高木八尺先生と松本重治さん
高木八尺先生と松本重治さん
東大法学部にアメリカ政治学の権威で高木八尺先生がいた。戦前、東大を出て米国のアマスト大学に留学し、たしか帰国後すぐ20代前半の若さで東大教授になられたはずである。アメリカ独立宣言や合衆国憲法の定訳は高木先生のものがいまも使われているはずである。
その高木先生の晩年に駆け出し論壇記者の私がインタビューしたことがある。高木先生の自宅に電話してインタビューを申し込むと、快諾していただいたのだが、そのすぐあとで六本木の国際文化会館から電話がかかってきて、インタビューはそこの館長室で行ないたいという。国際文化会館の当時の館長は、松本重治さんで、松本さんは共同通信の前身の同盟通信上海支局長をされ、同盟通信の編集局長もされた我々の大先輩である。
そのころはまだ松本さんの名著「上海時代」や「近衛時代」は出版されていなかった。松本さんは上海時代に、近衛文麿首相のブレーンとして日中戦争の和平工作やその後は日米間の和平工作など、政治の裏面でいろいろ動かれたという人であることは知っていた。その松本さんのいる館長室で高木先生にインタビューすることになったのは、私には大変しんどいなという思いにとらわれた。
それでも、こうなってしまったらには後に引けない。それで六本木に出かけて行った。館長室に通されると、私は高木先生と向かい合って座った。松本さんは高木先生の横の、ちょっと離れた一人用のソファに腰を下して、パイプをくゆらせて、私がする質問を聞いておられる。私はすっかり緊張して、何を訊ねたのかいまでは思い出せない。おそらく上の空であったのかもしれない。
高木先生は小柄な、柔らかい感じがして、応えられる言葉遣いも20代の若造の私に対して非常に丁寧だったことを覚えている。当時はベトナム戦争が終わって間もないころで、それにウォーターゲート事件などもあって、日本人から見たアメリカのイメージはかなり落ちていた。だが、高木先生はアメリカ合衆国憲法の理想こそがアメリカであることを信じておられるようで、そういう高木先生の信念に感動を覚えたことが今も記憶に残っている。
それで私は「アメリカの理想にアメリカの現実を超えてアメリカをみた人」というような記事を書いた。その掲載紙をたくさん集めて高木先生に送ると、そのうちの1紙が送り返されてきた。開いてみると、私がランダムに並べて書いた人名の順序が赤鉛筆で正しい順序に直されていた。それを見て、私は真っ赤になった。人名の順序ひとつおろそかにしない先生の厳しい態度を改めて思い知らされたのである。 (2003/12/24)
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Last Update:2004/09/17
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