沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

地方発 30年の農業支援に学べ 池澤夏樹



 サトウキビという作物は、植え付けた後は放っておいても育つ。手間いらずなのだが、収穫だけは短期間に一気に済ませなければならない。その時は大量の労働力を要する。  日本のいちばん西にある与那国島では、1972年の本土復帰までは台湾から季節労働者がサトウキビ刈りに来ていた。復帰の数か月後、中国との国交回復を機に台湾と日本は縁を切った。日本の領土である与那国に台湾の人は来られなくなった。

 過疎化が進む島で収穫の人手が確保できない。普通なら国内で季節労働者を募るところだが、なんといっても与那国は遠いし、沖縄本島からでさえ人は来ない。来てくれるほど払ったのでは元が取れなくなる。
 この窮状を知ったある本土のジャーナリストが、賃労働とは別の原理による人集めを計画した。今でいうところのボランティア、義のために立ち上がる「援農隊」である。

 本書はこの運動の中心にいた著者の手になる三十年の記録である。この間にのべ二千人を超える人々が与那国に渡り、仮住まいで数週間、肉体労働に従事した。キビ刈りは(ぼくは四時間やったことがあるだけだが)なかなか厳しい作業だ。それに二月の与那国はずいぶん寒い。僅かながら賃金が出るから百パーセントのボランティアではないのだが、それにしてもこの条件でよくこれだけ続いたものだと思う。

 最初の回からつまずいた。人を集めて送り込もうとした矢先、受入の主体である与那国の農協がほとんど倒産に近い状態という報せが入った。甘言に釣られて海洋博の関連事業に放漫な投資をしていたのだ(海洋博については、先日出た多田治著『沖縄イメージの誕生』東洋経済新報社、が画期的)。

 そういう中で、遅れながらもキビ刈りが始まった。決して楽ではない。「なんとか作業はつづけるものの、翌朝起きると、手の指がこわばり痛くて歯ブラシも持てないし、朝食を食べるにも箸も持てないのである」という具合だ。
 すべての歴史に通じることだが、おもしろいのは細部だ。善意だけではことは運ばない。仲間割れもあるし、行政の怠慢もある。本土の若い人たちと沖縄の離島の年寄りたちではものの考え方も違う。

 そして、沖縄の社会問題の多くと同様、キビ刈りの労働力不足にも米軍基地を巡る政治問題が影を落とした。失業率の高い沖縄でなぜキビ刈りの人手が集まらないのか。失業者の四割は基地の離職者で、この人たちには失業保険とは別に雇用促進手当てが支給されていた。退職から三年は「働くよりはるかに高い収入が保障される」のだ。米軍関係では県民に愚痴を言わせない、という政府の金撒き政策が労働意欲を奪う。

 だから援農隊の役割は大きかった。現実には、来る側も受け入れる側も勝手なことを考えている。思惑が違って衝突する。世話人も批判される。それでも、結局はお互い気心が知れて仲よくなり、来た人々は多くを教えられて帰った。だからこそ三十年も続いたのだろう。
 それを物語るエピソードがこの本にはたくさん詰まっている。まこと一国の歴史は地方から始まって全体に至るものだと改めて思う。

 援農隊には北海道の人が特に多かったという。すべてを仕切りたがる中央の頭越しに地方同士が手を結んだという意味でも、これは戦後日本で珍しく成功した交流例である。地方再編を前にして、本書に学ぶものは少なくない。(毎日新聞 2004/11/21)


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Last Update:2004/11/25
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