準が高いのかと思ってしまった。

 きっとそういう人々は、遠く欧州からやってきた楽団がブルックナーを演奏せねば、それを目玉の飛び出るような値段で聴かねば気が済まないのではないか。
 更に進むと、ブルックナーはどこそこの何世紀に建てられた教会で聴かねば本質など掴めないと、そんな事まで言い出しかねない。

 それだけに人によっては「ロマンティック交響曲」そのものをブルックナーの中では駄作とする向きもあるらしい。中身の無い美しいだけの曲という訳である。
 しかし、ローマ的という標題をわざわざ付けた位だから、作曲家の中で美しい響きというテーマは、特別この曲に込められていると推測したい。ブルックナー自身は「ロマンティック」の意味合いをアルプスとそこに生きる人々の素朴な生活を引き合いに出して説明したそうだが、それは理想的という意味でローマに繋がっているのだと思う。詰まり、ブルックナーにとって美しいという事が最も重要なのではなかったか。

 そしてブルックナーが最も美しいと感じたのが故郷のアルプスであり、従って曲全体がアルプスそのものの風景描写になっている、と僕は思うのである。曲の始めを夜明け、最終楽章を日没、という様に一曲を一日に見立てて、そこに風の唸りを、雲の巡りを、星の瞬きを聴く事は、決して趣味の悪い事ではないのではないか。ブルックナーがそうした全てに何かを感じている様に聴こえないだろうか。

 ブルックナーがカトリック教会に関わりが深かったせいで、その作品が必要以上にキリスト教と結び付けられている気がする。曲を聴く限り、もっと原始的な土俗的な、妖精や妖怪はじめ魑魅魍魎が跋扈する、そういう世界観をブルックナーは強く持っていた様な気がしてならない。
 ブルックナーはロマネスクな作曲家、等と言うと、よく解りもしないくせにと言われる事は必至で確かにその通りなのだが、そう僕に思わせる契機になったのが「ロマンティック交響曲」だったというところ、なんだか出来過ぎな様で愉快に思う次第だ。

(Tsusei, 15 September 2005)

*


裏白