2000年前半のひとりごと


6月2日 夫婦別姓
なんだかかたいタイトルになっちゃった・・・。母親の知り合いの娘さんがこないだ結婚したそうなんだけど、夫婦別姓を名乗っていると聞いた。ばりばり仕事をしてる人みたいだし、「いまどきだなぁ」なんて思った。最近よく耳にしませんか、「夫婦別姓」。実際に身近でそうしてる人の話を聞いたのははじめてだったけど。
ニュースの特集とかでも取り上げてあるのを見たことがあります。女性が自分の仕事を理由に、結婚しても姓を変えない人が多いみたいね。仕事をばりっとこなして、自分の名前を売っている人なんかは、確かに、名前を変えたくないと思うのだろう。それは分かる。でも他の理由として、「今まで使ってきた名前で、それが私だから」というのを聞いた時、私はあまりピンとこなかったんだよねぇ。 まあ、人それぞれ、どこに自分らしさを感じるかは違うんだろうけど・・・・。「姓」が変わると、アイデンティティが揺らいでしまうのかなぁ・・・? そんなに自分の「姓」を意識して生きてんのかな。
私は「自分の姓を捨てたくない!」という思いがないわけではないけど、それよりも私は、結婚したら、その好きな相手と同じ姓を名乗るということに、すごーぉく憧れてるのですよ!! 幼いころ、好きな男の子の姓と、自分の名前をくっつけてみたりしませんでした!? 私はしてました。何かそれが「男と女が結ばれる」というイメージだったのよね。 私のまわりの友達はそうだったはず。何とかごっこをする時に、自分に仮の名前をつけるとなったら、必ず好きな男の子の姓だったもん。なーんて単純。かわいかった。
結婚したら姓が変わる、というところに、結婚への決断というか、意気込みっていうか、覚悟みたいなのがあると、私は思うのです。そして「同じ姓になった」ってとこに幸せを感じたい私は!! これって男性には、絶対無い幸せの感じ方なんだな。男性は、女性には無い幸せの感じ方ってあるのか? 好きな女の子に自分の姓をつけてみる?
今年になって、友達の「姓が変わる」ラッシュ。26歳ともなると、当然ね。出産した友達もいるし。いいなぁー、うらやましー。 わたしには、まだまだ「憧れ」の段階。
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4月25日 はつ恋
私のはつ恋の話ではなく、田中麗奈主演の映画の話。田中麗奈演じる「さとか」が母親(原田美枝子)の大事にしていたオルゴールの中から手紙を見つけるのです。それは母親の書いた出さずじまいの手紙。宛先は、初恋の相手(真田広之)。「あなたともう一度会いたい」という手紙。さとかは2人をあわせようと、その初恋相手の居場所を探し、 母親と会うように説得し、母親をがっかりさせないようにと真田広之をかっこよく見せようと努力する。トレーニングさせてみたり、スーツを着せてみたり。「なんでお前はいまさら会わせようとするんだ?」といわれて、例の手紙を渡すのですよ。そして真田はその手紙を読んでこう言う。「この手紙をもらいたかった。・・・・でもなんでこの手紙を出さなかったのか考えたことがあるか?(とさとかに向かっていう)」
そして、別の場面で母親の方は、「あの手紙を出さなかったことに後悔はしていない。」「あれは私にとってはつ恋だった。憧れ、ではなく本当に好きで、肝心の一歩がふみ出せなかった」 原田美枝子も、真田広之も淡々とそうしゃべるのだけど、私には、その2人が、とてもとても切ない思いを抱えているように感じられて涙がぽろぽろ、ぽろぽろ止まらなくて。映画の半分くらいから、その2人が出てきてしゃべるたんびに私泣いてた。
泣きながらこう思ったんですよ「私なんでこんな場面で泣いてんだろうなー」って。まわりで一緒に映画を見てた人たちはあんまり泣いてる様子なかったのですよ。なんか泣いている自分がちょっと恥ずかしかったのよね。たぶん、この映画を見たのが今じゃなくて何年か前だったとしたら、きっとこんな、胸がちょっとキューンとするような感情(この表現も古いか?)も持たなかったと思うし、泣いてもないと思う。「ふーん、そんなこともあるんだな」ってぐらいしか思わなかったと思う。 感情というものは自分が経験していないと、理解できないものじゃないですか。映画のその2人の切ない思いを、自分のかつて感じた、切なかった、つらかった思いとダブらせて理解をしていた。私にそんな経験がなければ、当然理解できないわけで、「ふーん」ぐらいの感じ方にしかならないでしょう。そう考えると、「おお、私も曲がりなりにもいろいろあったんだ」なんて思ったりして。うん、あったのよねぇ、いろいろ。(・・・回想中・・・)
私の感じたことのない「感情」がまだあるんだろうな、とおもいます。「相手の立場になって気持ちを考える」なんて事を言うけど、それってすごく高度な技だよね。わかんない人にはわかんないのよ。
なんかたらたらと書いてしまったけど、伝わったかなぁ。「自分の気持ちを伝える」のも難しいことですねぇ。
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4月11日 春のドライブ&遅い花見
4月に入ってやっとゆっくり休みが取れたし、暖かくなって気持ちいいのでドライブしました。阿蘇へ。天気もよくて、窓をいっぱい開けて走りました。 ずっと「花見がしたい!!」とおもいながら4月これまで仕事をしてきてたから、ついでみはなみもしよう!! と車を走らせたのだ。
