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生誕100年記念
ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤンといえば指揮者、指揮者といえばカラヤンという時代があった。その名前はクラシック音楽に興味の無い人にまで届いていた。クラシック音楽に興味のある人でも、カラヤンがクラシック音楽の全てだった人もいただろう。カラヤンは間違い無くクラシック音楽界最大のスターだった。
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昔僕のレコード棚にはカラヤン指揮のモーツァルトやベートーベン、「惑星」「新世界」のディスクがあって、これらの内特にモーツァルトは随分聴いた。ホルン協奏曲が四曲入っているもので、当時はまだモーツァルトのホルン協奏曲は四曲だった(現在は三曲)。
カラヤン最後の来日となってしまった1986年のサントリーホールのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会、母は果敢にもチケットの電話予約に参戦したが全く繋がらなかった。数十分も経った頃とうとうオペレーターに繋がった時にはとっくに完売していたらしい。僕自身は余り関心が無かったが、新聞の下段を使って来日公演の大きな広告が出ていたのを微かに憶えている。
その時切符が取れてサントリーホールでカラヤンの実演に触れていたら、僕のCDコレクションも大分違うものだっただろうか。今僕は滅多にカラヤンを聴かないし、そもそも何枚も持っていないと思う。手許には約300枚のCDがあるが、カラヤンは恐らくブラームスが3枚、シューベルトが1枚、ブルックナーが1枚、ドボルザークが1枚の計5枚ではないか。それは結局カラヤンの音楽を余り聴かないからという事情がある。資料でCDを増やせる程僕には余裕が無いのである。
カラヤンは私生活でも話題になった人で、それが理由でカラヤンを毛嫌いする人もいるくらいだ。しかし僕がそういう―例えば自家用ジェットを所有して自ら操縦するのが大好きだったとかいう話を知ったのは比較的最近のことで、そしてそういったカラヤンのプライベートなエピソードは、僕にとって寧ろ多くカラヤンに好印象となっている。
但し音楽は別だ。
カラヤンに好印象でもCDで聴くカラヤンの音楽は趣味が合わない。大雑把に言うとカラヤンのCDは野菜ジュースである。オーケストラの各楽器が溶け合って渾然一体となって、別の新たな音響へ昇華している。僕はどちらかと言えば野菜はサラダが好きだから、このカラヤンのやり方はどうも頂けない。良い人そうなだけに残念な限りである。
逆に付き合いに困りそうな人でも音楽は素晴らしいという場合もある。そういう人は嫌だ嫌だと言いながら結局演奏会に行ったりCDを聴いたりしている。人の良さとその人の音楽は別物なのだ。
カラヤンの音楽にはそれに合った作品があるかも知れず、そういう意味ではまだカラヤンの音楽を諦めてしまうのには早い。それに近年演奏会での記録音源がCDとして次々出されていて、そこにこれまでの録音とは違った魅力を発見する可能性もある。カラヤン最後の来日公演もCDになったから、その辺りからもう一度カラヤンを聴き直してみても良いと思っている。
(Tsusei, 20 August 2008)
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裏白
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