交遊閑語
一度だけ会った田村高廣さん
俳優の田村高廣さんが亡くなった。田村さんとは一度だけ会ったことがあり、インタビューをした。私は子供のころ、田村さんの父、阪東妻三郎が好きだった。木下恵介監督の「破れ太鼓」(1949)を見て、あの父親はうちの親父にそっくりだと思って親近感を感じたのである。「雄呂血」や「無法松の一生」は成人してから見た。
阪妻の長男である田村高広さんが初めて出演した映画も木下恵介監督の作品で「女の園」(1954)だった。これも高校生の時に見ている。京都の女子大学の寮を舞台にした、後の学園紛争を先取りしたような作品だった。高峰秀子が演じた自殺する女子大生の恋人役だった。京都へ帰る列車に乗った田村高広を高峰秀子が姫路城の天守閣からハンカチを振って見送る場面が今も記憶に残っている。
そういえば、晩年の木下監督とも付き合いがあった。きっかけは会社での先輩記者の斎藤茂男さんのルポ「父よ、母よ!」(1980)が木下監督によって映画化されたことであった。当時、私は映画記者をしており、松竹宣伝部の担当宣伝マンが大学の後輩ということもあって、私に特別な取材の便宜を図ってくれた。それで私は北海道の遠軽や浜松などのロケの現場を見に行った。この映画は、非行少年を描いたものであった。この取材で木下監督の演出法などを学ぶことができた。これが縁となって、木下監督のマンションに招かれたり、大阪などでご馳走になったりした。
田村さんにインタビューしたのは友人の小栗康平監督の出世作「泥の河」が完成した後であった。大阪・安治川端のうどん屋の親父を演じていた。田村さんはこの作品を自分の役者としての代表作だと言った。田村さんの出演作すべてを見ているわけではないが、私もそう思うし、田村さんがそうみなしていることがうれしくもあった。映画「泥の河」は、私が小栗監督に出会った最初の作品であり、その後小栗さんとの長い付き合いのきっかけとなった因縁の映画だからである。(2006/05/18)
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Last Update:2006/05/18
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