沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

援農隊が結ぶ南北交流30年



  北海道⇒沖縄・与那国島 サトウキビを収穫 島に定住する道産子も

 沖縄県与那国島には毎年1−3月、サトウキビの収穫を手伝う人々が島外から集まる。北海道からの参加者が主に支えてきた「援農隊」。来年は30年目を迎える。援農が縁で、島に嫁いだ道産子女性がいる。北海道で不登校だった中学生は、父とともに訪れた島で、生き生きと学校に通った。援農はさまざまなドラマを生みながら南北交流の根を広げている。(東京社会部・太田一郎)

 重労働も懸命に

「北海道の参加者はつらくても逃げず懸命に働き、信頼されている」。援農隊を発案し、その歩みを本にまとめた元共同通信記者藤野雅之さん(63)=東京在住=は言う。
 大きなものは高さ5メートルにもなるサトウキビの刈り取りは重労働だ。過疎の与那国島では1970年代半ばまで、作業を台湾や韓国からの出稼ぎ労働者に頼ってきたが、言葉や習慣の違いでトラブルが相次いだ。

 そんなことから当時、島を取材していた藤野さんら有志が援農隊の募集を始めた。75年末のことだ。賃金は安いが、農家に住み込み、島の暮らしを体験できるとの趣旨。76年から毎年60-120人を島に送り込んだ。
 間もなく、農家の間で「北海道の人は働き者」と評判に。79年の援農隊からは道内でだけ募集するようになった。

 雪送り「恩返し」

 札幌出身で、今は与那国町役場で働く西新田幸子さん(53)の初参加は79年。「島は何もかも新鮮。空と海の青が北海道とはまったく違った」。夜は、同世代の若者らと語り合い、夫の好秀さん(47)と出会った。翌年も参加し、そのまま島に。三男二女を育てた西新田さんは「北海道のような厳しい自然はない。苦労の思い出は一つもないんです」と笑う。

 援農隊にこれまで10回参加した後志管内赤井川村の農業滝本和彦さん(58)と、長男雄太さん(18)にとって島は「第二のふるさと」だ。
 雄太さんは中学に入ってすぐに不登校になった。悩んだ滝本さんは雄太さんを連れ、久々に援農隊に参加すると、旧知の間柄の島民が「それなら預かってやる」。雄太さんは島の学校に通い始め、友達が大勢できた。見違えるほど明るくなった。

 島の中学を卒業した雄太さんは道内の高専に進み、今はタイで知人の飲食店を手伝う。「成人式は与那国で」と雄太さん。滝本さんは、島で世話になった家の娘さんが勤める那覇市の養護学校に毎冬、雪を送っている。「恩返し」の一つだ。

 機械化進み減少

 札幌の高田寿男さん(61)は隊員募集を一手に引き受け、勤め先の炉端焼き店「七福神商店」(中央区)を募集の説明会場に提供している。
 自らも12回参加。「与那国から知人が大勢、北海道に旅行に来る。交流が本当に根付いてきた」と喜ぶ。
 収穫作業の機械化で、人で不足は徐々に緩和された。今年1月の援農隊は、ピーク時の4分の1の約30人。高田さんは「それでよい」と言う。「援農隊は島の農業の自立を願いながら続けてきた。ただ、せっかく根付いた交流は若い人に引き継いでほしい」

 藤野さんの「与那国島サトウキビ刈り援農隊 私的回想の30年」(出版元・ニライ社=那覇市、1800円=税別)は10月下旬出版された。問合せ先は同社電話098-867-9111。(北海道新聞 2004/11/08)


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Last Update:2004/11/25
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