松本克美さんの死

松本克美さんの死



 元上司の松本克美さんが5月9日午後8時13分、心筋こうそくのため長野県軽井沢町の病院で死去した。74歳。葬儀は密葬で済ませ、「お別れの会」を後日開くそうだ。松本さんは長く腎臓を患い、人工透析を受けていた。

 昨年、初代那覇支局長だった横田球生さんの一周忌で会ったとき、彼は軽井沢で人工透析ができるようになったのでそちらの別荘に居を移したと言っていた。比較的元気そうであった。松本さんは横田さんの後の第2代那覇支局長(1962/2〜63/4)だった。

 彼には私も縁があり、思い出もある。私が大阪社会部にいた20代のときに彼は大阪社会部長となって転勤してきた。大阪・キタで若い記者が酒を飲み、支払いが足りなくなって部長の彼に電話で助けを求めたら、わざわざその店にやって来て足りない分を支払ってくれたことがあった。1970年に私が本社の文化部に行きたいと言うと、それを実現してくれた。私が本社文化部に転勤して3、4年過ぎたころ、彼は今度は文化部長になり、また上司となった。高井有一デスクの下で文芸を担当した私が「作家の群像」という企画を2年にわたって連載したのが加盟紙の好評を受けるとたいそう喜んでくれた。この企画のコンセプトはこの後、他の記者が「エンターテーナー」とか「現代の漫画家」などの企画に引き継いでくれた。

 松本文化部長で最も印象深いのは、「交友閑語」の「高井有一さんと私の文芸記者時代」にも書いたが、同僚の遠藤雅之君がクモ膜下出血で倒れたときである。私は松本部長、高井デスクとともに緊急手術をすることになった東京女子医大病院に詰めた。

 手術が終わった後、いっしょに会社へタクシーで戻る途中でホテルオークラに連れて行かれ「高井さんが会社を辞める」と告げられた。私は高井さんを敬愛して、彼のためならどんな仕事でもやろうと思っていたが、同僚の中村輝子記者がハーバードに留学していた留守中に遠藤君が倒れ、2人の優秀な記者がいなくなったことで、これからどうしようかと思っていたときだっただけに、彼の言葉で目の前が真っ暗になったのだった。それからは遠藤記者の労災認定の運動と仕事にすべてを費やした。

 また私が沖縄の文化に関心を示すと、彼は元那覇支局長だっただけに協力してくれ、沖縄への取材出張を認めてくれたのである。会社ではラジオテレビ局長をした後、日本文字放送の役員に出たが、必ずしも日は当たらなかった。その後は早稲田大学などで非常勤講師をして過ごしたが、この数年はそれも辞め、人工透析に専念していたようだ。人間的には愛すべき人であったし、私は敬愛していた。 (2004/05/10)

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Last Update:2004/10/20
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