沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

いちご一会(1979年第5回援農隊の参加者の文集) その1



1979年4月1日発行


 1979年の第4回与那国島サトウキビ刈り援農隊の隊員が現地で自主的にガリ版刷りの文集「いちご一会」を発行した。その内容を再録します。

編集部からのメッセージ

 ここに集まった文章は、キビ畑のきつい仕事や製糖工場の十二時間労働を終えた後、斧や鎌を握ったその手でペンを持ち、余裕ある時間も思考もないままに目を赤くして綴った作品ばかりである。だから、少々の粗雑さは寛大に見のがしてもらいたい。
 小誌に寄稿してくださった人は、定職を持たぬブラブラ人(?)が多い。ブラブラ人には可能性がある。へんに定職につき正常な社会人と自負するにやけ野郎にはない、未来がある。
 これを機会に、つどつど連絡をとりあい、わるくいえば互いに利用され利用し、生活を拡げて行きたい。
 少々大げさにいえば、オレたちがこのように結びつこうとしていることは、ダーウィンの「進化論」以来、世界を跋扈している生存競争がよりよい社会をつくるという、強者の考えへの叛逆であり、また助け合い協力し合って人間は進歩するという相互扶助の実践でもあるのではなかろうか。
 オレたちの各々ちがう個性、気質や能力を十分に生かし合いながら、あたらしい生き方を創っていきたい。
 まずは、都会の片隅でも田舎のあばら屋でも、図々しくふてぶてしく、ちょっぴり繊細に、しかも力強く、しこたま生きぬきましょう。


与那国援農に来て                     菅原昭

 私は北海道の雪の多い地方に生まれ育ちました。毎日が除雪に追われる雪にあき、早く張るが来ないかと思うのが常になっていたぐらいです。
 さて、私の放浪的人生の始まりは、会社退社後からです。高校卒業後二年半で工場を去ることになったが、後悔はしてません。むしろ停年までいたら、私の人生を棒にふる様なものだった。そのきっかけを作ってくれたのは、自転車で日本一周をする事であった。もうこの瞬間から、自分に対するあせりみたいなものが消え去ったのである。しかし、残念なことに、九州の対馬で接触事故にあい、北海道に帰還することになった。幸い怪我の程度は軽く済み、今こうして仕事が出来るのでしょう。
 キビ刈りは前から一度経験したかったせいもあったのだが、地元の新聞に大きくこの島の援農をアピールしているを見て決意した。沖縄は一度来て、八重山止まりであったので、今度こそは与那国に来てみたかった。この島には東京から一週間かけてきただけに、最西端の島に来た感じがした。
 はやこの島に来て一ヵ月半になる。キビ刈りはすでに三分の二は終わり、一息ついている所だ。このところ島の人達ともすっかり溶け合い、キビ刈り作業も順調にいっている。だが、こちらの方言が強すぎて、我々と話をする時は、どうも意志が通じ合わない場合が多分にある。そんな時はもう体当たりで理解しあえるまで話し合いをするのが立て前であろう。私は、島の人達よりも、同じ家にいる援農隊の和が崩れたことがいちばん切ない。
 三月も下旬に入ると、この島の田植えの時期である。キビ刈りと田植えが重なるので、私が田植えに駆り出されてしまった。まあ、私の場合、田植えよりも苗運びの仕事をやることになった。しかし、この田植えの手伝いで多くの島の人達に接することが出来、非常に多くのものを吸収することができた。
 援農に来ている人達で、キビ刈り以外の雑用的仕事はしないという人が多いのではなかろうか。私は、この援農に参加する時は、私のできる範囲で仕事をやってみようとやって来た。若いせいもあるのだろうが、そのうち体験したくてもできなくなる時期がやってくると思うんだ。だから、この援農隊を労働者とみなして、労基法を適用させるという単なる噂を信用しても良いべきか。  今後私は、キビ刈りが終わると、家の方の事情ですぐ帰らなければならないが、この島での体験を生かせるところは生かして歩んでいきたい。自転車の日本一週旅行も車との接触事故で達成できなかったので、これを機会に完遂させたい。これからやろうとすることには、いつも新鮮さがあり、つねに心が寛大になって帰ってこられる。
(住所 北海道深川市八条七ノ一〇)


