沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

沖縄・与那国島紀行 2009年1月   その1



2009年1月20日(火)

 この1月11日(日)札幌で第34回の援農隊の募集説明会を開いた。援農隊を受け入れるJA沖縄与那国支店から、田村秀光支店長と援農隊の世話を担当する福浜智子さんが来てくれた。前日、私は羽田空港で2人と落ち合った。札幌では世話人の高田寿男さんが準備万端整えてくれていた。11日の説明会には、北海道各地から約160人が参加して、説明会場には入りきれない。何人かが会場のわきの通路にあふれていた。去年の参加者はこの半分ぐらいだったから、やはり米国の金融危機に端を発する不況の影響が大きいように思われた。

 しかし、募集人員は、すでに農家に毎年住み込んでいるリピーターなどが決まっており、25人しか人員枠がない。ほかに全国各府県からの参加者もいる。私の説明を聞いて参加を申し込む人は履歴書を出してもらって、簡単な面接の結果この日の説明会では予定通り25人が決定した。ほかに北海道からは10人近くが農家や請負の畑作業に決まっている。他府県からは農協に直接申し込んだ約30人が決まっており、総勢66人になる。

 20日、北海道から団体で渡航する25人と羽田空港で合流。14:40発JAL那覇行きに乗った。前日の予報では、北海道は吹雪になるかもしれないと思われたが、雪はそれほどでもなかったようだ。気温は2度だったという。東京は7度で曇り。那覇は曇りだが、気温は23度。かなり蒸し暑い。18:40発のJTA便で石垣島へ。石垣島は晴れだが、やはり23度。空港へは福浜さんが出迎えてくれた。それに沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日新聞の3社の記者が取材に来てくれていた。事前に八重山毎日の松田良孝記者に連絡しておいたのである。

 松田記者は一昨年秋、与那国島の人たちが台湾・花蓮へ与那国からの直行便チャーター機で旅行した際、同行して知り合った。ちなみにこのチャーター便は与那国空港から初めて直接外国へ飛び立つ町の企画であった。タイムス、新報の支局長はいずれも若く初対面だ。私とベテラン援農隊員のT、O両君に初参加の女性Nさんが取材に応じた。

 今夜の宿舎はニュー浜乃荘。迎えのバスで宿舎に入り、夕食は別棟の食堂で20:30から。食事をしていると、厨房にいた叔母さんに声をかけられた。森山よしこさんという。私のメル友で米国ダラス在住の高橋七三子さんの姉さんである。今回の出発前、七三子さんから石垣の姉に会ってほしいとメールがあった。与那国からの帰途、連絡するつもりだった。七三子さんからよしこさんに連絡が行っていたのである。たまたまよしこさんはここの食堂を臨時に手伝っていたのである。よしこさんは石垣市登野城で食堂を経営しているそうだ。与那国からの帰りに訪ねることを約束する。

 夕食後、福浜さんと数人の援農隊員が石垣市郊外の終夜営業のスーパーマーケットに買い物に行くという。福浜さんは石垣市に住む姉さんの車を借りてきている。それに同乗して真栄里のMAX VALUへ。隊員たちは知人に頼まれたトイレットペーパーやビール、その他の日用品を購入。なかにはビールをケースで買う者もいる。

 援農隊員を宿舎に送り、福浜さんと私の行きつけの八重八に。ここのママさんは与那国出身である。私は石垣島に寄るたびに訪ねることにしている。地元の人が集まる郷土料理の小料理屋で、援農隊30周年の時には、石垣島の知人たちと東京から与那国島へ行く人たちとで前夜祭をここで楽しんだ。店は暖簾を下ろしていたが、中が明るいので入ると、4人のグループがいた。Mという東京の歯科医師会の会長さんと石垣市の歯科医、与那国で中学の教員をしてたという人たちでこの店の常連のようだ。ママさんが早速彼らに紹介してくれて、その輪に引き込まれてしまった。Mさんは石垣島の北端に近い明石に7年前に別荘を建て、今もここに滞在しているという。同席しているのは島での飲み仲間のようだ。なかなか楽しい人たちだった。

 元教員氏は与那国で教員をしていただけに島の人たちについて詳しく、福浜さんの父君とも親しかったようだ。福浜さんが大学に在学中アルバイトした泡盛醸造会社瑞穂から与那国の実家に樽酒を送った。自分が成人式で島に帰ったときに、みんなに振る舞おうと思ったのだが、父親は娘が自分に送ってくれたものと早合点して、喜んで知人を招いて飲んでしまった。その時に元教員氏もいたのだそうだ。そんな話で盛り上がった。12時で私たちは店を辞した。(続きを読みたい人は下のNEXTボタンをクリックしてください。)

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Last Update:2009/02/01
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