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アジアン・カンフー・ジェネレーション

 現在僕が聴く音楽の7割はクラシックだと思うが、残りの3割の内2割近くは、恐らくアジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)が占めているだろう。それ位アジカンの曲は僕には非常にしっくりきて、心地良いことを先ず申し上げておきたいと思う。

 アジカンを知ったのは「崩壊アンプリファー」の広告を見たのが最初だろう。その後「君という花」でがっちり喰い付いてしまったらしいのである。CS系音楽専門テレビで聴いたこの曲が、とうとう最終的にはアジカンのアルバムを買ってしまう原動力となるのである。

 そのアルバム「君繋ファイブエム」を手に入れたのは発売から随分経った頃だった。帰宅して何はともあれプレーヤーにディスクを放り込んで聴き始めて直ぐ、ものの数秒で僕は言葉を失ってしまった。
 掻き乱される様な圧倒的なエネルギーと音色、まさにそれに尽きた。こういう音楽をきちんと落ち着いて聴いたのは殆ど初めてだった。聴き終わったら魂を抜かれた様に呆然としてしまった。

 何しろ94年の秋以降殆どクラシックしか聴いていなかったから、手続きも何も無しに叩き付けられる音楽に衝撃を受けたのは無理からぬ事だったと思う。

 僕は後に、アジカンのメンバーが京浜急行沿線在住だったのを知って、或いはその音楽的疾走感は、京急の影響を受けたものではなかったか、と思って途端に疑問の氷解する様に錯覚した。
 余命残り少なくなった祖父に会わせる為に、既に立派な鉄道マニアだった小さい僕を連れた両親は毎週末の様に京急に乗った。以来、それこそ数え切れない程京急には乗ったのである。京急のリズムは最早僕自身の固有振動数みたいなものなのである。
 そこで、もしアジカンの音楽があの赤い電車の走りとシンクロしているとしたら、それが僕と共振しても何の不思議でもない、と思うのである。

 実はアジカンの音楽を「京急サウンド」とか「京急ロック」とか密かに呼んで独りほくそ笑んでいたのだが、二枚目のアルバムを聴いた後益々その感を強くし、余計に悦に入っているところなのである。

(Tsusei, 31 August 2005)

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裏白