沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊
辺境の島に向き合う若者 森口 豁(ジャーナリスト)
もし、日本からの援農隊が来ていなかったら、与那国島のサトウキビ産業は今日まで続いていただろうか。読み終えてまずそう思った。日本復帰から三十余年、この間、観光客から商社の駐在員まで沖縄にはいろんな人がやってきた。大きなリュックを担いでのそのそと歩き回る若者は<カニ族>と呼ばれ、沖縄観光ブームの草分けとなった。八重山の島々の浜辺も、春や夏になるとたくさんの雄ガニ、雌ガニでにぎわった。
そんな与那国島に初めて「キビ刈り援農隊」が入ったのは一九七六年。これまでに延べ二千人の若者が全国からやってきた。来年は<援農三十年>の記念すべき年に当たる。
著者で援農隊生みの親でもある藤野雅之の本業は共同通信の記者。「私的回想の30年」とサブタイトルにあるが、単なる「回顧もの」にはないさわやかさを感じるのは、今はやりの「沖縄大好き人間」とは違い、文章の端々に孤島と向き合うひとりのヤマトンチュの誠実な生き方をみるからだろう。
「労働力がほしい」過疎の島と、「農業体験がしたい」都会の若者。両者が出合えば結果は万事順調と思われるが、実際にはトラブルも多かった。全国から集まった希望者が東京に集合、沖縄行きの船に乗り込む矢先に、受け入れ先の与那国農協で不正貸し付け事件が発覚、そのとばっちりで立ち往生したのは初回のときだったし、離島の実体を知ろうともせず、終始非協力的な職安や、高失業率を理由に援農隊/他府県人締め出しにかかる沖縄県の冷たさにも直面した。
一方で、予想以上の重労働に悲鳴を上げ、一週間で夜逃げしてしまうメンバーもいれば、宿泊先で家畜の世話までさせられた不満をあからさまに藤野ら世話人にぶつける者が出るなど、予期せぬ困難にも見舞われる。
だが著者は、終始ジャーナリストらしい観察眼と抑えたタッチで離島苦の実体と自らの生を重ね合わせ、読む者を辺境の島へといざなう。<サトウキビが紡ぎだした孤島文化論>とでもいおうか。示唆に富む一冊である。(沖縄タイムス 2004/12/04)
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Last Update:2004/12/04
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