沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊
沖縄・与那国島紀行 2005年2月 その1
2005年1月31日(月)
朝9時に自宅を出る。薄曇りだが、かなり寒い。昨夜からの寒波のせいだろう。地下鉄都営三田線経由で羽田へ。搭乗前に昼食を済ませる。乗り継ぎの那覇空港では時間の余裕がないだろう。
千歳空港発の援農隊は10:30発の沖縄直行便に乗ったはずである。送り出しの札幌の高田さんに携帯電話を入れるがつながらない。彼からの電話がないということは、少々の人数の異動があったとしても、予定通り出発したのだろう。12:15発のJAL沖縄便に乗る。機内で斎藤美奈子著「文章読本さん江」を読了。那覇着15:15。曇っている。乗り継ぎの石垣便は15:30発で15分しか時間がない。搭乗口が近かったので助かった。石垣行きは満席は近い。
16:30石垣空港着。石垣島は低く雲が垂れ込め、気温も上がらず肌寒い。日本列島を襲っている寒波がここまで影響しているらしい。札幌からの援農隊は1便早い機で石垣に着いているはずで、探したが姿が見えない。市内の民宿南国荘に先に行ったのかもしれない。タクシー乗り場のそばの喫煙所で一服。
携帯で仲若直子さんを呼び出すと、空港のロビーにいた。行くと援農隊の人たちもまだ何人か残っている。沖縄タイムスの玉寄興也支局長と八重山毎日の上地也寸志記者が取材に来ている。二人に対応する。到着した援農隊は26人であった。
北海道は寒波で大雪となり、旭川から来る2人は、列車が遅れて予定の飛行機に間に合わず、午後の沖縄便に乗ったという。援農隊は南国荘の送迎車で宿へ向かった。
取材対応を終えて仲若さんの車で南国荘へ行き、荷物を降ろす。今夜は旧友の友寄英正さん、八重山毎日新聞の上地義男常務らと会うことになっているので、そのまま仲若さんの車に乗る。彼女はアパートに飼っている犬に餌を与えにいったん戻り、その後、彼女の姉が開いている「花の花緒里」という商店街の中の花屋へ立ち寄った。車を姉の店の駐車場に停めるためである。石垣島も最近は交通取り締まりがきびしくなり、路上駐車、運転中の携帯電話、酒酔い運転などは特にきびしくなったそうだ。
仲若さんは少し前まで石垣市の中心部にビルを持ち、上階をホテルにし、1階に石垣牛の焼肉店を開いていたが、ビルを売却した。その後はインターネットによる八重山の物産販売をしていたが、この3月に西表島西部の星立でホテルを始めるという。知り合いの4階建て、20室の建物が空いているのを借り受けるのだそうだ。湾に面して景色もよいところらしい。最近はその準備で石垣と西表を忙しく行き来している。
「八重八」という小料理屋に行くと、友寄さんと上地さんが待っていた。八重山観光フェリーの池間義則社長も顔を見せた。池間さんとは去年初めて石垣島で会ったと思っていたが、数年前に東京で行われた「八重山観光感謝の集い」で会っていたことを思い出した。なかなか剛毅な感じの人である。4人と旧交を温めた。60代半ばを過ぎた友寄さんは糖尿病があって最近は視力にも影響が出てきたそうだ。酒は一切口にしない。ウーロン茶で付き合ってくれた。
沖縄総合事務局石垣港湾事務所の土井博所長や空港に取材に来た上地記者も加わった。土井さんは神戸の出身で、私のいとこの藤野慎吾が運輸省の課長時代にその下で仕事をしたことがあるという。上地記者は25歳と若い。上地常務は彼を那覇支局に転勤させて県政など那覇の取材を経験させて、行く行くは同紙の中心記者に育てたいと思っているが、本人は引っ込み思案のようだ。私も若いころは自信喪失したこともある。でも、他社の記者も大したことはないと思えるようなってきた。なによりも与えられた機会はチャンスと思ってやってみることだ。
12時ごろ別れて、南国荘に戻る。
2005年2月1日(火)
7:00起床。今朝は昨日よりさらに気温が低いようで寒い。それでも旭川から来た小畑さんは「北海道の6月ごろの感じです」という。もっと暖かいと期待していたので、案外寒いのに驚いたようだ。
出発前の話では、南国荘のおばさん、松川京子さんは体の具合がよくなくて那覇に行っているので、援農隊の食事を作れず、食事は外食になるということだったが、元気が回復したらしく、戻ってきていて食事を作ってくれた。おばさんはやはり与那国島出身で、援農隊はもう20年ここにお世話になっている。
南国荘の車で援農隊とともに空港へ。八重山毎日新聞を買う。援農隊到着の記事が出ている。
10:00発の与那国便で10:40与那国着。新里工場長、尾辻美佐江さんらが出迎えてくれる。トラックの荷台に載って製糖工場へ行く。顔合わせや仕事の配置決定は午後からの予定で、それまで昼食の弁当を摂ったりして待つのだが、今日の与那国島は戸外ではかなり寒い。工場要員は宿舎の久部良の民宿「はいどなん」で昼食を摂ることになった。農家に入る4人は工場の事務所で弁当を食べ、工場内を見たり、近くを散歩した。農家に入ると、製糖工場を見る機会はないから、私が案内してサトウキビを工場に搬入してから黒糖ができるまでを、機械を見ながら説明した。