短歌                          渡辺茂雄

よっぱらいの喧嘩の声も風の中どうなんの冬は風吹くばかり

三線(さんしん)も歌も踊りも風の中七九年どうなん冬の夜

与那国の春は牧場の片隅に白百合ひそかに咲かせけり


庄野護

 与那国には私を魅了してやまないものがあり、それに触れると私は心から安心して、今、この島にいる仕合せを思う。
 それは、私が「こんなふうに生きたい」と願う生活(くらし)の原理が、島の人びとのくらしの中にあって、しかも、そのくらしの原理は島の豊かな自然と一体となってあるというところにある。
 もっとも、私の愛しているそのような生活(くらし)の原理は、その反対の生活(くらし)の原理(私が憎んでやまないもの――)によって破壊されつつあって、そのことが島人の現在のくらしの矛盾としてあらわれてきている。
 たとえば、昨年来知り合いのおばさんは、島のくらしを捨てて、東京の長男のところへ行こうかと考えている……などと、本気ともつかぬことをふともらす。私が与那国に毎年(まだ二年だけれど)通ってくるような生活(くらし)をしているのは、私自身の現在の生活の矛盾と未来への不安を、この島の人びとの生活(くらし)の有り様に重ね合わせて考えつづけようとしているからだと思う。
 出口はあるようでない。しかし、全ての問題がつながっていることだけはわかる。私の生活の矛盾、未来への不安はそうではない。本質的には同じである。
 与那国の人びとの生活(くらし)から学ぶことは多い。

 私は次にこの島に来るまでに(来年?)、与那国語辞典(千語ぐらい)を編むつもりでいる。印刷代のみの原価で配布するつもりですから、必要な人は連絡を請う。
(住所 徳島市南昭和六ノ六六)


朱あきら

 一九七九年三月二十一日。今私は、日本最西端与那国に立つ。
 ザワ(さとうきび)に接してすでに一ヶ月となる。
 チャリンコでの長い道のりで体を悪くし、東京からスタートして七三七五キロメートルで日本一周をやめるのは残念です。しかし、旅はまだまだつづくでしょう。

 最旅見ちて一休時をもっと思うは
  あの古里の丘 アンジェラスのかねかな
 遠から地我れ最西端に立ちつくし
  思うは大自然のほこらしげな顔かな


岡戸三枝(21歳)

 現在、北里大学薬学部薬学科三年在学中。趣味は登山。とにかく、いろんなことがやってみたくて親の反対も推しきって、ひとりで飛びだしてきました。女の子だから不安もあったけど、とにかく与那国に来てよかった! これが今の実感です。たくさんの人と知り合って、いろんなことを話すということはすばらしいことだと思います。
 与那国については、生活様式、労働条件など矛盾を感じることは多いけれど、それはそれなりに日本の最西端の小さな島らしくていいんじゃないかと思います。
 私もあと一年で卒業できそうなので、その後は日本中を転々として働きながら旅したいと思います。できたら日本に限らずに……今、一緒に旅をしてくれる人を募集しています。よろしく!
(住所 埼玉県浦和市東仲町八ノ二二)


津田川光雄

 皆さん、ヒッチハイクをしたことありますか。僕は、集合場所の東京に行く途中までヒッチハイクをしました。
 一台目は、チャームナップの営業車に乗せてもらい滝川まで行きました。この車の運転手さんはヒッチハイクに理解があって、車の中でもいろいろと話しやすく楽でした。
 二台目は、ジンギスカンの会社の営業車に乗って札幌の真駒内まで行きました。この車の運転手さんは、ヒッチハイクでいろいろな所を巡ったことがある人で、ヒッチハイクの苦労話を聞かせてもらったりしました。
 三台目は、クラウンかセドリックの高級車に乗って洞爺湖の手前の留寿都のドライブインまで車を走らせてくれました(このドライブインの近くには、大和ルスツスキー場という有名なスキー場があります)。ドライブインの前で「函館」と書いたスケッチブックを出していると、一台の個人タクシーが近づいてきて「うしろのドライブインで休んでいなよ。そのうち本州行きのトラックが休みに来るから」と言いました。その人は、そのドライブインのご主人で、カレーをごちそうしてくれました。食べ終わってコーヒーを飲みながら休んでいると、東京行きの家具を積んだ大型トラックが入って来て、乗せてくれました。そして、二三時ごろ東日本フェリーの待合所に着いて、〇時三〇分の野辺地行きフェリーに乗りました。船の中では、揺れとエンジンの音でなかなか寝られず、寝たのは一時間程度でした。
 五時一〇分、野辺地に着いて早々に乗ろうと思ったら、運転手さんが「後ろのトラックの運転手に三人乗ってるのが見つかって、降りてくれないか」と言いました。がっかりしたけど、しようがないので、国道まで歩いて「東京」と書いたスケッチブックを出して、一時間半ほどたった頃に大型トラックが止まって、宮城県の岩沼までということで乗せてもらいました。この頃になると話のタネも尽きて、車の中でも何か気まずく、一六時半ごろ岩沼に着いて、一時間くらいまた国道で「東京」と書いたスケッチブックを出していたけど、車は止まってくれないし、腹も減ったので近くのラーメン屋に入ってラーメンを食べました。
 ラーメンを待っている途中、そこのおやじさんが僕の大きな荷物を見て「旅行してるんですか」と言ったので、「ヒッチハイクをしてます」と言ったら、その後のヒッチハイクのことを聞いたりして「二十四時間営業のコインスナックの所まで乗せてあげるよ」と言ってくれたけど、ヒッチ疲れもあったし、その後の車もつかまらないと思ったので、岩沼駅まで乗せてもらい、そこから一九時三一分の福島行きに乗って(福島駅の売店で売っていた干芋がウマかった)、福島駅〇時五分発の東京駅行き夜行バスに乗って、六時三〇分東京駅前の東北旅行センターに着きました。
 皆さんも一回ヒッチハイクをしてみてはいかがですか。結構面白いですよ。
(北海道旭川市末広町六条三丁目)


