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ワーグナー交響曲

 ブルックナーの交響曲第3番、通称「ワーグナー」は、長いこと僕の鬼門だった。この曲のCDは随分前から手許にあったのだが、何遍聴いても要領を得ず、毎度聴き通すのにそれはそれは難儀してきたのである。

 何年か前に僕はこの曲を演奏会で聴く事になって、改めて真剣に「ワーグナー交響曲」を聴いてみる事にした。が、その時も矢張り、CDで聴く限り上手くはいかなかったのである。僕は実演で聴いたら多少は分かるかもしれない、と思って、演奏会に期待をしていた。

 ところがその期待の演奏会がキャンセルになってしまった。
 それ以来「ワーグナー交響曲」を積極的に聴いてみようという気は実演でもCDでも中々起こらなくて、相変わらずこの曲は鬼門であり続けたのである。

 比較的最近随分としつこく「ロマンティック交響曲」を聴いていた時期があった。その最終盤辺り、ふと番号が一つ前の交響曲である「ワーグナー交響曲」でも聴いてみようと思って、久し振りに手許のCDを掛けてみたのである。勿論、「ロマンティック交響曲」の理解を助ける何かが聴かれるかもしれない、という期待はあったのである。
 ところが、あろうことか「ロマンティック交響曲」を上書きして、全く何の差支えもなく身体に音楽が滲み込んでいくではないか。大体何て綺麗な曲だ、どこまで綺麗な曲だ。

 それで「ロマンティック交響曲」は切り上げて、今度は「ワーグナー交響曲」ばかり聴いているのである。

 僕が思ったのは、この曲に較べれば「ロマンティック交響曲」というのはブルックナーらしさが薄いかもしれない、という事だ。同じ作曲家の第5番とか第8番とか、如何にもブルックナーという交響曲に似た雰囲気が、「ワーグナー交響曲」では非常に強く感じられる気がするのである。
 或いは「ロマンティック交響曲」で薄めのブルックナーを大量摂取したお陰で、「ワーグナー交響曲」への移行が容易だったのか。他に何か別の音楽を経由して「ワーグナー交響曲」に改めて取り掛かっていたら、もしかしたらまた弾き返されていたかもしれない。

 それはとも角、「ワーグナー交響曲」が胸襟を開いて聴く方のレパートリーとして加わってくれたのは、つくづく有難い事だった。

(Tsusei, 27 September 2005)

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裏白