飛行機に乗る際、携帯電話の電源を切っていたので、入れてみると、石垣島の東田盛さん、仲島保さん、与那国町役場の前楚良昌さんから留守電が入っていた。今朝の新聞を見て石垣空港に見送りに行ったが会えなかったという。申し訳ない気がした。早速2人に電話した。前楚さんは午後、役場に訪ねると伝える。
午後1時から工場前で顔合わせ。城田英光所長がやってきた。所長の挨拶に続いて、工場長が職員を紹介、持ち場の分担などを告げ、注意事項などを説明する。工場は操業が始まると、24時間操業になる。朝8時から夜8時までと夜8時から朝8時までの12時間2交代である。畑で収穫されたサトウキビが工場内の庭に山積みになり、これをユニックのような機械でベルトコンベアに載せる。ヤードの作業で、これは重機の免許のある人が担当する。
コンベアに載せられたキビ原料は脱葉機で葉を落とし、4、50センチの長さに切断されて、さらにベルトコンベアで圧搾機に送られる。ここで砂糖汁を絞り出し、絞りかすのバガスとに分けられる。これを煮詰めたりして砂糖汁の濃度を増し、どろどろになった砂糖汁に石灰を混ぜて固める。粘土状になった黒糖をパレットに受けて30キロの箱詰めにする。ほかにかち割り黒糖をつくったりもする。昼番、夜番それぞれ30数人である。各職場にはそれぞれ専任の職員が付く。
食品工場なので衛生の面でも年々、保健所の指導がきびしくなり、今年から作業服が支給され、履物も工場内用と外部用を区別することも求められた。男性の長髪は禁止で、長い人は切ることを求められる。女性は髪をすっぽりと覆う。製品に毛髪が混じることを恐れるからだ。
顔合わせが終わって、農協から頼んでもらった民宿さきはら荘に行く。ナイチャーの女性2人が手伝っている。荷物を下ろしてしばらく話す。昨年はナイチャー夫婦が主人の崎原絹子さんに頼まれて調理場と部屋の維持管理をしていたが、1昨年暮れに絹子さんが亡くなり、その後、那覇で教員をしていた末娘の文江さん夫婦が帰郷して跡を継いでいるという。この日、文江さんは那覇に行っていなかった。
農協で尾辻美佐江さんから30周年記念祝賀会の概要を聞いた。昨年暮れに記念式・祝賀会実行委員会を立ち上げた。主催はJAおきなわ与那国営業所。これに与那国町、各地区の公民館、闘牛組合などが参加している。3月26日の午後1時から闘牛大会、その後、4時ごろから比川の離島総合センターで式典と祝賀会。27日は午前11時から記念植樹、午後は島内観光という計画という2日間にわたる盛大な計画である。祝賀会では普段は見ることのできない、珍しい民俗芸能を島民が演じてくれるそうだ。4日の夕方に、これについて打ち合わせをするというので私も出させてもらうことにした。
役場に前楚さんを訪ねたが、他の島から視察に来た議員に応接中で、町史編纂室の米城恵さんと話す。与那国町は昨年10月16日、住民投票で石垣市、竹富町との合併をしないことを決めた。このため財政的に逼迫する町は助役、収入役を町長が兼務し、町議会議員も12人から8人に減らした。給料や議員歳費もカットした。いまの教育長も任期がくると、その後は町長が兼務する。町として自立の方策を探っているが、これといった妙案はない。このために島は元気がなくなったと米城さんはいう。
琉球新報の記者をしていた米城さんは数年前に島に戻り、町史編纂の仕事をしている。合併協議会の委員も務めていた。彼が編集した与那国島の地名を考察した町史の大部の一編で、谷川健一氏が主催する「地名研究大賞」を昨年受賞している。
前楚さんの仕事が長引きそうなので宿に戻ってしばらくすると、彼がやってきた。援農隊30周年記念祝賀会が決まって、彼はたいそう喜んでいるようだ。25周年のときに彼は記念のイベントをやりたいと動いてくれたが、実現しなかったからでもあるのだろう。前楚さんがソウルの黒田勝弘氏に電話した。彼の携帯電話は国際電話もできるのだ。黒田氏は出席するための航空機のチケットは手配済みだという。私が本を送ったことについても返事を出さない不礼をしきりにわびていた。彼とは援農隊をいっしょに立ち上げた仲間だけに、とにかく来てくれるのはうれしいことだ。
19:00から比川の離島総合センターに合宿する畑のキビ刈り要員の顔合わせ会に所長や工場長らと出席する。こちらは20人ほどが5班にわかれてチームを組み、請負方式で刈り取りをする。沖縄本島南部から呼んだ熟練者に加えて、昨年本土から来て請負をした人、今年初めて来た人が加わる。本島から来た班リーダーは相当の経験者のようである。
泡盛と刺身などの料理で2時間ほど懇談した。終わって祖納に戻り、女性陣を宿舎に入れて、城田さんと街外れの飲み屋へ。脱葉機担当の大宜見康市さんが先に来ていて、姫路の出身という山崎さんといっしょになった。山崎さんは数年前から単独で与那国に来て農協でこの時期働いている。昨年は秋に3ヶ月間、群馬県嬬恋町でキャベツの収穫をしたという。午前3時に起きて、ヘッドランプを点けて暗いうちから畑で収穫する。11時の出荷に間に合わせるためだ。そんな経験を話してくれた。12時前に宿に戻る。
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Last Update:2005/02/13
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