交遊閑語

文楽人形遣い吉田玉男さんの死




 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田玉男さんが亡くなった。87歳。立役遣いの第一人者である。私は大阪時代に文楽をよく見た。吉田文五郎とか桐竹紋十郎はすでになく、玉男さんと先代桐竹勘十郎のほか、女形人形では吉田蓑助が人気を急上昇させていたころだ。大阪・朝日座が文楽の劇場だったが、国立文楽劇場ができて、本拠地がこちらに移るころである。義大夫では今は亡き越路大夫、津大夫の2人が元気で、今の住大夫は文字大夫と称していた。

 文楽の本拠地が朝日座から国立劇場に変わるというので、文楽をめぐる連載記事を書いたこともあった。大阪の財界人などは「文楽は大阪の誇る伝統文化のシンボルだ」などとよくいうが、高度経済成長の時代にもかかわらず、では、その大阪財界が文楽興隆のために財政的なバックアップをしたかというと、そうではなかった。文楽の芸人たちは経済的に豊かではなかった。そんなことを連載記事に書いた。津大夫さんなどは、インタビューを申し込むと、人間国宝の大物なのに、向こうから会社まで出向いてくれた。

 そのころ、文楽の人たちとよく付き合った。玉男さんの豊中の自宅を訪ねたり、文字大夫さんの帝塚山のマンションや豊竹咲大夫の上六の自宅などを訪ねたりもした。まだ若かった吉田文吾や咲大夫さんとはミナミで飲んだこともあった。

 玉男さんはそのころも人形の第一人者だった。彼の舞台での人形の動きは極端に少なかった。そのことを訊ねると、研ぎ澄ませた本当に大事な動きだけをさせるべきであって、余計な動きをそぎ落とすことが大事だという意味のことを言われた。それは長年立役を遣ってきた人の到達点なのだろうなと感じ入った。女形の人形の場合は必ずしもそうではないだろう。蓑助の女形人形はそうではなかった。女の色気を表現するためには、それなりの滑らかさを持った動きが必要になるのだ。蓑助はそんな女らしさの表現で当時人気を博していたのだった。

 私が文楽から遠ざかって20年近くになる。往年の人は住大夫、蓑助ぐらいで、あとはあの時代の若手が今の中心になっているようだが、現状はどうなっているのだろうかと少し気になった。(2006/09/24)

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Last Update:2006/09/24
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