沖縄・与那国島サトウキビ刈り援農隊

キビ刈り援農隊を知っていますか 仲若直子(作家)



 初冬を飾るサトウキビの花が各地で一斉に開花、明るい日差しを浴びて一面銀色の輝きを見せている。いよいよ製糖シーズンの幕開けだ。今年は台風の襲来が相次ぎ、その影響が心配される中での操業開始である。

 そんな中で『与那国島サトウキビ刈り援農隊』(著者・藤野雅之、発行・ニライ社)を読んだ。援農舎の代表世話人の著者が、与那国島と密接にかかわりつづけた三十年のドキュメンタリーである。
 一時はマスコミをにぎわしたこともあり、援農舎や援農隊の名前に見覚えのある人は多いとおもう。しかし、その活動が今も続いていることを、地元八重山でどれだけの人が知っているだろうか。

 援農舎は、共同通信の記者だった著者が、同僚とともに立ち上げたボランティア団体である。過疎化で人手不足に悩む島の窮状を知ったのが結成のきっかけではあったが、むしろ、本土の若者に観光では知りえない文化、風土、そして孤島苦などの現実を、労働を提供することによって体験させようという考え方だったという。

 いざ、スタートしたものの、第一回援農隊派遣時から受け入れ側にトラブルが発生。そのうえ、沖縄の雇用問題が絡まり、島の苦悩までを背負うことになる。
 著者は、本書の半分近くを費やして「援農隊が始まるまで」から「第一回援農隊と与那国町農協の破産=vを丹念に描き出す。その模様は、何かコトが始まる時の息詰まるような緊張感にあふれ、感動的だ。

 農協の不正融資事件で頓挫しかけた第一回援農隊派遣は、紆余曲折のすえ、三週間遅れで実現された。一九七六年一月三十日のことだ。そのときの記者会見で、著者は「援農隊は、島が必要とするのであれば五年間は続けます」と言った。
 しかし、彼らの活動は、あれから何と三十年も続けられ、延べ二千人余の人々が与那国島にやってきて、過酷なキビ刈り作業に従事したのである。

 よそ者を頼らなければならない島の人々が何に苦しみ、農業体験のない援農隊員が、辺境の島にどんな思いを抱いてきたのか。理想と現実の狭間で苦悩する彼らと真摯に向き合う著者の眼差しに共感を覚える。
 特に印象深いのは、当時の仲本町長とともに与那国島側の「援農隊の生みの親」であった仲里正徹さんに対する著者の深い思いである。農協の不正融資事件で組合長職を退かざるを得なかった仲里さん、「彼もまた沖縄の世替わりの渦に巻き込まれた犠牲者だった」と、述懐する。

 もし、援農隊が与那国に来ていなかったら…、読みながら、考えずにはおれなかった。いずれにしても援農隊は、沖縄の農業史に大きな足跡を残した。将来、援農隊を導入しなくても島でやっていける日は来るだろうか。地元八重山の多くの人々に、ぜひ読んでほしい本である。(八重山毎日新聞 2004/12/21)


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Last Update:2004/12/21
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