東京の北区滝野川の産院に生まれ、その後、多摩市に 移り住むも、二歳の誕生日を前に亡父の実家・栃木県 烏山に転居。祖父母と同居。やがて宇都宮市に移り、 以後、高校卒業までの十数年余を栃木で過ごす。少女 時代は一途にテレビを愛し、週に4本のドラマと5本 のアニメに熱中。小学校入学後は、図書館の常連とな る。中学入学直後、司馬遼太郎氏の歴史小説と出会 い、以後その世界に耽溺する。また、当時の級友の影 響で、自らも小説らしきものを書きはじめ、勉学から はすっかり遠ざかる。だが、このころの夢は、ジャー ナリストになって社会悪を追放することで、何故かと いうと、当時やってた新聞記者のテレビドラマがかっ こよかったからである。2年に進級する際クラス替え があり、新しい担任とはまったくそりがあわなかっ た。親と教師に対するポーズから、カミユ、サルトル などを読み、人生や真理について考察したりもしたも のの、成績下降は如何ともするなく、当然学校が嫌い になり、しばしば授業をフケる。当然、高校受験に失 敗。 |
|
くなったせいか、高校に入ってからは急に生き ることが楽になり、好きなことに一層惑溺す る。友人数人とアニメ同好会を設立し、コスプ レに燃える。クラス広報の出版に情熱を傾ける 一方、ウケを狙って書きとばした連続大河ホモ 小説も、隣近所のクラスまで巻き込んで大好評 を博する。また、この当時、将来の夢は、母校 の社会科教師になることで、大学も、はじめか ら私立の文系のみを受験。だが、自分の偏差値 では、志望校の史学科を受験するのは難しいこ とを知り、あっさり中国文学科に乗り換える。 必然的に、将来の夢も、母校の漢文教師に変 わった。あくまで母校にこだわったのは、当時 憧れていた国語の先生がいたためである。 |
|
寮に住むが、素行不良のため、一年で退寮。そ の後、調布市内のアパートに居住。文章以外の 表現方法を模索すべく、映画製作のサークル(8 ミリ研究会)に加入。自主製作映画に出演した り、映画館でバイトをしたり、酒を飲んだりな どの活動が忙しく、授業には殆ど出席しなくな る。バイトのとき以外は、昼間から名画座で三 本立て映画を見、夜になったら酒を飲むという 暮しが続く。飲食店店員、警備員、駅前の ティッシュ配りは勿論、現像所のフィルム編集 助手から教育的出版物の校正まで。ありとあら ゆるバイトに精を出す。自堕落な暮らしもすっ かり堂に入った上京四年目の早春、留年のこと が、とうとう親バレし、実家に連れ戻される。 父親の激怒を怖れて一時は友人宅に逃避する も、ほどなく発見され、身柄を拘束される。大 学は中退。父親のコネで、健康サウナのカラオ ケ係としてに就職するも、僅か半月で退職。そ の後写真の現像のバイトなどしているとき、と うとう病に倒れ、入院。一年ほどで退院、自宅 療養に入ってからは、小遣い稼ぎの目的で数打 ちゃあたる式の投稿生活をはじめる。 |
|
ない。はじめて、小説G代の新人賞で一次選考に残った のが、文章のみに的を絞って書きはじめてから三年目の 秋だった。このころまでは、自分の本来書くべきジャン ルが定まらず、幼稚な純文学もどきから、恋愛物、 SF、ファンタジーと、あらゆるジャンルに挑戦する が、頭が悪くてトリックが思いつかないため、ミステ リーだけはどうしても書けなかった。さて、数年間で、 実に70 数本の投稿を繰り返してみて、漸く自分の進む べき道を知る。たまたまはじめて一次選考にひっかかっ た作品が中国を舞台にした時代小説だったのだ。しか し、ものはためしで、これまで考えた作品のプロット を、すべて歴史の中の中国を舞台に立て直してみると、 実にすっきり、よくはまることに気がついた。かくて、 「涼州賦」にて、1991年小説すばる新人賞受賞。万歳 三唱。 |
よりわかり易く構成し直しましたことをここにお断りしておきます。 |
|
| 次へ |
| ◆戻る |