沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

集約された国家の矛盾 福地曠昭(沖縄人権協会理事長)



 著者は復帰前の1969年に初めて沖縄を訪ねた。与那国町長の要請を受けて「第1回サトウキビ刈り援農隊」を送ったのが1976年。本書は今年の第29回までの回想記である。
 与那国は自然も美しいが、民族学や人類学、地質学、歴史学などが調査され、“宝の島”として注目されつづけてきた。そこに、都市の若者たちが農業を通じて「自分探し」のために女性を含む二千人がやってきたのである。
 そして今日も島の人たちとの縁が深い。島の青年と結婚した人がいたり、北海道から来た援農隊員が北海道の食材を送って「国境食堂」が栄えているという。

 著者は東京で「援農舎」をつくり、全国から募集した。労働がきつく、離島には娯楽施設もない。しかし、本土の若者たちにとって与那国がたいへんな魅力であると、著者が中心になって募集に当たった。
 (退職したが)共同通信記者をつとめながら、全くのボランティア活動である。エピソードもはさんで、当時の苦労話を率直に語っている。季節労働、出稼ぎと勘違いしてきた者、重労働のため音を上げて帰った者、失業保険の給付を止められ途中で帰らざるを得ない立場の者など、当時知られざることがあげられている。
 復帰直後、県内で多くの失業者が出ているのに県外から援農者が来るのを“珍現象”と皮肉られている。

 工場の寮の窓が壊れ天井にヤモリがはいかい、床は穴があいたまま、先に居た労働者の使った布団がそのままで臭く、風呂もない状況だったという。キビ刈りに行って、縄で束ねる方法も知らず、手の指が痛くなって、箸もハブラシも持てなくなっていた。
 自衛隊の応援に反対した自治労や沖教祖は日曜日、日帰りで応援に行っていた。宗教団体も加わり、宮古や石垣からはバー・クラブのホステスの「一日援農隊」が弁当持参で手伝った。

 全編通して著者は「そこには日本という国家のさまざまな矛盾が集約している」とのまなざしで貫いている。離島、失業、農業、市町村合併問題などに切り込んだ提起の書であり、沖縄への特別な思いがこめられている。(琉球新報 2004/11/27)


 感想などをメールでいただければうれしいです。メールはこちらまで。

Last Update:2004/11/27
©2003 Masayuki Fujino. All rights reserved.