交遊閑語

今村昌平監督のこと




 このところ、多少でも面識のあった人の訃報が多い。今村昌平監督もその一人である。今村監督に会ったのは、彼が松竹で撮り、世評では失敗作とされる「ええじゃないか」(1981)のときだった。今村プロダクション事務所に近い代々木の喫茶店だった。当時、「今村神話」とでもいうようなものが周辺ではいろいろと語られていたが、会ってみると、穏やかな冷静さで自らの映画観を語ってくれた。その後、浦山桐郎監督と対談してもらったこともあった。

 それまで今村監督に会ったことはなかったが、作品は学生時代からいくつか見て惹かれるものがあった。炭鉱夫の父親を失った子供たちが苛酷な運命をたくましく生きようとする「にあんちゃん」(1959)、米軍基地の町横須賀のやくざたちの欲望をむき出しにした生を描いた喜劇「豚と軍艦」(1961)、体ひとつを元手に生きる下積みの女を描いた「にっぽん昆虫記」(1963)などだ。この作品では、メーデー事件で流血の事態になった皇居前を、事件には目もくれず都電に乗って過ぎる主人公(左幸子)の姿が、今も私の脳裏に焼きついている。

 そのほか「赤い殺意」(1964)、「人間蒸発」(1967)、佐木隆三の直木賞受賞作「復習するは我にあり」(1979)など、むしろ今村監督が世界的に有名になる以前の作品の印象が強いのだが、どうしたわけか、沖縄好きの私であるのに、沖縄の土俗を描いた「神々の深き欲望」(1968)だけはいまだに見ていない。人間の欲望をむき出しにして描く今村監督の世界だが、そのいくつく果てに登場人物たちが求めているのは、意外なほどささやかな幸福で、彼らはそれさえ手に入れることはできないのである。そういう今村監督の人間観、社会観が私の何かに触れたのだろうと思っている。

 「ええじゃないか」では、私の大学の後輩で、当時、松竹の宣伝部にいたA君が、今村監督の撮影現場に入り浸ってしまった。宣伝部員だからマスコミに取材してもらうよう段取りを付けるのが仕事なのだが、それをそっちのけにしてしまったのである。それで上司からこっぴどく叱られたらしい。「どうしたらよいだろう」と私に相談してきた。私は「そんなに今村監督に入れ込んでいるなら、徹底的に入れ込んだらいいんじゃないか。松竹にいる限り、逆立ちしても黒沢明の撮影現場を経験することはないだろう。今、日本の映画界で黒沢と並ぶのは今村昌平だけだから。そうしたからといって会社は君をクビにはしないよ」とアドバイスした。彼はその後、社長室など松竹の経営中枢にかかわり、いまは子会社の社長をしている。 (2006/05/31)

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Last Update:2006/05/31
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