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井上喜惟

 まだ毎日新聞のクラシック音楽情報の別冊「モストリー・クラシック」がタブロイド版で無料だった頃、未来の有望演奏家を特集した記事があった。そこに載っていた井上喜惟の名前に反応したのは、その少し前にこの指揮者の名前を見掛けていたからだ。ピアニストの舘野泉さんが吹き込んだブラームスのピアノ協奏曲のCDが新譜として出て、そこに共演者としてクレジットされていたのだ。

 井上を推していたのは評論家だった。相当な力の入れようで、その音楽がオットー・クレンペラーに通じるものがある、という様な事が熱く書かれていた。
 曰く彼は音楽に妥協はしない。だから忙しくて充分時間の取れない日本のオーケストラとは仕事はしたがらない。アルメニアで自分のオーケストラとじっくり音楽を作っている。真摯な音楽は胸を打つ。
 僕は、へええ、と驚き、井上の名前を憶えた。そして暫く後にブラームスを買ってしまった。

 ライナーノーツで舘野さんもこの若い指揮者を随分褒めていた。余白には同じブラームスの「大学祝典序曲」という純粋に管弦楽の為の作品が入っていて、これは舘野さんが井上のプロモーション用に「スペース」を与えたのかもしれなかった。
 それで実際聴いてみたのだが、僕には今一つぴんと来なかった。クレンペラーが引き合いに出されていたが、ゆっくりしたテンポと両翼配置がそれを髣髴とさせるのかどうなのか、よく分からなかった。全体的に穏やかで、メリハリの利いた方が好きな僕の趣味ではなかったのかもしれない。
 或いは小編成のオーケストラであった事も、多少は勘定に入れなければならなかったのかもしれないが、何れにせよ評論家氏が熱弁する程のものは感じなかった。

 それがもう何年も前の話だ。先日井上指揮ジャパン・シンフォニア演奏のベートーベン「第三交響曲」というCDが新譜としてカタログに載っていて、何だか懐かしい気がした。ブラームスのCDも長いこと聴いていないが、また何かの折に聴いてみれば、少し違った感興があるかもしれない。

(Tsusei, 28 July 2005)

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