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鶴見線再訪

 工業地帯を三両編成の黄色い電車が走るというイメージを散々に膨らませてインターネットで調べてみたら、鶴見線の103系はあらかた引退してしまっていた。或るホームページによれば、2005年9月現在鶴見線に残っている黄色い103系は予備の一編成だけだった。

 何も走るかどうか分からない予備の編成を撮りに出掛けるのも苦痛に思えた。
 黄色い103系の代わりに鶴見線にやってきたのは銀色の205系で、それは僕の鶴見線の風景ではなかった。また一方で黄色い電車というのは、最早今の風景でない事も確かであった。

 だから、始めから終わっていた様な状態で僕は花月園前の駅を降りたのだ。そこから鶴見線の線路に沿って歩いていって、写真に撮れそうな場所を探す。もし黄色い電車が走ってきたら、それを撮る。一応そう決めてはいたが。

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 国道駅で電車がやってきたが、銀色の電車だった。鶴見小野駅まで歩いたが、殆ど線路沿いではなく、ちっとも写真の撮れそうな場所は無かった。大体道路が線路沿いに無いのだ。
 工業地帯の雰囲気を鼻腔でも感じる様になって、向こうに電車が何本か止まっているのが見えた。そこに、黄色い電車の姿も垣間見えた。もう少し近付いて建物の間から透かして見てみると、車庫に一両の半分くらい車体を突っ込んで、操車場の一番奥に押し込められていた。

 とても出番がありそうにも思えない。インターネットで調べた限り、走るとしたら朝夕のラッシュ時が一番可能性が高い。といっても、走るかどうか分からない電車を夕方まで待つのは辛い。大分歩いてくたびれてしまった。

 更に歩いて浅野駅へ着くと、カメラを持った人が二、三人居て、丁度鶴見方面から走ってきた電車を撮っていた。直ぐに今度は扇町方面から電車がやってきて、その人達は移動し始めた。僕はもう少し歩いて、何としても武蔵白石駅には行きたかった。

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 武蔵白石に、前回来たのは1987年の4月である。国鉄が分割民営化された直後の事で、多分旧型国電を撮ろうと思ってなんかのついでに寄ったのだと思う。浜川崎から鶴見線に乗り換えて、武蔵白石で降りた少し後に、入れ替わる様に茶色の電車がやってきた。民営化記念のヘッドマークを掲げて記憶が定かではないが、鶴見方面から来たのだと思う。一旦本線の上りホームに停車してから、スイッチバックして大川支線のホームへ入ってきたのだ。
 僕が持っていた切符は東京から横浜までの片道だったから、その電車に乗ったら料金を取られなければならない。お金が無いからそれは困るのだが、結局僕は大川までお金を払わずに往復してしまった。
 その電車の中で、国鉄全線完乗を目指して旅行中だった中年の女性二人組みと仲良くなった。そのまま大川発の電車に乗っていれば鶴見に行けたのに、扇町方面へ乗り換える彼女たちに付き合って武蔵白石で僕も降りた。扇町方面の電車で二人が去ってから、独りホームで鶴見行きを待った。

 その時の茫漠とした駅と周囲の雰囲気が強烈に記憶にあったのに、目の前の武蔵白石駅の辺りは狭苦しくて、当時感じた様な広々した風景はどこにも見当たらなかった。改札口の辺りからホームの方を覗くと中年の女性がベンチに座って電車を待っていた。振り向いたらスーツの男性が定期を「スイカ」の端末にかざして改札を入ってきた。
 入れ替わる様にして駅を離れ、更に浜川崎方面へ歩き始めた。直ぐそこの踏み切りの警報機が鳴り出し遮断機が閉じた。電車がやってきたが、やっぱり銀色の電車だった。

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 武蔵白石から今度は線路沿いに道が付いていたが、雑草が生い茂ってしまってすっかり視界を遮っていた。大型ダンプがばんばん通って、右側は工場の柵から緑地帯が道路を侵食し、やがて線路方向から高架が立ち上がって向こうに続いていた。

 高架を二度くぐって浜川崎駅にやっと辿り着いた時、花月園前で京急を降りてから3時間くらい経っていた。ホームに人がいるな、と思ったら鶴見行きの電車が滑り込んできて、てきぱき用事を済ましてさっさと出て行ってしまった。
 こうなったら八丁畷まで歩こうか、と思いつつ未練たらしく尻手方面のホームを覗き込むと、電車が発車ベルも無いままするすると走り出して行くところだった。
 仕方ないのでジュースを一本空けて、それから八丁畷へ向けてまた歩き出した。

(Tsusei, 23 September 2005)

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