大出敏樹(20歳)

 特技とか能力など人に言えるようなものはなく、そこらへんにころがっている平凡な男です。
(北海道岩見沢市一条東十一丁目)




  行くぞ
○○○――――――――――
――― ――― ―――――
二月二十二日、ニゲだすんだ
自分から
ニゲてきたオレが
  ここから
アセとアメと
サケにぬれ
毎日見ている
ウラブダケがワラッテルゾ
  オゴリとイカリが
  わかるか その顔に
キビ
オレにはロウドウでしかない
お前は
いったい何者ダ

2/1―――ここまで来たのは、なんら目的はなかった。そこに山があるから登るぐらいの気分で援農隊に参加した。
 家を出る時は、これで沖縄まで行ける、そんな気分で歩き出した。
 東京からの船の中で"よくも"あれだけ援農という気持ちが、おれの中に盛り上がったものだ。
   "第五回援農隊"
   "村起こし"
 与那国。おれはまったく知らない。

2/7
  与那国島は海の中だ
  太陽も月も、星も見える
  海の上にのっかった島
  遠くから何時間も島影を見ながら
  やっと着いた所だ
  海がコバルトブルー
オオッ ゴミが浮いている
  たいして変わらないや
岸壁に横断幕がかかる これから全島のおまつりだ
  オイルボール
夜になると アッチコッチと出かけていろんな話を聞きました

2/17
与那国へ来て 一番ウマイ酒を飲んだ
  "来年も来てください"か
飲み過ぎた
2/22
くそったれと何度ノートに書いたことか
農業にとって、収穫作業というのはおまつりだ、農作業だ。
農業を職業としているおれが、与那国で、農作業をやるんだ、そんな気持ちがぶっとぶまでいく日もかからなかった。農民には農作業、
よそ者の
   "おれは人夫だ"
ましてや人夫にもなり切れない苛だたしさがある。
キビ収穫期 必要なのは労働力だ 援農隊であれ 旅人であれ 畑での仕事は同じだ
援農隊――もうおれには言葉だけだ

2/24
   ヒゲを剃れ
髭はおれの顔だ 人に言われて剃るものか 剃る時は自分で決める
愚痴をこぼしたい 援農隊とはいったい何かさっぱりわからない。
おれは何を残して行くか やっぱり自分しかない。

2/25
 オイ 後藤 久部良へ行って酒飲むか

2/26
あなたは
人間 一番大切と思うものは
   一番おそろしいと感じるのは
 "自分"
与那国の人が 私もそう思っています。農業なにが大切か 時期という
 学、 これは持論です
一番座、床の間、仏間のある所の 雨戸を朝早く一番先に開ける そこから幸福が入って来るという。土地の言い伝え。
こんな時が一番楽しい、 今迄の思いをフッと忘れてしまう。
"やぎ"、これは 酒もタバコも飲まない人という意味とか、 酒を注ぐのを もう飲めないと断るのは失礼な事です。せっかく人が注ぐという気持を断る事になる 受ける形を作りなさい。
キビの話を聞いた 長八時間 植付けから収穫までの作業や必要経費など。
楽しみも苦しみも農業は一緒にやって来る 農作業が楽しいと感じなければ 農業の魅力は わからない。