福岡から高速を南下して、菊水ICで降りて、菊池渓谷へ向かう。さらにすすんで、大観峰に。そこから阿蘇山上へ。火口からはもくもくと白い煙が出てました。そっから南に降りて、名水で有名な白川水源に立ちよる。 時間があったので、阿蘇を後にして、熊本城を見に行きました。ざっとこんな感じ。
阿蘇の方は、桜はすこーし葉っぱが出てきていたけど、まだまだ見頃。山道の所々に咲いている桜はまだ散ってはなく綺麗でした。で、今回のお目当ては、「一心行の桜」。 有名なすごく大きな桜の木が阿蘇の白水村にあります。 桜のある所は、田んぼのど真ん中。たったその桜一本だけなのです。昔誰だったか有名な人が植えたらしい。(看板あったけど読まなかったので・・・・)
今回デジカメを持ってったので、載せてみよう!! というわけでこちら。

どうですか。バックは阿蘇の山並み。ん〜でもやっぱり迫力は薄れるなあ。
ドライブの走行距離370km。よくはしりました。
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3月16日 いろえんぴつ
ほしい。いろえんぴつ。36色ぐらいのやつ。こないだ本屋で見つけた本「いろえんぴつな気分」のせいだ。色鉛筆で、ぬいぐるみとか、コーヒーカップとか、ガラスのボトルとか、その辺にあるものの書き方が書いてある本。
絵を描くはあんまり好きじゃなかったし興味がなかった。小学校の時の美術の授業で絵を描かなきゃいけないのはやだったのよね。でも見るのは好きで、時々美術館とか、作品展とかのぞいてて、「わたしにも描けたらいいのになー」という思いはあった。初めて独りで行った海外旅行の時、スケッチブックと、12色の小さな色鉛筆を持っていって、ちょこっと描いてみたりした。よくあるじゃない、旅行先で見たものとか食べたものとか買ったものとか描いてるやつが。やってみたかったんだそんなこと。 でもそうかんたんに思いどうりに描けないんだよね。
そんなときちょうど、「絵を描きたいあなたへ」という本を偶然見つけた。著者は永沢まことさんなんだけど、彼の絵はよく目にしていた。「野菜」をいろ鮮やかに書く人。(他にもいろいろあるけどわたしにはその印象が強い) その本を読んだら、なんだかわたしにも描けるかも、なんて思って(単純だ)、スケッチブックなんか買ったりして。そしてその本を読みながら、身の回りのものをかてみた。ペンとかはさみとか時計とか。まあまあさまになってうれしかったねー。 でもなかなかゆっくり時間を取って練習する訳でもなくいまは時々落書きする程度。
で、「いろえんぴつな気分」を眺めてて、また書きたい気持ちがうずうず。手持ちの12色の色鉛筆で描いてみた。まずはその本のマネして。なかなかいい感じに書けた。いろんなものが描いてみたくなった。そしたらさ、やっぱり色鉛筆も36色ぐらいのが欲しくなるわけよ! 同じ「赤」でも微妙に違うのが入ってるやつ。とりあえず全色試しにかいてみたくなるようなやつ。なんか小学生みたーい、とか思いながら、早く文房具屋に行きたくてたまらないのでした。
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3月6日 日本語教育特殊講義
今日は懐かしいことを思い出したので、こんなタイトル。これはわたしが大学時代にとっていたゼミ。休み明けで出勤したら、どこから探してきたのやらこんなホームページをプリントアウトしたやつが張り出されててびっくり。
その授業とは、「外国人に対する日本語教育」がテーマでした。いろいろと講義もあったんだけど、すごく思い出に残ってるのは、後期の半年、「中国帰国者定着促進センター」というところに行った実習のことです。その名の通り、帰国してきた中国残留孤児のかた、その家族のかたが一時的に生活し、日本語や、日本の文化を学ぶ施設なのです。そのプログラムの中に、「一般の日本人と、交流を持つ」という目的で実習があるんです。
基本的に教室内での交流なんだけど、回数を重ねた後に待ち合わせをしてレクレーションに出かけたりなんて事もありました。彼らは、会うたびに驚くほど日本語が上達してました。そりゃあたり前かもしれない、今後の生活がかかっているんだもんね・・・。
参加していてちょっと戸惑ったのは、彼らへの接し方。残留孤児、その2世というのが気になっていたこともある。彼らの日本語は、人によって差はあれ、小学生レベルなんですよ。でも実際は、わたしと同年代以上、50代あたりまでの「大人」なんですね。当たり前だけど、きちんと将来のこととか、仕事のこととかを考える大人。なんだけど、「日本語がしゃべれない」というだけで、彼らが、小学生ぐらいの知識しか持ち合わせていないような錯覚におちいるの。 そのセンターの先生に「彼らもあなたたちと同じように考えているんですよ」という一言に、なんかすごく当たり前のことを気づかされた。そしてわたしは、小さい子供と接しているような感覚があったことを恥ずかしいと感じたし、申し訳ないと思った。わたしも語学をやっていて、伝えたいことがあるのに表現できなくてもどかしかったり、いらだったりした経験があったのに、そんなことも気づかなかったんだな・・・・。
彼らがセンターを出たあと、何人かのかたから手紙をもらいました。みんな、夢を持ち、前向きに新しい土地での生活をスタートさせていました。うまくいってればいいなと、願っています。
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