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凶暴なモーツァルト

 モーツァルト生誕250年も暮れかかっている。折角だから沢山モーツァルトを聴こうと思って、その目標というかアイデアは不発の儘だが、聴くより弾く方ではすっかり全面モーツァルトである。

 それは「のだめカンタービレ」ドラマ化のニュースが全てだった。
 出演する俳優さん達が未経験の楽器を猛特訓をして弾ける様になってきた、という話を聞いて、幾らか経験のある僕ならもっと楽だろう、と思ったのである。

 そこで十数年振りにピアノの蓋を開けて鍵盤上に舞い戻った。選んだのはモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番、「モーツァルトのトルコ行進曲」が終楽章に控えるこの分野で最も有名な曲だ。理由はこの曲なら知っているから。そして偶然楽譜が手許にあったからである。
 この曲は有名な割に比較的平易な部類であるらしい。ピアノのお稽古をしていると多くの人が一度は弾く様な定番の曲だそうだ。僕は不真面目なピアノの生徒だったから、そういう定番の曲は遂に弾かず仕舞い、専らライト・ミュージックの系統の曲ばかり適当に仕上げてお茶を濁していた。
 従って比較的平易とは言っても、それは普通に取り組んでいた人達の話であって、中断前でも技術的にどうだろうという位だ。今考えてみると僕はソナタを弾くのは今回が初めてであり、要するに復帰第一弾には相当無謀な選択だった。

 幸い曲は多少聴き覚えているから読譜の苦労は余り無かった、というより殆ど読まずに済ました一方で指の苦労は絶えなかった。思ったよりは動いてくれたが思う様には動かなかった。
 僕はそれは中断前に弾いていても同じ事だったと思う。難し過ぎるから別の曲にした方が良いんじゃないかと随分思ったものだ。それが再開後10週目まできてみると、3つの楽章全てが何とか形になり始めたのである。自分で弾いたものが多少なりとも楽曲の形をして聴こえてくるとは、再開直後には到底考え難かった。

 それにしても軽快で明朗な筈のモーツァルトも僕が弾くと凶暴になる。重々しく地団太を踏み牙を剥き、のた打ち回り吼えている。余り綺麗なものでない。
 今のところそれは技術的な問題だが、何れ指が回る様になっても軽快な明るいモーツァルトになる気配は余り無い。そういうのはいわゆる芸風ではないかと思わないでもない。

(Tsusei, 27 November 2006)

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裏白