2/27
 寒い 寒い 寒い
やっぱり ここも冬かな 木の葉が落ちてくる。
 "おそろしくなって来た"
沖縄、与那国、まったく知らなかった 何も知らなかったという事を 自覚しておそろしくなって来た。

2/28
役場へ行って、高能率生産団地整備計画書、 見て来ました。普及所へも行きました。
宇良部岳へ歩いて登る。やっぱり波に ポッカリ浮かんでいる島かと頂上で。

3/3
  おいおれを見るな
  悲しそうだ
  そんな顔をしておれを見るな
  思い出すと逃げ出したくなる
  逃げる必要もない
  もうそこには
  いないのだから
  さびしいか くやしいか
  お前にはちょうどいいぐらいだろう
  うまい ウーンうまいうまい こたえられない うまい
この感じは久しく忘れている 目の周りが赤くなった うまい酒だ ジンギスカン?

3/5 現金○
3/7 グロンサン一本
3/8 グロンサンも効き目がない!
3/9 農作業って知ってるのかな この人は やっぱりわからないだろうな援農舎

3/11 終わった
小嶺さんとこのキビ倒し 最後の一本 本多さんが倒した おれも増田さんもジャンケンに負けた。
カジキのさしみ、うまい。
女は男が惚れなきゃ女じゃない いい言葉だな

3/14 0・35分
今から一人になった 本当に言いたい事を、言いたかった これでもこれでも もうひとつ心が言葉では気持が伝わらない
3/16 酒をやめよう 帰るまで
3/17 酒を飲む
後藤さんはうまく自分を"とりつくろっている"

3/18 バッタもキリギリスも泳ぎが上手だ 水泳の選手になれそうだ。カメ二匹見つけた
3/26 早く帰りたい
来年は絶対に来ないぞ!! 明日は田植えだ 体を鍛えてゆこう 水田は青くなったのを見ていると最高の気分だ
ワッカルカナ
こんな時、8時−5時半の人夫になり切れない 仕事が楽しい 水田が青くなっていく ココロウキウキ 7時になっても同じさ
田んぼ一枚半預けられ、一日 明日までかかってもハハから植えて下さい。朝から一人で10時休みもヌキ 12時休み昼寝もヌキ 3時に終わらして比川の海を見ながらめしを食べました。
一人で田植えをしていると頭の上で 数羽の小鳥の合唱だ
オヤどこかで聞いたふうな 沖縄民謡の囃子言葉だ そっくりだ 静かな田んぼの中でフト気が付きました。
おれの仕事のやり方が 良いか悪いか今日仕事をやってからにしましょう。
農家って なんぎな そう話しかけられるのが一番辛い。与那国の篤農家といわれる人とわすかの時間お話をした。最後に農業をやっている人の考え方 求めていくもの 実際に農業をやっている人は(言葉で伝える気持にわだかまりがあるが、農業にはそんなものはない)何か通じるものがあると話が終わった。
現在のハーベスターが機械として 良いか悪いかじゃなくて もっと先を見越した考えを持っている。おれの仕事の良し悪しを 今日仕事をやってからにしようといった人も同じだ。
3/28 おふくろから早く帰って来い おれも今すぐ帰りたい もう少しの辛抱だから 母一人は辛いだろうな。

今迄書いた事は毎日風が吹くぐらいに起った思いを ノートにメモしてきたほんの一部をそのまま書きました。メチャクチャも書いていますが、その時はそんな風に思っていました。
こちらの農業をやっている人と話して、随分勉強になりました。そんな時には辛いのも忘れ、来て良かったと思えるように変わって来ました。どうして農家がもっと野菜を作らないのかな。これは私の勉強不足ですが、それでも簡単にどうしてか?――そして
お前は一体何者だ、やっぱり後藤ダ。北海道上川郡比布町北1の10で稲を育てています。イチゴもトウキビも野菜もいっぱい作ります。食べに来て下さい。
桔梗も咲いています。一緒に飲みましょう。ふとんもいっぱいあります。
特技 貴重な独身? バレーボール、バドミントン(ママさんの指導)、野球Mets(ブルペン)、剣道?段、農業 エトセトラ。
おれの未来はバラ色だ(ウソ)。 多くの人を知るということは、不動産を得るのと同じだと土地の人が言っていました。しばらく忘れていても、顔を見かけた時、ヤアと言って……あとは言葉になんない。
顔にはやっこい髭がありますが、心は純な人間28年やっている男です。 つづく

 早く帰ろう、楽しい農業が待っている。

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Last Update:2004/04/05
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